【旅の記録】キエフでの最後の晩餐:ウクライナ【74】

ウクライナ

11年務めていた会社をやめて35歳から始めた旅の記録

2017年5月出発した旅のことを、記憶と記録を頼りにつづってみようと始めました。
書き方などはだんだん良くなるはず(笑)なので、見守っていただけると嬉しいです。
※途中、記憶違いや文章の構成的にフィクションが入るかもしれません。ご容赦ください。

巡った順序 → 日本 → (韓国) → ロシア → フィンランド → スウェーデン → デンマーク → ノルウェー → エストニア → ラトビア → リトアニア → ベラルーシ → ウクライナ → ポーランド → ドイツ → チェコ → オーストリア → スロバキア → ハンガリー → ルーマニア → モルドバ → (沿ドニエストル共和国) → モルドバ → 続く…

初めての方はコチラから → 11年務めていた会社をやめて35歳から始めた旅の記録と記憶

こんにちは、mickです。

次の街への鉄道のチケットをゲットしたあとは、ウクライナ日本センターで夜まで過ごした。
目的は、日記をまとめて次の街への移動へ備えるため。
ナカムラさんには最初から最後までお世話になった。

自分が、図書館に興味を持っていなかったら会うことはなかった方。
きっかけは、ヴィリニュスで出会ったマルコム。
人のつながりってすごい。

日付:2017年7月31日(月)最後までウクライナ日本センターで過ごす

日付:2017年7月31日(月)
地域:キエフ
天候:晴れ

明日はキエフを発つ日

月曜の朝、1度トイレに7時前に起きる。
ロビーも静かだ。ここで日記、と思ったがまた寝てしまった。

起きた頃には、外の工事も始まっていた。
ロビーも人で溢れていて、日記どころではない。
昨夜の洗濯物はかわかなかった。
やはり、乾かすには1日半はかかるか。

明日はキエフを発つ日。
少し寂しさを感じていた。
このホステルは眠れるところでよかったと思う。
スタッフは微妙だけどね。

少し、荷物について考え、バックパックのショルダーが左右合っていないことに気づいた。
そして左のスポンジがはいっていないのが最初からだったのか、うだうだしていた。
遅くまでパソコンを触っていたウクライナの人に窓を閉めるように頼まれて応じた。

日本からのビデオメッセージ

キエフ最終日の今日に何するか考えたが、結局図書館に向かうことにする。
図書館に行く前に、中央駅の窓口でネットで予約したチェルノフツィ行きの列車の発券の手続きだ。
メトロを乗り継いで中央駅へ。

日本の友だちからビデオメッセージが届いた。
あまりのサプライズに嬉しくて目には涙が浮かんだ。
彼が、旅を楽しくするコツとしてアドバイスをくれた。

「出会う人に質問をぶつけていくこと、自分が大切にしていること、自分が知りたいこと。なんでもいいから、旅を終えた後に自分の人生を考える上で、こんなことを知っておきたいことを世界中の人たちにきくといい。言葉が通じなくても、そこからドラマが生まれる」

2分にも満たないメッセージは自分を熱くさせた。

時々思う。どうしてここまで自分にしてくれる人たちが側にいるのだろうか。居てくれるのだろうか。
自分は自分を過小評価し過ぎなのか。
評価の有無よりも、自分は1人でないこと、助けてくれる人が居ること、一緒に食事をし、お酒を飲み、話し合える人がいること。
学校、会社、メンタル、写真、旅、全く知らない土地にきて、少しずつ氷が溶けて混ざり合い、繋がりつつあるのかもしれない。
いや、そう信じたい。

鉄道のチケットとケバブ

中央駅で切符を発券。というより正しく印刷なんだと思った。
窓口でスマホを見せて、印刷をするのは「ピチャータチ」で、おばさんは理解してくれて一発で手続きが終わった。
これは嬉しかった。
通じるって嬉しいよね。
最後に、駅の電光掲示板で明日の列車の有無を再確認しておいた。

外の広場に広がるケバブ屋通りで「シャルパ」を食べる。
ケバブラップのことだ。
前回、自分に挨拶をしてくれた店は、3人の先客でいっぱい。
残念ながら隣のお店へ。
シャルパの35(フリヴニャ)(当時、約175円)といって伝わる。
美味しい。
2人のうち、1人に日本語で「こんにちは」と言ってもらえる。

駅の周辺は、ごちゃごちゃしている。
寄付を求めるもの
しっきんしてしまうもの
建物の日陰から対処させられるもの
出店
売店
とにかくすごい。
駅周辺の治安の悪さをひしひしと感じる。

怪しい感じは、一応目つきと行動でわかるので避けていく。
利用者が多いはずのメトロは、上下のエスカレーターも1機ずつしかないので混みやすい。
メトロで図書館へ。これまでで一番の早さで向かう13時前。
たっぷりと日記が書ける、そう思った。

今日は日記を書き続ける

いつもの林を抜けてウクライナ日本センターの建物へ入る。
今日もナカムラさんが迎えてくれる。
昨夜のお礼とウクライナの方々の支払いについて気にしていることを伝えた。
ウクライナでは、高額なカラオケ。
そして他の人にはきちんとした仕事についているので大丈夫、といってくれた。

