11年務めていた会社をやめて35歳から始めた旅の記録
2017年5月出発した旅のことを、記憶と記録を頼りにつづってみようと始めました。
書き方などはだんだん良くなるはず(笑)なので、見守っていただけると嬉しいです。
※途中、記憶違いや文章の構成的にフィクションが入るかもしれません。ご容赦ください。
巡った順序 → 日本 → (韓国) → ロシア → フィンランド → スウェーデン → デンマーク → ノルウェー → エストニア → ラトビア → リトアニア → ベラルーシ → ウクライナ → ポーランド → ドイツ → チェコ → オーストリア → スロバキア → ハンガリー → ルーマニア → モルドバ → (沿ドニエストル共和国) → モルドバ → 続く…
初めての方はコチラから → 11年務めていた会社をやめて35歳から始めた旅の記録と記憶
こんにちは、mickです。
何を思ったか、キエフでの滞在を1週間近く延長。
日記を書いたり、この先の予定を考えたり、ポーランドで友人と会うために日程調整をしたり。
今日は、また新しく2人の日本人と出会った。
性格が正反対とまったく違うタイプ。
想いを形にする人と、思いを語るだけの人。
自分はどっちになりたいのか、いまはどちらなのか、鏡のように学ばせてもらいました。
…昏睡強盗って本当にあるんですね。
日付:2017年7月27日(木)語学の出来る人、できない人
日付:2017年7月27日(木)
地域:キエフ
天候:曇り
優柔不断で決まらない次
宿が決まらぬまま朝をむかえる。
今朝は空調が効いている。
このホステルは、大きなロッカーがある。
人もいい。
でも、長く居るにはホステル代金が高い。
でも、次のホステルは大丈夫なのだろうか。
色んな思いで決められずに居た。
旅の先輩の言葉を借りるなら、自分の基準がわかっていない、といったところ。
そんなので時間だけが過ぎ、日記を書くことで決めることから逃げていた。
今やホステルの名物になりそうなおじさんが話をしていた。
このおじさん、夜は遅くて朝は早い。
いつも何か料理を作ったり、パソコンを触ったりしている。
どうやらまだ仕事をしていて、海のゴミについて何かしている様子。
高3の担任とプラスチック
自分の使っているプラスチックのことを嫌っている彼。
高3の卒業式のとき、担任の教師から同じようにプラスチックの使用とそのゴミについて考えて欲しい、といっていたことを思い出す。
自分が日本の生まれと話しをしたら、この男性がくいついてきた。
彼の妹が青森の三沢に住んでいること。
彼の母は沖縄の米軍基地出身なこと。
自分はまだ日本に行ったことがないこと。
いま沖縄は大丈夫なのかということ。
そんな話をしていた。
彼は、沖縄が日本から独立しないか心配している様子。
つたない英語でそれはないことを伝えた。
11:00を過ぎて、荷物をまとめる。
衣類や、充電器、小物整理をしているが、それでも散らかることに不安を覚える。
今日の担当は、アルトゥ。一旦チェックアウト。
「(日記)他の人にも読ませなよ」
荷物を置いてからまたサンルームで日記を書く。
合間に、ヴィタリ。
「いい字だね」
なんて言ってくれる。
「日記を書くことはいいことだ」
そうも言ってくれた。
「他に誰か読むのかい?」
「いや、今は自分だけだよ」
そう答えた自分。
「他の人にも読ませなよ」
そういったあと、シャワーを浴びてくるといいながら去っていった。
レセプション付近では、サンルームにいた男性がいたので会話をする。
彼も旅をしていて、しばらくキエフでゆっくりするそうだ。
お互い、キエフで行ったところについて話し合った。
彼には、ギドロパークをオススメしておいた。
このとき、名前とメアドを交換。
ジェイコブという。
彼はメアド交換のときに、彼のメッセージに自分の名前を入れたらウケてくれた。
(彼のスマホから、自分宛てに自分で操作して送ったため、自分に自分名前を送ったことになるから)
「忘れないからいいね」
なんて笑いあった。
少し恥ずかしい思いをしたけれど、平気だった。
キエフ地下道にあるショッピングモール
