11年務めていた会社をやめて35歳から始めた旅の記録
2017年5月出発した旅のことを、記憶と記録を頼りにつづってみようと始めました。
書き方などはだんだん良くなるはず(笑)なので、見守っていただけると嬉しいです。
※途中、記憶違いや文章の構成的にフィクションが入るかもしれません。ご容赦ください。
巡った順序 → 日本 → (韓国) → ロシア → フィンランド → スウェーデン → デンマーク → ノルウェー → エストニア → ラトビア → リトアニア → ベラルーシ → ウクライナ → ポーランド → ドイツ → チェコ → オーストリア → スロバキア → ハンガリー → ルーマニア → モルドバ → (沿ドニエストル共和国) → モルドバ → 続く…
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こんにちは、mickです。
この日はほとんど雨だったため、たまっている日記を書くことに専念。
と言う割には、行動はお昼からだったのでのんびりしたもの。
夕方からは。ホステルで出会った同い年の日本人と食事とお酒。
海外では、余りお酒でハメを外さないように気をつけいたものの、この日はやっちまった。
寝落ちしたのがホステルで良かった。
翌朝?記憶はございません。
日付:2017年7月28日(金)キエフで同級生と酒盛り
日付:2017年7月28日(金)
地域:キエフ
天候:雨のち曇り
雨の日はのんびりする日
朝、早く起きて行動するつもりだったが、外は雨。
出かけるのがおっくうになって、ゴロゴロしていた。
少し、休みすぎただろうか。
かつて、アメリカのニューヨーク滞在では怒涛の日々でできなかったこと。
しっかり食べて、しっかり寝る、がここ海外でも出来ることを実践できたと思う。
このホステルのメンツも、朝はゆっくりな人が多い。
ただ、窓を開けていると車、そして建物の工事かなにかでドリルやハンマーでの粉砕音がうるさい。
夜はとても静かなのだが。生活、というキーワードが頭に浮かぶ。
昼、追加の仕事で寝るのが遅くなったというSシが起きてきた。
今夜、ホステルのみを考えていたが、夜ご飯一緒に、ということで彼のスマホが直る19:00すぐに待ち合わせることに。
2人とも外でもネットが使える環境は整っている。
ベッドで日記を書こうとするが、どうも書けなかった。
気が散るというか、書く姿勢そのものに無理があったというか。
プラムはエストニアを思い出す果物
いまのうちにと、実家に電話をかけた。
母がでて、眠れているか、食べれているか、を心配していた。
姉に言伝を頼んでおいた。
どこでも日記が書ける、そういう自分にするにはどうすればいいか、工夫が必要だ。
Sシが市場でぶどうやトマトを買ってきたのをみて、自分も行ってみた。
野菜やフルーツ、肉を中心に売っていたスーパー。
プラムを久しぶりに食べたくて、3つを18.80フリヴニャ(当時、約100円)で買った。
残念ながら、美味しくない。甘みがなかった。
エストニアでの味が一番美味しい。
Sシは、Skype で日本のメンバーと通話を始めた。
名前を次々と挙げる彼に感心しながら、夜の連絡を待つジェスチャーをして、自分はまたウクライナ日本センターの図書館へ日記を書きに行く。
日課の日記は図書館で
大学の構内では、ウェディングフォトをやっていた。
雨が上がってよかったね、なんて思いながら歩く。
この日の図書館は、ロシアのサンクトペテルブルグに留学していた人が、帰国の途中に立ち寄っていた。
少し話をしたものの、電話がかかってきて外に出ていってしまった。
昨日は、色々あって、嬉しい反面、日記がたまって大変になっていく。むむむ。
この日は、閉館の19:00まで滞在。
雨の中、Sシからの連絡を待ってみる。
結局はこちらから連絡して話が進んだ。
ひどくなってしまった雨の中を濡れながら歩いた。
手荷物、特に日記とカメラは心配だったが、木陰に隠れながら歩く森の中はすごく清々しくて気持ちよかった。
旅慣れた人の姿から学ぶ
Olimpiejska のメトロでSシと待ち合わせ。
彼がいったことがあるウクライナ料理のレストランへ入る。
彼は以前、この辺りに滞在していたことがあったようだ。
さすが、彼はロシア語を使ってウェイトレスにしょっちゅうちょっかいをだしていた。
ジョークを考えては Google翻訳にかけて、それを相手に見せる。
おばさんを玉ねぎにみたてり、おじいさんを農家にみたてたり。
女性には話しかけるという彼。
そりゃすぐに語学を習得するわけだ。
ビールとサラダ、ハンバーグにスープ、肉とたくさん注文。
23:00を過ぎるまで語りあった。
彼は、8月15日にポーランドのワルシャワに居るらしい。
再会の約束をした。
ポーランドから先の予定を聞かせて欲しいといわれて、困る。
大して先の予定は決まっていないから。
まあ、ポーランドに居る頃にはなにか決まっているだろうって楽観している。
お酒も入っていたせいで、大して覚えていない会話の内容。
それでも同い年での食事は本当に楽しかった。
彼が2度トイレにいったことを何故か覚えている。
ホステルで飲み直し
2人で734フリヴニャ(当時、約3675円)と大金を使った。
ウェイトレスの女の子には、さんざんお世話になったな。
彼は、彼女に志村けんのアイーンまでさせようとしていた。
彼女も少し答えようとしていたのに驚く。
メトロでホステルまで戻り、24Hスーパーでビールにアイスクリーム、牛乳を買って帰り、ホステルで飲み直し。
久しぶりに1リットル以上のお酒を飲んだ自分は寝落ちしていた。
途中、韓国の男性が参加してきて、女の子の話で盛り上がったり、ウクライナの男性に上に誘われたり。
自分というより、Sシのエネルギーに巻き込まれたと思った。
自分は彼から何を学べただろうか。
補足
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