【旅の記録】ウクライナ世界遺産の街リヴィウ:ウクライナ【79】

ウクライナ

11年務めていた会社をやめて35歳から始めた旅の記録

2017年5月出発した旅のことを、記憶と記録を頼りにつづってみようと始めました。
書き方などはだんだん良くなるはず(笑)なので、見守っていただけると嬉しいです。
※途中、記憶違いや文章の構成的にフィクションが入るかもしれません。ご容赦ください。

巡った順序 → 日本 → (韓国) → ロシア → フィンランド → スウェーデン → デンマーク → ノルウェー → エストニア → ラトビア → リトアニア → ベラルーシ → ウクライナ → ポーランド → ドイツ → チェコ → オーストリア → スロバキア → ハンガリー → ルーマニア → モルドバ → (沿ドニエストル共和国) → モルドバ → 続く…

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こんにちは、mickです。

チェルノフツィから夜行列車に乗って世界遺産の街リヴィウに到着。
前評判の高いこの街は、旧市街は確かにキレイ。
でも、一歩外に外れると貧困の現実もあった。

よほど疲れていたのか、ホステルに着いても中々動けなかったっけ。

観光地の高台にいったときの不思議な出来事。
政治問題でウクライナに缶詰になっているトルコ人。

そんな出会いがあった。

日付:2017年8月5日(土)ウクライナ西の玄関口リヴィウ

日付:2017年8月5日(土)
地域:リヴィウ
天候:晴れ

いつも車掌さんに起こされる

車掌に起こしてもらった朝。
今日、初めて男性の車掌さんで、二の腕をしっかりと揺らして起こしてくれた。
テーブルには3人分のチケットが置いてある。
そう、乗車した際に車掌に持っていかれるチケットは、こうやって下車するときに戻してもらえる。
ルームメイトとは、挨拶のタイミングを逃してしまい、気まずいまま列車は進む。

車窓の先は曇り空。
列車の到着予定は、6:30だが、少し遅れているようだ。
実際には、6:45くらいにリヴィウ駅に到着した。

曇り空のリヴィウ

昨夜、あんなに暑くて灼熱だと思うくらいだったのに、今は少し肌寒いくらいだった。
到着は別れも意味する。
2人のルームメイトに別れを言って下車。
本に載っていた街の中心地へ行くトラムを探して歩く。
1番か10番が良さそうだが、奇数と偶数のトラムが来る乗り場で急に不安を感じて、6番に飛び乗った。
運転手に、2フリヴニャ(当時、約10円)を支払い、チケットをもらう。
車内にあるスタンプ機で、もらったチケットに穴を開けて完了だ。

地図アプリの maps.me を見ながら現在地と目的地を照らし合わせて、一番近そうなところで下車。
早朝で人も少ない。
リヴィウの中央駅は、早朝にも関わらずたくさんの人とバス、トラム、タクシーでごった返したので、ギャップがすごい。
道沿いの食事処ではもうお酒を飲む人がいる。
治安はよくは感じない。
公園で寝る家族、汚れた道、物乞いがそう思わせた。

この騒がしさがあったため、中心地の静けさが際立つ。
それも、寝ている浮浪者を見かけた。

ホステルの心遣い

早朝だったが、ホステルは開いていた。
でも、チェックインは14:00から。
もし、アーリーチェックイン(チェックイン時間を早めるサービス)を使うと、84フリヴニャ(当時、約420円)という。
「少し、ロビーで休んでから出かけるよ」
そう伝えてロビーで横になる。

その間には、何人もがロビーへ降りてきて、にぎやかになった。
寝落ちしてしまい、気がつくと、いや早朝とは別の女子スタッフに起こされた。
「もう部屋で休んでいいから」
そう言って特別にチェックインしてくれた。
ホステルでは、お酒禁止やら、タバコ禁止やら、鍵をなくしたときのペナルティとか、お決まりの書類にサインをしてから部屋へ。

部屋には1人、すでに人がいた。
こちらをみていたので挨拶をして、荷物を置いて、またベッドに横になった。
何やら起こしたようで、どこから来たのかきかれ、それを答えたあと同じ質問をしたら、わからない国がでてきて、よくわからなかった。
彼は、身長が2mはありそうな彼は、骨格がしっかりしてそう。
ただ無駄に騒がしい。会話の後、出て行ってくれたんで眠れた。