本か、優しさか。後者な気もする。
この日、入ったとは早め、日記と旅の予定が組める、そう思っていた。
フタと開けると日記は今日の分まで進められたが、旅の予定までは組めていない。
漫画のBBを読んだのも影響したのか、この日はこれまで一番の来館数を見た。
子ども連れ、子どもクラスの卒業生、懐かしい人、7、8人だ。
子どもクラスで学ぶリョーバさん、めっちゃ大人っぽいのに14歳らしい。
ウクライナの女性は、早熟で花は早く散る、地元男性にいわれるほどだとか。
彼女の日本語の発音は、とてもキレイだった。

「学生ですか?」
「働いてますよ」

そういうと仕事中と思われたのか、そこで会話が終わってしまった。
残念だ。

キエフ最後の晩餐

18:30に、アンドリューのメッセージを返さないままで居た。
19:00、ナカムラさんがやることがあるという。
ただ、最後の夜だったから。
「終わるまで待っててもいいですか?」
「1時間で終わらせますね」
ということで、閉館後の図書館にいさせてくれた。

14:00から15:00のお昼休憩のときにも居させてくれたのでありがたい。
この日、時間の流れは信じられないくらい早かった。
13:00前から19:00まで。そして20:00まで延長。
これは埋没してしまう、これは。

ここでポストカードを書いておいたので、後は投函するだけだ。
中村さんの仕事を落ちつついて、2人でちょうど1週間前に食べにいったお店、お皿への詰め放題の肉屋にいってみた。
今日も中サイズの99.95フリヴニャ(当時、約500円)にする。
ナカムラさんと同じだ。
今日は、ナカムラさんも知らない人が焼いていた。
さてどう焼いてくれるのか。期待と不安で待つこと10分。
器にキレイに入れてくれた、隠れた名人さんだった。
2人での食事。キエフに来てから、半分はナカムラさんと夕食食べに行った。
肉に、ラーメン、中華に韓国飯からのカラオケ。
感謝しきれない。

ウクライナ日本センターのナカムラさん

彼はとても紳士的な方。
電車でもお年寄りの下車を手伝ったり、室内に入るときは帽子を脱ぐ。
自分にも敬語を使うし。
昔、スポーツリフティングで日本語の選手団を率いたことがある話をしてくれた。
言葉もできたし、各国の大会で活躍していたからだ。
でも結果が出せず、最近は声がかからないと少し寂しそうだった。

図書館ばかりに通う自分を気遣ってくれる。
「バーベルがあげられればどこでもいい」
なんていうナカムラさん。
「自分は図書館があればいいです」
と言った。
タイプは違えど、共通することが見つかってなんとなく2人とも和やかになった。
それに自分は嬉しかった。
彼が居なかったら、食事に困っただろうし、ホステルを替えてサトシと会うこともなかった。
リョーシャさんとも会えず、ハマモトさんやマツイさんとも知り合えなかった。
でもその前にはマルコムが居る。
そしてキッカケは、自分の図書館めぐり。
自分の行動や発言をオープンにすることで、道が拓ける。
というより、道がつながっていく。
ひとつの例だと思う。
それが、自分の未来なんだと思う。これは、Kiroroの未来の歌詞で思いついたこと。

楽しい時間はあっという間。
明日が早いというナカムラさんと別れる。
「最後の日も、図書館で日記を書きます」
そう握手して。

彼は、ポーランドのワルシャワにある手打ちうどんを営む、松本平さんのお店、UkiUkiを教えてくれた。
遊びに行こうと思う。
日本人が海外にもたくさん居る、そう思わせてくれる。

ウクライナのキエフの夜

なんとなく、独立広場の横の噴水ショーが気になって、見に行ってみる。
残念ながら今日はやっていなかった。
22:15から22:30までまってもだめなので、メトロのM3に直接乗れる駅、Ploshcha Lva Tolstoho まで。
歩く途中、ウクライナの夏を楽しむ人たちの姿を見た。

カップルで触れ合う人々
隠れてお酒を飲む人々
堂々とお酒を飲む人々
友だちたちと語り合う人々
物乞いの人々
物売りの人々
怪しい人々

本当のいろいろ。少し暑いこの夜を、どんな思い出過ごしているのだろうか。

メトロに乗ってホステルへ。
途中、牛乳が飲みたくてたまらず、買って帰る。
少し茶色く見えるので、コーヒー牛乳かと思ったら、普通の牛乳だった。
まあよし。

挨拶の大切さ

ホステルにもどって、チェックインのことがあったから、いつもドキドキしながらドアベルを鳴らしている。
シャワーをあびる準備をしていると、1組のカップルが入室
「プリビィエート」と挨拶をすると、フッと張り詰めた空気がなくなって、男性から名乗ってきた。続いて女性。
「プリヤートナ」
挨拶は大事だし、帰ってきたときは嬉しいって思えた。

チェルノフツィでの宿、そしてリヴィウからワルシャワへの移動を調べていたら、遅くなった。
ナカムラさんも国境越えは鉄道派だったな。
やはり楽だからって。
チケットが変えればいいが、どうなんだろう。
バスは、エコラインをみつけたが、乗り場がわからない。
旅のブログでは駅近く、本には8km離れているという。
チェルノフツィから、リヴィウへは、0:28の夜行列車があるが治安が読めない。
都市間の移動だけならなんとかなりそうだけれど、観光が不安だ。

補足

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