【旅の記録】もうリヴィウ最後の夜になる:ウクライナ【80】

【旅の記録】世界一周スタート:日本(次の目的地はロシア)【海外放浪】 ウクライナ

11年務めていた会社をやめて35歳から始めた旅の記録

2017年5月出発した旅のことを、記憶と記録を頼りにつづってみようと始めました。
書き方などはだんだん良くなるはず(笑)なので、見守っていただけると嬉しいです。
※途中、記憶違いや文章の構成的にフィクションが入るかもしれません。ご容赦ください。

巡った順序 → 日本 → (韓国) → ロシア → フィンランド → スウェーデン → デンマーク → ノルウェー → エストニア → ラトビア → リトアニア → ベラルーシ → ウクライナ → ポーランド → ドイツ → 続く…

初めての方はコチラから → 11年務めていた会社をやめて35歳から始めた旅の記録と記憶

こんにちは、mickです。

リヴィウの短い滞在時間で残りの観光を実行。
墓地が観光地になっているのは珍しいかもしれない。
他、薬局博物館も珍しいものだと思う。

ポーランドで会う予定になっていた友だちと連絡がついて、ポーランド行きが決まった。
リヴィウは確かに過ごしやすい街だったな。
ちょっと早く離れすぎたと思う。

日付:2017年8月6日(日)ポーランド行きが決まる

日付:2017年8月6日(日)
地域:リヴィウ
天候:晴れ

ベッド揺れすぎ

今朝は、地震プラス来訪者が来た。
No.3のベッドらしいが、震源地の人がNo.3のベッドを勝手に使っているという。
こいつ、「あーあ」とか「うるさいなぁ」とかで眠りにつく。
昨夜もナンパかなにかでうるさかったし。

どうもスタッフは、深夜についてはうるさく言っていない様子。
そう考えると、キエフの2つ目の宿のところはすごくよかったと思う。

怖かったもの。
寝たような、そうでないような。
休めたような、そうでないような。
もやもやな朝。

壊れた朝食

ゆっくりとした出発になって、11:30をまわっていた。
朝食にはコーラに牛乳という。
嫌いではないが、他の人からしたらヒドイの一言だろう。

出かけようとしたら、震源地が突然声をかけてきた。びっくり。
「俺には日本人の彼女がいるんだぜ」
となぜかセルフィーを見せられるワンシーンがあったことを書いておこう。

リヴィウ最後の散策

最初、リチャキフ墓地を目指して本にあるドミニコ聖堂裏側の広場から7番のトラムで行く。
maps.me をみてみると、どんどん違う方向へと進むトラム。
南東どころか、西へ西へと。
流石におかしいと思って下車。
1kmくらい、また離れてしまった。

天気もいいので、歩いていくことにした。
時々見かけるオールドカーがいい感じ。

小腹がすいたが、そのために1リットルのコーラを買う始末。
0.5リットルの10フリヴニャ(当時、約50円)か、1リットルの14フリヴニャ(当時、約75円)かで、1リットルを選んだわけ。
木陰も気持ちいい。
ただ少し、雰囲気がよくない。
街はカラフルなんだけれど、少し空気が重いのだ。
ベンチに居るカップルにつっかかるおばさん。
もちろん、2人は移動していた。

リチャキフ墓地とウクライナの歴史

トラムを降りてから1時間以上。
目的にのリチャキフ墓地に到着。
どうやら7番線は廃線になったか、夏は動いていないかだった。
トラムの線路には砂がつまっていて、とても走れはしないだろう。
同じように、7番トラムを利用して、同じように下車した家族はどうなっただろうか。

ゲートには鎖がされていたが、すり抜けて通る男性がいたのでマネをして中に入った。
まず目に入るのは、真新しい十字架に写真付きの墓標たち。
先の革命で命を落とした人たちだろうか。
1組の家族が、夫が、父が、息子が亡くなったのだろう。
お参りに来ていた。とても強烈なシーン。
子どもはまだ無邪気に犬と遊んでいる。