スロースターター

11:00頃にまた起きて、観光へ出かける。
早く動いていれば、ルーツィクや愛のトンネルへ行くことも出来たが、強行スケジュールすぎる。
「それだと、他の日本人旅行者とかわらないじゃないか」
マルコムの言葉を思い出して、そんな移動はしないことにした。

旧市街に近いホステルは便利。
高いだけはある。
途中で、スーパーを見つけることができたので、いつものように牛乳、コーラ、果物、お菓子を買ってホステルに戻った。
買い物の際、レジの女の子に笑顔で挨拶をすると、気持ちよく対応してくれた。
ありがたい。
お礼の言葉にも反応を示してくれた。

相変わらず、このあたりのプラムは美味しくない。
甘みがないのだ。
リンゴの方が安くてうまいな。
最初、高い塔と呼ばれる、高台にある城壁跡をみにいくことにした。
リヴィウの街並みは、チェルノフツィを大きくしたようなもの。
そして坂が少なくて歩きやすい。
レンタサイクルも見かける。

マッスル!マッスル!

自由大通り近くでは、何やらマッスルなイベントをやっていて、協賛がなんと TOYOTA 。
商品はプリウスっぽかった。
競技内容はさっぱりだったが、屈強な男たちが重いものを持ち上げて純粋な力を競っていた。
競技開始前に、ウクライナの国歌が流れ、観客含め総立ちで斉唱していた。
いま戦争中のウクライナ東側の人々に捧げるような歌にもみえた。

リヴィウとチェルノフツィ

いつ競技が始まるかもわからなかったので、早々に移動。
オペラハウス前には天使のコスプレをした人が居て、例のブログの元ネタをみる。
途中に立ち寄った教会では、結婚式が行われていた。
ウクライナで見かける花嫁さんは、かわいらしい人が多い。
式の参加者は、20人もみないけれどそんな規模が普通なのだろうか。
今彼らは幸せの絶頂に居るのだろう。

旧市街の街並みは美しい。
でも、自分にはリヴィウは広すぎるかもしれない。
チェルノフツィくらいが丁度いい。
観光客の比率でいえば、両方同じ規模として収まっているのかもしれない。

リヴィウの影

高い塔への道のり。
公園を通るので少し心配していた。
案の定、浮浪者が階段を占領している。
ジーパンのお尻の汚れから、匂いを察して息を止めて歩いた。
少し息を吸ってしまったときは、やはり臭かった。
気をつけて、他の観光客に混じっていたので、怖くはなかった。

何やらその系の人たちが集まって、プラスチックのコップに入ったなにかを一所懸命に食べていた。
けっして美味しそうには見えなかったが、貴重な食事なんだと思う。
観光客の多くいるところから、5分も離れないところでの格差を垣間見る。
気になるのは、どれだけがウクライナの人で、どこが支援しているかだ。
そう、いわゆる炊き出しがこの公園で行われていたわけだ。

高い塔への不思議な出会いの坂

高い塔に行く間、その公園を通り過ぎても2、3の教会がある。
どんだけあるんだよ、といったところ。
暑いし、汗もでる中で坂を登り続ける。
高い塔のある公園の緑が出迎えてくれる。
この辺りでは珍しく、インド人っぽい若いカップルを見かける。
お金持ちの空気丸出し。
なんかお互い警戒している感じが面白く思った。

休憩をはさみながら進む。
坂の上からバスケットボールを追いかける男の子と遭遇。
思わず転がるボールを足で止めてしまった。
すぐに手で持ち直して彼に返した。
「Thank you(ありがとう)」
「Sure(いいってことよ)」
習った英会話式で返す。

すると近づいてきて左手で握手をして「Thank you, sir」と改めてお礼を言ってきた。
その手がとても冷たく、そうひんやりしていたのを覚えている。
彼の礼儀正しさに感服した。
子どものほうがしっかりしているなんて、考えさせられる。
彼はドリブルをしながら坂を下っていった。
あっという間に姿が見えなくなった彼に、本物の人だったのかさえ疑ってしまう。
ふと、緑の中にいると自分がウクライナに居ることがわからなくなった。
不思議な感覚。

リヴィウの高い塔

テレビ塔を過ぎると、残っている城壁に着いた。
落書きがたくさんあって、風情も何もないが、それでも初めて見たときは歴史を感じさせてくれた。
周囲に転がるガラスに気をつけながら高台へ。
この暑さで、他の人は水やアイスを売店で買っていた。
ゴミ箱に男の子がアイスの包み紙を捨てると、妹らしき子も同じように捨てる姿をみて和む。
2人の良い関係性が見えてくる。