お腹も空いたので、アルトゥの教えてくれたアートギャラリーまで行ってみる。
途中のマクドナルドで昼食。
この辺りの地下には、ショッピングモールが入っていて、驚いた。
端から端まで、歩くと10分以上はかかるだろう。
アクセサリーを中心に、飲食、文具、コスメ、お土産などたくさんのお店が入っていた。
時計屋を見つけて、ベルトの交換でもしてもらおうとした。
するとベルトがいいもので、400フリブニャ(当時、約2000円)もする。
日本で安いのを買うのと変わらない。
たまらずにここで買うのを止めて、Amazonで最後のオーダーをした。
青いベルトだ。
荷物が発送されるまでギリギリまでキャンセルするか迷っていたけれど、発送準備になったからキャンセルができなくなった。
それでそのまま買うことに。
たまに自分の判断より、成り行きに委ねることがある。
いいのかわるいのか。
迷う時間を考えるとよくない気がする。
アートギャラリーは、改装中かなにかでわからず、ホステルに戻った。
キエフで延泊
荷物を受け取って、移動を開始。
最後は、アルトゥが見送ってくれた。
「次はどこへ行くんだい?」
「チェルノフツィかな」
と少しだけ嘘をついた。
フル荷物でのキエフの坂は辛い。
メトロを使って、移動先のホステル最寄り駅、Druzhby Narodivへ。
道端では、おばちゃんたちが、フルーツや野菜を売っていた。
やっとのことでホステルに到着するが、ベルを10回以上鳴らしてもでない。
10分、20分、30分。
時間だけが経つ。
さっさと荷物を置いて、ウクライナ日本センターの図書館に生きたかったので、焦っていた。
「ホステルを探しているの?近くにあるわよ」
女性が声をかけてきた。
「もう予約してるんだ」
「ロシア語は話せる?」
「少しね」
とジェスチャー付きで答えた。
「どこから来たの?」
「日本だよ」
そう答えると、お辞儀をして去っていった。
扉のところにある、別のボタンを押したら中にはいれた。
ホステルのレセプションは暗い。
また10分くらい待たされる。
そうしているとやっと女性が1人、降りてきた。
「長く待ったよ」
「電話してくれればよかったのに」
って。なんだかなぁ。
普通ツーリストなんで現地の電話持ってねぇよ。
「どれくらい待ったの?」
「20分くらいかな」
と控えめに答える日本人。
丸出しのルームメイト
手続きを済ませて入室すると、○ン○ン丸出しで寝ている人と同室になってビビる。
下の段に彼が眠っているため、二段ベッドの上の段に逃亡。
「貴重品は必ずロッカーに!」
そうレセプションの彼女から念を押された。
過去に何かあったわけではないみたい。
○ン○ンにびっくりしたので、彼があとどれくらい滞在するのかをレセプションの女性に尋ねた。
「彼はね、大丈夫。いい人よ。英語も上手」
なんてフォローしていた。
え、○ン○ン丸出しですよ。
彼女を信用するしかなかった。
やっと落ち着いたところで、ウクライナ日本センターの図書館いく。
途中で、大学の構内で2人の学生に話しかけられる。
「フリスビーとかで遊ぶから来ないかい」
18:00前。
図書館を優先したいから、断った。
一応、うち1人とフェイスブックを交換。
その彼、アンドリューは英語が上手。もうひとりはそうでもなかった。
日本人であることを伝えると、アンドリューが日本語で「こんにちは」だって。
やっぱり日本語でいってくれると嬉しいよね。
ウクライナの現実
図書館に入って、日記を広げた辺りで雨が降り出した。
「(雨に当たらなくて)よかったですね」
とナカムラさん。
閉館までの1時間は、あっという間だった。
「今夜もよかったら一緒に食事いきますか。中華なんかどうです」
ナカムラさんに誘ってもらって食べに行く。
食べるところまでは、少し距離がありそう。
マルトリョーシカの乗り場まで歩いていると、1人の女声にナカムラさんが気づく。
オーリャさんという方で、この人も日本語が上手。
一緒に中華のお店に行くことに。
マルトリョーシカに乗ると、お金がないことに気づいたナカムラさんは、お金をおろしに行った。
自分たちも一度降りて、彼の戻りを待つ。
