【旅の記録】グダンスクからトルンへ移動:ポーランド【87】

ポーランド

11年務めていた会社をやめて35歳から始めた旅の記録

2017年5月出発した旅のことを、記憶と記録を頼りにつづってみようと始めました。
書き方などはだんだん良くなるはず(笑)なので、見守っていただけると嬉しいです。
※途中、記憶違いや文章の構成的にフィクションが入るかもしれません。ご容赦ください。

巡った順序 → 日本 → (韓国) → ロシア → フィンランド → スウェーデン → デンマーク → ノルウェー → エストニア → ラトビア → リトアニア → ベラルーシ → ウクライナ → ポーランド → ドイツ → チェコ → オーストリア → スロバキア → ハンガリー → ルーマニア → モルドバ → (沿ドニエストル共和国) → モルドバ → 続く…

初めての方はコチラから → 11年務めていた会社をやめて35歳から始めた旅の記録と記憶

こんにちは、mickです。

いろんな思いが巡ったグダンスクを離れる日。
少しなんかして、古都であったトルンの街へ。

ここは、ウクライナのチェルニウツィで出会ったおじいさんから教えてもらっていたこの街。
話にきくまで知らなかったけれど、来てすぐに気に入ってしまった。

トルンから離れる日にあの事件がなかったなら…

日付:2017年8月13日(日)古の都市トルン

日付:2017年8月13日(日)
地域:グダンスク、トルン
天候:晴れ

靴下がない

トルンへの移動の日。
朝10:30がチェックアウトなため、いつもより早く起きて朝食へ行く。
その前にランドリーをピックアップ。
数を確認すると、赤の靴下の片方がない。
やられた。

スタッフにいって探してもらう。
洗う前と洗う後、と確認するべきだった。
これだから人任せは嫌、と思った。

探している間、朝食をとる。
前よりは質素な朝だった。
また、お昼のためのサンドイッチとチーズとサラミのみ。
スタッフは、昨夜と変わっているので、らちがあかずに謝罪もなし。
「わたしやってないし」
みたいな。

トルンへの移動のバス

なんとかランドリー代金10ズウォティ(当時、310円)は返してもらった。
これで新しい靴下が買えるかは知らないが。

もう少し早く出て、美術館をのぞきたかったが、靴下のドタバタで10:30になった。
トルンへのバスは12時。
旧市街をみながらいったら、バスターミナル到着が11:45とギリギリ。

狭いバスに乗ってトルンへ。
車内では、日記を書きながら進んでいく。
隣は、ポーランドの女の子。
なにもないよ。

古い都市トルン

時間取りにトルンのバスターミナルに着いて、そこから旧市街の中心にあるホステルに向かう。
旧市街は、いい感じですぐに好きになった。
チェルニウツィで会った石関さんが気にいるのもわかる気がした。
ベビーカーを引く小さな女の子がかわいい。
少しズボンが短すぎる、そう思った。

ホステルは、旧市街の中心にあって、とてもいいところ。
外が賑やかではあるけれど、楽しい賑やかさでよい。
スタッフのおばさんも親切。部屋もきれいですぐに気に入った。

窓側の下のベッドを選ぶ。
後で、ポーランドの女性が来るらしい。
15:00を過ぎていたので、ドイツ騎士団の旧城跡へ向かう。
グダンスクも良かったkれど、歩きやすさとサイズはトルンの方がいい。

ドイツ騎士団の旧城跡へ

川をみながら進んで、入り口に迷いながら旧城跡の中へ。
9ズウォティ(当時、約270円)。
城跡としては規模は小さいが、辺に手を加えていない分いい。
跡それぞれの説明、塔の中での紙芝居、攻城兵器の復元、地下室の展示などがあった。

攻城兵器は、昔の造りを再現していてよかった。
釘も使っていない、木の杭でとめることで造っていた。

数のところに現代アートの展示があったが、理解できないでいた。
翌日は月曜で、いってみたかったコペルニクスの生家へ向かう。
でないと、休館日にあたってしまう。

コペルニクスの生家

ホステルの裏手にある家、それがコペルニクスの生家。
13ズウォティ(当時、約400円)。
何があるわけではないが、ここでコペルニクスが何を考えて何を思い、何をしてたのか、想像するだけで、当時にタイムスリップできる。

中は広くて、お金は持っていたようだ。
早くに母を、そして銅の商人だった父をなくして、叔父の所で育てられたとか。
面白いのが、彼が何人かということで、論争になって、今はドイツ系ポーランド人でおちついていることだ。

彼の残した書物は、ポーランドで書かれたものは確認できていないそうだ。
彼の部屋の展示や天動説をとなえたことについての展示があった。
心理学を学んだときに彼の話が出てくるので、来ておきたかった。

新しいルームメイト

疲れたのでホステルに戻って休む。
すると、一人の男性が新しく入ってきた。
名前は、アンディ。
早口で英語を話す。
ラテンな奴で、彼と自分のテンションの違いから、かなり警戒してしまった。

食事や散策に誘われたが、休みたいから断った。
ラテン系ということはスペイン語を話すのだろう、そう思っていたら、ボイスメールでイタリア語を話し出す。

何者だこの人は。
彼は、足を怪我して仕事の休み中。
何かパフォーマンスをやっているらしい。

トルンの市庁舎の塔

少し休んだあと、19時過ぎて旧市街の塔に登った。
旧市街を見渡せるビュースポットだ。

通路がやっと人ひとりが通れるくらいなので、狭いのが難点。
近くにある川がとてもこの街にマッチしていた。
ヴィスク川というそう。
ここに20時の閉館まで滞在していた。

すべてが名残惜しかった。
係のおじさんの声で降りていく。
係の女性に写真を撮ってもらった。
上手だった。

それに心が嬉しかった。
笑顔っていい。

高級バーガー

サトシがワルシャワに入るのが15日ということで、自分もそれに合わせることにした。
それで、トルンの宿を延泊。
夕食にマクドナルドに行きそうなのを抑えて、バーガー屋へ。

Tokyoバーガーが気になるが、パイナップルが入っているので止めて、ダブルバーガーにする。
22ズウォティ(当時、約670円)と高い。
出てくるのに時間がかかったが、しっかりした焼き具合で満足した。
ケチャップや塩を付けて味を楽しむ。

お腹がふくれたところだが、スーパーで買ったビール2本とスナック菓子を持って夜の街へ。
川辺のベンチでビールとスナック菓子をとる。

美しい夜

少し肌寒い空には空が。
そういえば旅の間、あまり星をみてなかった、そう思った。

ゆっくりした時間が川の流れのようにすぐ去っていく。
衛星が飛んでるのがハッキリ見えて感動した。

美しい夜だった。

フェイスブックにひさしぶりに投稿した。
「飲んだくれているよ」
「無事だよ」

城壁ぞいに歩き、ビール2本目を夕方に言った城壁跡で飲む。
カジノがある。
旅の先輩もここに来たことがあるんだろうか。
本当、ギャンブラーはどこでも勝負ができるね。

アイスを食べてホステルに戻って、寝る準備。
シャワールームで、音楽を流すほど充実していた。
上がつつぬけなのは、後で気づいた。

日記をキッチンで書いて、ベッドでは懐かしい映画フィフス・エレメントをみて夢の中へダイブしにいった。

補足

旅日記を応援してもいい方へ

最後まで読んでくれてありがとうございます。嬉しいです。
このブログは、広告料で維持しています。

普段のオンラインでの買い物を、下のリンクをクリックしてから買っていただくだけでOK。
私のモチベ維持にもつながるので、可能な範囲でよろしくお願いします。