高台への道中で、5、6店舗ほどのお土産屋があった。
似顔絵を描くのは2人くらい。
高台の頂上では、10人くらいで賑わっていた。
景色は、もし夜景が見えたならいいくらい。
治安はよくなさそうなので、夜に来るのは難しいだろう。
外灯もあるので、フォトジェニックではない。
それでも昔の物見としての姿を空想した。

高台を下って、Google Map で見つけた図書館らしきところへ入ってみる。
パソコンを使うのを目的とした人で、パソコンは埋まっていた。
Webを観る、ゲームをする、ビデオを観る、用途は様々。
受付の女の子は、電話をしているくらいなので、勉強をメインとしてはないのだろう。
一応、声をかけてきて気をかけてくれたのはありがたい。
というか、不審者扱いだったんだろう。
英語が話せる男性が、パソコンの使用を促してくれた。
日記を書くだけだったので断ったものの、実際にはうとうと。
そして、友だちからの連絡が気になって集中はできなかった。

ウクライナの幸せな季節

旧ソ連時代の車をみて格差を見たり、市場でリヴィウのもう一つの顔を見たりした。
自由大通りでは、まだマッスルなイベントが続いていた。
プリウスをリフトしていた。
すげい。

今日は教会めぐりと決めて、大聖堂、ドミニコ聖堂、アルメニア教会、聖アンドレイ教会、を見てまわった。
アルメニア教会以外では、結婚式が行われていて、ウクライナでは最も幸せな季節に滞在しているのだと思った。
聖アンドレイ教会の裏手にある城壁は見事だった。

トルコからきた男性イスマルと政治の話

マクドナルドで夕食をとって、ホステルに戻ると1人の男性が声をかけてきた。
トルコ系だったので、すぐにファンの言っていた話を思い出し、彼のことだと思った。
彼も自分のことをファンから聞いていて、探してくれたようだった。
ベッドで休憩をしたかったが、2人でお茶にでかけることになった。

自由大通りにある小さなコーヒーショップで、クリームとチョコのクッキーがトッピングしてあるコーヒーを注文。
ここは彼がごちそうしてくれた。
「僕の友人の友人は、僕の友人だからね」
そういって、広場のベンチで2人、座って会話する。

彼はイスマル。1つ年上。
奥さんがいて4歳の男の子と7歳の女の子がいる。
アパレル関係の仕事をしていて、ベラルーシに10日間出張に行っていたら問題発生。
フェイスブックで今の政府に対してネガティブな発言をしたら、逮捕状が出て3か月の抑留となった。
それで帰国できなくなり、ビザのいらない国々で対策をねっているそうだ。
ビザ無しで行けるのは、ウクライナ、ベラルーシ、モルドバ、そして日本だという。
彼は、子どものためにも自由な発言ができることを主張。その意思は固い。

「俺は臆病者じゃない」
彼の今の立場を表した言葉だ。

発言は自由。
自分もそう思う。
それをどう受け取るかも自由ということだ。
色々な角度から物事をみないと危ない。
トルコはいい国。いまの政府は(15年目だが)でダメ。
そう繰り返していた彼。

「来年には落ちついているだろうから、トルコに来たら連絡してくれ」
そういってくれたのが嬉しかった。
「日本に行ったら連絡するから」
「もちろん、OK」
東京から遠い大分に来るかは知らないけれど。

イスマルもウクライナのタバコは、4分の1くらい安いという。

夜は日記と散策の時間

ホステルに戻ると、彼は電話をしに行った。
自分は日記を書いた。
ルームメイトがちらほらロビーに入ってくるが、日記に集中。
非常にノイジーな空間だったが、頑張って書き続けた。

22:00頃、Rマくんとの夜を思い出して、夜のリヴィウに1人繰り出した。

音楽を奏でる人々
お酒を楽しむ人々
カップルでのひととき
お店も人であふれ、いい空気が流れていた。

街を歩いて、座って。
その人たちとこの空間を共有した。

23:00頃になると、店も閉まり初めて人も減り出した。
だからホステルへ戻った。

ベッドの上の人は神経質なのか落ち着きがない。
彼が動く度に、震度5弱の地震が発生した。

Gar’is Hostel Liviv
2泊 315フリヴニャ(当時、約1575円)
2段下(6人部屋)

補足

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