オーリャさんにウクライナの仕事で、夏休みがあるのか、残業代は出るのか、時間通りに帰れるのか、そんなことをきいた。
これだけ日本語が上手なのに、日本にはまだ行ったことがないという。
優秀やん。
10分ちょっとでナカムラさんが戻ってきた。
マルトリョーシカに乗って、5フリヴニャ(当時、約25円)。
彼女は、ナカムラさんと会ったときにはすでに日本語が話せていたという。
今年には、日本語検定のN1にチャレンジするそうだ。
ナカムラさんにウクライナの平均月収が2万円というのをきいたら、本当だという。
だいたい、ひと月に100から200USドルという。
日本のように、年功序列はないので、全体で、ということにはなるが。
そう話す彼の顔が少し曇った気がした。
ノロノロ走る車。
今は、法律が変わってマルトリョーシカも基本バス停で止まるそうだ。
昔はロシアのようだったとか。
1度中華料理のお店を通り過ぎて、外観を見て、そして下車。
店内へ。
中華料理の卓はみんなで囲む
プレハブ小屋みたいなお店。「徳林飯店」に入る。
中国人メニューがあるらしいが、それは中国語が読み書きできないとダメらしい。
昔、ナカムラさんがウエイトリフティングで選手として活動していたとき、中国料理を注文していた、台湾チームのおこぼれにあやかっていたと笑っていた。
1995年頃、宮沢りえたちのアイドルが、台湾で人気だった頃のこと。
ナカムラさんオススメなのは、1.2kgのボリューム満点のお安い鶏と野菜のデカ盛り。
ただこれは、40分くらいかかるらしく、時間が合わないオーリャさんによって却下となった。
あとは、彼女は卵を食べられない。子供の頃に食べすぎたためとか。
牛、豚、鶏、そして腸の部分、そしてお米(リース)を注文。
この間に、1人の日本人が入ってきて、ナカムラさんが声をかける。
どうやら顔見知りの様子。
彼も一緒に入り、気がつけば4人での食事となった。
料理は、激ウマ!とはいかないが、どれもそこそこ美味しい。
とり天を甘いケチャップソースであえた料理は印象に残っている。
牛は、細切れの炒めもの。
豚は麻婆豆腐。
腸の料理は、野菜炒め風で、塩味が聞いている。
ご飯は甘みが少なくてパサパサ。
それでもおかわりするほどの味はあった。
さっき来た男性は、ウクライナの友人と部屋を借りて生活中。
8月の中旬には、ビザの90日に達する。
リエントリー(再入国)するつもりらしいが、ナカムラさんは3か月は無理だろうといっていた。
かわりに日本に戻って学生としての手続きを勧めていた。
彼は、ポーランドでバレリーナをしている人にロシア語を習っているようだ。
Skypeで。
楽しい時間はあっという間に過ぎてお会計。
ナカムラさんが少し多めに出してくれた。感謝。
セルフィーを撮って解散。
日本語でも難しいコミュニケーション
男性が名残惜しいと飲みに誘ってきた。
ナカムラさんとオーリャさんは、翌日お仕事。ここで別れた。
メトロ行きのマルトリョーシカまで案内してもらっていく。
男性は、不思議なヤツで会話がはっきりしない。フワフワしている。
飲みに誘っておいて、場所はさっぱり知らないという。
23:00の友人を待てないか、スマホ持っていない彼と連絡はつかないけど、などなど。
ウケるわ。
21:00を回っていたし、メトロの最終も気になっていたので、彼が知っている独立広場までいって、彼の友人との合流は諦めることに。
物価の安いこっちでお店を出したいらしく、最初はセルビアに行っていたそう。
そこで日本人にウクライナを勧められてウクライナへ。
それでも最初に到着したオデッサで睡眠強盗に会い、身ぐるみはがされて日本に帰国。
それでもまたウクライナに戻ってきた彼。危なっかしいなおい。
人と目を合わさない。そして会話がぼやけている。
話していて、正直楽しくない。
独立広場では、ジェイコブが言っていた、音と水と光のイベントをやっていた。
多くの人たちがその光景を見守っている。
その横を過ぎて、適当なバーへ。
そんなに高い店ではなく済みそう。そう思って中へ。
彼が以前、日本の人と飲んだときにその人が連れて行ってくれたお店だという。
地下にあるそのお店。店員の顔に表情はなかった。
不味い!もう一杯?