墓地は平坦ではなくて、坂が多く小高い丘になっている。
モニュメント、集団墓地には無数の墓標。
「1918 – 1920」。
20代前後で亡くなっている方が印象に残る。
他のお墓は、独特なものが多くて、写真や肖像がついていたり、生前活躍したころの姿の像がついていたり。
天使やマリア像が着いていたり、似顔絵がついていたり。
などなど。

それでも墓地には間違いなく、多くの人々がここで眠っている、と思うと落ち着かない。
あまり長居はしたくないようなところだった。
森に住むリスが、そんな気持ちを和ませてくれる。
ポーランド住人のお墓には、タカかワシの像がついていたり、ライオンの像がついていたり。

入ったところから反対側に向かうと、そこが正しい入り口で、料金が必要だった。
写真撮影も別料金だけど、撮っちゃったよ。
というわけで、出るときは何くわぬ顔で正面ゲートから出た。
この墓地では、昔やっていたゲームの曲が頭に浮かんだので再生する。
目頭が熱くなる。過去は良かったと。
今回の旅のテーマのひとつは「自分を認める旅」。
過去を肯定し始めている。いい旅しているじゃないか、そう思える瞬間だった。

誰も居ないお店でビール休憩

墓地から旧市街へ移動する。
「0.5リットルビールが20フリヴニャ(当時、約100円)」という看板に惹かれて入店。
人がいない。
お店をでちゃおうかとどまるか、うろついているとスタッフらしき人が出てきた。
ウクライナ語でしか話しかけてこない。
Google翻訳を使いながら、メニューをみてサンドイッチとビールを頼む。
女の人がサンドイッチについて、なにがいいかっていうけれどさっぱりなんで、適当にいいよ、といっておいた。
指で円を描くジェスチャー。
実は、大きさを示していたようだ。
手のひらサイズのパンに、ハムとチーズがのったものが出てきた。
サンドイッチはどこにいった。

お客が自分だけで、重い空気の中、食事を終えて支払い移動。
チップなどあるはずもなく、また暑い中を歩く。

ロシア帝政時代の遺産

小さなピンク色の教会を見かけた。
チェルノフツィにあった教会と関係があるのだろうか。
キエフについての写真の投稿で、写真の先生がコメントをくれて、ロシア帝政時代の図鑑や銅版画のことを教えてくれた。
Webでみると、たぶん「ルボーク」といわれるもの。
蚤の市や古本屋にあるそうだ。
みてみるが、いまいちわからない。困った。

武器博物館のアルセナール

時間の関係で、武器博物館のアルセナールに。
30フリヴニャ(当時、約150円)。武器ごと、そして国ごとに展示がある。
数は多くない。
ケースが上階15点ほど。下も8点ほど。

日本の展示は、おもわずこっそり撮ってしまうくらい気持ちが入る。
外国の人が、「お、日本だ」といって立ち止まってくれるのが嬉しい。
自分は、槍、外国だとハルバードがお気に入り。持ちたかったな。
銃もかっこいい。リボルバーとかよく考えたと思う仕組み。
誰が最初に考えたんだろか。

一通りみたあと、疲れたのでベンチで仮眠。

リヴィウの薬局博物館

そこから次は、薬局博物館へ。
20フリヴニャ(当時、約100円)。
お店の横から入るこの博物館。ツアー客と被ったので、周りづらかった。
歴史のあるこの薬局の道具の数々は、実験好きな自分をドキドキさせた。
ダメでも触りたくなってしまう。

薬草についてのメモ書きはいいよね。
とても貴重な記録になっている。
アロマの先生とかどう思うかな、そう思いながら見ていた。

処方箋ノート、そう記録だ。
記録に目がいっているんだ。
なんでだろう。

数々の薬瓶や写真、煎じる道具、圧搾機、ビーカー、挙げればきりがないのに。
金属の入れ物に入っていた薬草は、なんだったんだろうか。
中はとても広くて、4部屋に地下と中庭があった。
地下で薬を混ぜる人の服が黒いのは、薬品の付着がわかりやすいからだったのか、どうだろうお。
なぜ人々はお金を入れてたのか。
中庭には、蛇を持つ女性の像があった。
左手に持っているのは、薬草だろうか。
入ってきたときとは別の扉から出てきた。

