【旅の記録】ウクライナからポーランドの国境超え:ウクライナ【81】

ウクライナ

11年務めていた会社をやめて35歳から始めた旅の記録

2017年5月出発した旅のことを、記憶と記録を頼りにつづってみようと始めました。
書き方などはだんだん良くなるはず(笑)なので、見守っていただけると嬉しいです。
※途中、記憶違いや文章の構成的にフィクションが入るかもしれません。ご容赦ください。

巡った順序 → 日本 → (韓国) → ロシア → フィンランド → スウェーデン → デンマーク → ノルウェー → エストニア → ラトビア → リトアニア → ベラルーシ → ウクライナ → ポーランド → ドイツ → チェコ → オーストリア → スロバキア → ハンガリー → ルーマニア → モルドバ → (沿ドニエストル共和国) → モルドバ → 続く…

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こんにちは、mickです。

ギリギリで予定が決まって、次の国がポーランドに決定。
この日はその移動日。

ここはもっとのんびりできる。
そんな場所のリヴィウ。
名残惜しさを感じつつ、友だちとの再会も楽しみだった。

気になるのはイスマルのこと。
彼のフェイスブックは、極稀に更新されるが、どうも奥さんが更新している気がする。
それが不安でならない。

日付:2017年8月7日(月)久しぶりの国境超え

日付:2017年8月7日(月)
地域:リヴィウ
天候:雨

ウクライナ最終日は雨

朝の雨の音で目が覚めた。
大粒の雨。黒い空。水の音。
移動日が晴れるというジンクスが崩れた2度目。

朝、バスステーションを確認してから街を散策するプランは雨で崩れてしまった。
ホステルのベッドの中で、まどろみ続けた。
震源地がいきなり声をかけてきたものだから、声を上げて驚いた。

「今日、バスでワルシャワへいくよ」
「どうやって?」
「バスで」
「バスは鉄道より安くていいぞ」

通常、鉄道での国境移動は楽。
しかし、ウクライナからポーランドへは、鉄道でも一度下車するらしい。
時間も乗り場もわかっているバスを選んだ。

また、バス会社エコライン。
予約がいっぱいだったり、空いたり。
タイミングを見て、当日予約できた。

写真

朝のうちにパソコンを出して、写真のバックアップを撮っておいた。
昨夜は、日記で手一杯だったからだ。
バックアップするのはいいけれど、写真の確認が出来ていないことが気がかりだ。

どこかの地で落ち着かないと。
本当は、そんな必要もないはずだけれど、そう思っている。

「鉄のワイン」は表現が難しい味

12時ギリギリにチェックアウト。
「時間よ」
部屋までスタッフの子がそう言いにきてくれたのは初めてだった。

荷物を預けて、雨が収まるのをロビーで待っていた。
キエフでも雨に振られたっけな。
あの日も1日、ずっと雨が振っていた。

昨日買った「鉄のワイン」を飲んでみる。
すんごい味。いままでに飲んだことが無い不味さだった。
100mlしかないのに、とても多いと思えるほど。
お土産に2つも買ったのは失敗だったかも。
一気に飲もうとしている自分を見たイスマル。
「これはスプーンにいれて少しずつ飲むんだよ」
そう教えてくれた。
スタッフの子も興味を持ってラベルをみる。
「飲んでみるかい?」
といったのに、2人とも反応無しで寂しかった。

本当にワインなのか、アルコールが入っているよおうな感覚に襲われた。
100mlでも一気には飲めない品だった。

予行練習

バスチケットは、バスターミナルにいけてから、とスタッフの子に確認をして、一度練習でバスターミナルに行ってみる。
中心から8kmも離れていて不便。

本のとおりに、自由大通りから3aのバスに乗っていく。
座れないほど混む車内。
この中でバックパックは担ぎたくないな、なんて思った。

ブログランクの写真の彼も、このバスでバスターミナルに向かったはず。
どんな気持ち、どんな顔で、どんな考えで乗っていたのだろう。
また他の旅人もどんな気持ちでここを通ったのだろう。

ワクワク
ドキドキ
不安
楽しみ
自信

想像は尽きない。

リヴィウの長距離バスターミナル

情報通り、30分ほどでバスターミナルに到着した。
バスを降りて、大きな道を渡って、バスターミナルへ。
建物ほど見上げるほど高いのに、ターミナルとして使われているのは1階くらい。
少ない。