安いビール2つと、ペプシを1つ。
彼は飲みに誘っておいて、お酒が飲めないという。
「こういう人といるときは飲むんだ」
っていうが、ビールをこれまた苦くて不味そうに飲む。
最悪を通り越してウケる。
ウクライナの友人に紹介してもらった女性に振られて、ウクライナはもういいらしい。
仕事よりもこっちの人と結婚したいそう。
もう話がメチャクチャだった。
90日たったらセルビアに戻るとか。
ロシア語も上手になってから話すという。
また、単語を100個覚えたらと。
英語は、翻訳機が使えるから話せる扱いらしい。
反面教師とはこのこと。
このままでは、何も得られないタイプだろう。
家にも引きこもりがちだというし。
彼には苛立つが、学ぶこともある。
自分の負というか、影の部分を見せてもらったと思う。
旅人も気を使って彼には何も伝えていない可能性があったので、お説教的な話をした。
良いか悪いかよりも、今の自分に気づいてもらいたかった。
会計の値段がおかしかったので、確認をしてもらったが、わからずじまい。
彼の分のペプシっぽいので、判断は任せておいた。
ペプシ500mlが54フリヴニャ(当時、約270円)は高いと思う。
彼、スマホをなくしたと騒いだと思った結果は、帽子の下におしていたとかね。
帰る頃には、噴水のショーは終わっていた。
彼がお酒飲めないなら、ジュースを買ってショーを見るだけでよかったのに。
彼からお酒についてきかれたとき、飲むのかどうか聞き返すべきだった。
相手の情報をなるだけ得てから、意思の決定をする。
大切なことだと思った。
普段、彼は会った人とはメアドの交換するらしい。
自分とはしなかった。
「ここまでバカにされたのは初めて」
今まで他の人が気を使ってきたのかがわかる。
メトロで彼と別れてさようなら。
同い年で経営者の日本人
ホステルに戻る。
ホステルでは、1人の男性がパソコンに向かっていた。
「あ、日本人」
そういって会話が始まった。12時頃。
Sさんという彼は、自分と同い年。31で仕事を辞めてオランダへ院生として留学して2年。
卒業後に独立してやっている。
いまは1日に10から20ドルを稼ぎながら、旅をしているという。
自分より背は低いが、トレーニングをしているのか体つきはしっかりしている。
話しかけたときは、翻訳の仕事をしていた。
旅の話を主に、彼のこと、自分のことを話した。
格安チケットのサイトのシークレットフライングのこと。
ポルタヴァ料理のガルーシュカがおいしいこと。
また、オフローシュカもいいこと。
彼は、英語はもちろんスペイン語もいける。
今はロシア語をやっているそうだ。
Rまくんのいっていたように、語学を学ぶときの新鮮さが欲しくてやっているとか。
同室の女の子に話しかけて、近づいてスマホを覗かせるまでコミュニケーションがとれている。
さっき、Iわくんと会っていた分のギャップがすごかった。
語学を身につける人、身に付けない人、1日に同時に会えたんだ。
自分は今、どちら寄りか、そしてどうなりたいか。
改めて考え、気付かされた。
自分はやはり話したい、コミュニケーションをとりたいと思う。
彼はベラルーシに滞在してから、ポーランドに向かうという。
9月にはエストニア、10月にはロシア経由で帰国するらしい。
ロシアのSIMカードのことを伝えておいた。
エストニアには仕事らしい。
彼は、5年はおとなしくするそうだ。
5年以内に会社が倒産する率は、85%。これを乗り切ったことにするためらしい。
ジョークが好きな彼。どこまで本気かは読めなかった。
オランダの図書館を勧めてもらったりもした。
スマホのメッセンジャーで、ウクライナの国旗を2つ並べて送ると、バグってUSAになるのを教えてもらった。
話は尽きずに朝の4:00。
ここからシャワーを浴びて寝ることにした。
彼は仕事を仕上げるといって、起きていた。
入室時に○ン○ン丸出しだった彼は、見違えるようにスッキリとして好青年化していた。
Light Life Hostel
4泊:680フリヴニャ(当時、約3400円)
1泊延泊:170フリヴニャ(当時、約850円)
ランドリー50フリヴニャ(当時、約250円)
ドライ50フリヴニャ(当時、約250円)
補足
旅日記を応援してもいい方へ
最後まで読んでくれてありがとうございます。嬉しいです。
このブログは、広告料で維持しています。
普段のオンラインでの買い物を、下のリンクをクリックしてから買っていただくだけでOK。
私のモチベ維持にもつながるので、可能な範囲でよろしくお願いします。