決まったポーランド行き

本にある薬局が1735年の創業当時からあるという、「鉄のワイン」を買ってみる。
友だちの連絡もあったから、3本。
これは買いすぎだったと後でわかる。

友だちのメッセージで、ポーランドにくることになたそうだ。
よかった、本当に。
日付がずれるくらいの覚悟しかなかったから、来てくれなかったらどうしようかと思っていた。
連絡がくるまで、何度もスマホをチェックしたし、何度も確認の連絡をいれようとした。
最後は、ポーランドにいくか、ウクライナにとどまるか決める必要があったから、そうメッセージしての返信。

ポーランドに入国をすると、シェンゲン協定のカウントダウンが始まる。
だから焦っていた。
長期旅行者には、シェンゲン協定は優しくなく。
心のなかでガッツポーズして、次の連絡を待つことにした。

向こうは、レンタルWi-Fiを借りてくるようなので、連絡はとれるという。
便利な世界だ。
だからこそ、予定がギリギリになってもなんとかなるのかもしれない。
本当、昔の人はどう連絡をとりあっていたんだか。

明日からについて

とにかく、ホッとしたのでホステルにも遠って休むことにした。
震源地が戻ってきたので、それほど落ち着けはしなかったが。
マクドナルドで夕食。
スタッフの動きのテキパキさに感心しながら、またワルシャワからウッチへの移動方法を探し、のんびりする。
どれだけウクライナの人がここ、マクドナルドを利用できるのか。
みな同じ人にしかみえない。
目の弱さを痛感する。

少し散策しながらホステルへ戻る。
路地の落書きに目を取られる。
女の子、鳥、赤いおじさん、ホステルに戻ってから日記を書く。
スマホを触ってしまって集中していない。

平和の風

今日の夜が最後のリヴィウ。
名残惜しさを感じて、22時をまわったころ、1人夜の自由大通りへ。
昨夜にイスマルと買ったコーヒーショップでカプチーノを買って、それを持って公園のベンチへ。
ゆっくりとした時間が流れる。
ファンと語り合った夜を思い出した。
彼は元気にしているだろうか。

本当に平和を感じる。
これが駅前だとまた違ってくると思うと、地域差って何だと思う。
思えるのは、気持ちがいい、ということ。
この感覚が大事なんだと思う。
今後の旅の安全、人との関わり方によい基準となっていく。
言葉ではないものが、ここにある。

名残惜しさを感じながら、その場を移動する。
少し、肌寒い。そんな夜だった。

楕円の形のスイカ

ホステルに戻ると、イスマルにスイカをごちそうしていた。
自分にもまるまる1切れをくれた。
ウクライナではよく売っているのをみた。
日本とは違って、丸くない。
楕円の形をしているスイカ。
スタッフの人や、他の人にも振る舞っていた。
これがひとつ、他者とのコミュニケーションの技なのかもしれない。
彼はすぐに他の人とうちとける。

久しぶりに食べたスイカ。
甘くてみずみずしくて、元気になるくらい美味しかった。
テーブルにジェンガとスイカ。
いい空気で好き。
長く居たかった。

イスマル

シャワーと洗濯がしたくて、部屋に戻った。
それらを済ませて、また日記を書きにロビーへ。
23時を過ぎているが、スタッフも含めて普通のトーンで話しをする。

気には鳴るが、ホステルごとのポリシーは違うと思う。
イスマルも来て、スタッフの子とかなり近い距離で話をしている。
奥さんが心配するのもわかる。

日記は前日分までは終わらせて、ベッドに戻り眠りにつく。
少し女の子と話す彼が羨ましかった。

補足

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