それでも常に、4、5台のバスが発着していた。
ここは、汚い、というのが第一印象。
薄暗いバスターミナルは少し怖かった。

エコラインを含めた国際線のチケット売り場を横目に、旧市街へ戻ることにした。
1度、マスターカードでバスチケットを買おうとして買えず。
希望の席にロックが掛かっていた。
だから、旧市街に戻ってから予約を完了させることになった。

ウクライナでグルジア料理

また、3aのバスに乗って中心地へ。
小腹が空いたので昼食。
グルジア料理の店へ行く。
英語メニューを出してもらって、適当にオーダー。
ビーフシチューはこじんまりしていて、期待はずれ。
もう1つはまあまあで、中に具を入れたパン。
形は巨大な餃子。

支払いの頃、後ろの席から日本語が聞こえてきたのには驚いた。
話しかけることはしなかったが、中年以上の女性2人。
なんでウクライナにきたのかは尋ねてみたかった。

ネットでバスチケットを取るのも楽じゃない

外に出ると少し、雨が降っている。
やっとバスの予約を進めると、今度はVISAで手続きしてOK。
とすると、今度は印刷が必要になった。

ホステルに戻ってやってもらうことに。
スタッフに尋ねると、ホステルのプリンターはこわれているらしい。
だから、外に出て右のところ、最初の扉の場所で出来ることを教えてもらった。

ここは、海外のコニカミノルタでサービスをウケるなんて思ってもみなかった。
係の人に e-mail でファイルを送る。
お互いがgmailだった。
無事に終わって、1枚0.75フリヴニャ(当時、約4円)。

イスマルの今後

出発の準備を整えて、日記をホステルで書く。
「何時にここを発つんだい」
「19時だよ」
どうもスタッフの子の代わりに聞きにきたみたいで、直接来ないことに寂しさを感じた。

またもうしばらく経つと、イスマルがトルコに帰ることを決めたという。
「戻っても大丈夫なの?」
「あまり状況は良くないけれど、なんとかしないといけないから帰ることにした」
彼の無事を祈らずにはいられない。
「なんとかする」
そんな表情を瞬間で見、そして別れは笑顔で。

イギリス人らしき人とスタッフが仲良くて別れを惜しんでいた。
しばらく日記を書いたあと、残ったお金を使うために外出。
一方、友だちは無事にポーランドについたようだ。
結局ウッチに行くことになり安心。
途中、ワルシャワに留まることを示唆していたので、すでにホステルを取っていた自分にとっては焦る内容だった。

ウクライナ最後の晩餐

外出時は、サーカス会場をみてから、オペラ劇場へ。
途中のお店でクレープを食べてみる。
チョコとバナナのクレープ、美味しい。

そこから旧市街へ行って、イタリアンのお店で食べる。
パスタとジュース。
なんで「エキゾチック」なんていう名前のジュースだったのか。
95フリヴニャ(当時、約475円)で100フリヴニャを渡したらお釣りが来ない。
ですよねー。

残りは1フリヴニャと少し。
何も買えなくなった。

ホステルに戻って最後に鉄のワインを飲んで、残りは捨てた。
20時前に歯を磨いたあと、ホステルを出発。
いよいよ、次の国に移動だ。

ウクライナからポーランドへ

昼間の練習通りに、3aのバスに乗ってバスターミナルへ向かう。
窓口でエコラインのプラットホームを確認して、バスが来るのを待った。
21:30発で、5から10分前ギリギリに着くバス。
このバス、なんとウクライナの南にあるオデッサから、ポーランドの北グダンスクまで行く超長距離バスだった。
その距離なんと、1369km。
東京から大分で1133kmだから、そうとう長いことがわかる。

いいタイミングで席が取れて、隣には人がいなかった。
アテンドのお兄さんも親切にしてくれた。

いよいよ今夜は国境を超える。

国境での審査

24:00前には出国。
ここでの審査はなくて、バスに乗ってきた人にパスポートを渡すだけ。
しばらくして戻ってくるまで外に出られる。

満月らしいお月さまが美しかった。
リセットするために、よい出国日だったと思う。
他の人は、寝たり、タバコを吸ったりと色々だった。
免税店にトイレはなくて、お酒はたくさんならんでいた。

肌寒くなってバスに戻る。
そしてパスポートが戻ってきて出発。
次は入国審査がある。
ここが、混んでいて4時間近く待つことに。

その間はずっと寝ていた。
バスの運転手が仮眠で後ろの席に。
またこの人がいびきをかくものだから、たちが悪い。
隣の兄ちゃんも咳払いしたり、声を出したりして、いびきを止めていた。
それで止まるいびきに内心楽しんでいた自分。

長い夜はまだ続く。

補足

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