【旅の記録】メキシカンとトルンと:ポーランド【88】

ポーランド

11年務めていた会社をやめて35歳から始めた旅の記録

2017年5月出発した旅のことを、記憶と記録を頼りにつづってみようと始めました。
書き方などはだんだん良くなるはず(笑)なので、見守っていただけると嬉しいです。
※途中、記憶違いや文章の構成的にフィクションが入るかもしれません。ご容赦ください。

巡った順序 → 日本 → (韓国) → ロシア → フィンランド → スウェーデン → デンマーク → ノルウェー → エストニア → ラトビア → リトアニア → ベラルーシ → ウクライナ → ポーランド → ドイツ → チェコ → オーストリア → スロバキア → ハンガリー → ルーマニア → モルドバ → (沿ドニエストル共和国) → モルドバ → 続く…

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こんにちは、mickです。

気に入ったトルンに滞在。

前日に知り合ったメキシコからの旅人と過ごした。
日本のことに興味を持てくれていたので、すごく話がしやすかったと思う。

結局メキシコにはいけてないままなので、なんとか機会を作って会いたいもんだね。

日付:2017年8月14日(月)メキシカンと過ごす

日付:2017年8月14日(月)
地域:トルン
天候:晴れ

教会の鐘の音で目を覚ます

教会か。
旧市街舎の鐘の音で目を覚ます。
ポーランドの女性は出発してもう居ない。

アンディは戻って来てまた寝たようだ。
昨夜、そうするって話をしていた。
自分も朝食のシリアルを食べて、またベッドでまどろんていた。

ワルシャワ行きのバスを考えていた。
行動しようと準備をしていると、アンディが起きた。
一緒に散策するか迷った。
どこかなにか信用できなかった。

だが、昨夜、台所を片付ける様子をみたとき、そして瞳を見たときに、大丈夫、そう思った。
チャンスも少ないので、待ち合わせをするように声をかけて、そして13:00にホステルの雨と決めた。
「両替とかで時間が欲しい」
利害一致。
自分もキャッシュを下ろすのと、日記を書きたかった。
そして、食事は別がよかったので、同意した。

ワルシャワ行きの準備

ウッチでおろした銀行と同じミレニアム銀行を見つけたので、200ズウォティ(当時、約6200円)。
外の騎士団の城壁の周りで日記を書く。
日差しが強い。
日陰のあるベンチを探すのは大変だった。
結局は、日の差すベンチで書いて、また移動して立ってそのまま日記を書いた。

昼食へ移動するときに、日陰のベンチを確保したおっさんがビールを飲んで座ってた。
少し汚い、なんて思った。
身なりはロックな感じで悪くなかったんだけれど。

お昼はホステルが勧めてくれたカフェでパスタを食べた。
少し、細めでやわらかめ。
野菜中心で味は好き。
15%クーポンがあって、ありがたい。
14.45ズウォティ(当時、約500円)。

男性の店員は、スマイル頑張っていた。
女性の店員は、暗かった。

13:00がせまってたが、ホステルでベッドの移動をする。
朝、おばさんに延泊前に約束してたからよろしくってことで動いた。
そしたらスタッフが男性にかわっていて、いい感じはしなかったが、同じことを言われたため、サクッとやって外へ。

日本とメキシコ

アンディを待つ。
入れ違いになったみたいで、彼はホステルの中まで探しに来てくれていた。
彼と一緒に街を歩く。

川辺ではイベントをやっていて、子供用のゲームで遊ぶ。
○☓ゲーム、神経衰弱、引き分けと勝ち。
彼は顔が明るい。
読めないけれど、いいヤツ。

「ところで、何ヶ国語話せるの?」
「わかんないな」
すごい回答が返ってきた。

メキシコからきたらしいけれど、実際はほとんど国には返っていないみたい。
「よく母親に心配されてるんだよな」

露店を見て回って、ソーセージと鶏肉ステーキをそれぞれ買って、ホステルで彼のビールで1杯。
「メキシコは、第2次世界大戦に参加してないから、戦争をした日本を知りたいんだ」

原爆が落ちたところ
なぜそこだったのか
何発落ちたのか
何かモニュメントがあるのか
首相の名前は、そしていいヤツか

「いまの首相は、操り人形だな」
「マジか(笑」

「メキシコのことの首相はどうなんだい」
「日本とあまり変わらないね。バックにはマフィアしかいない。なにより国の中で戦争ばかりやってる」

この話はきいたことがあったけれど、事実なようだ。
「まあ、日本にも戦国時代あって、国の中で戦争ばかりやっていた時代があったよ」
ということは伝えておいた。

「君の家族に戦争の犠牲者はいる?」
「祖母の旦那は戦争で亡くなったよ」

彼はアクシデントで足を悪くしていて、まだ痛むそうだ。
それで、石畳の上を歩くのを避けていた。

聖ヨハネ大聖堂に入るとき、日本、そして自分の宗教についてきかあれた。
神道と仏教の話をするも、簡単ではなかった。
日本はほとんどの宗教を認めている、という話をした。
「え、イスラム教も?」
と少し驚いていた。
あ、彼の宗教をきくのを忘れていた。

「この教会は、コペルニクスが祝福を受けた場所なのよ」
ポーランドの女性っぽい人が教えてくれた。
「この上にも登れるのよ」
とも教えてくれたが、有料だったのでやめた。

「気に入った路地の写真を母親に送るんだ」
彼は、城壁の方向にいって写真を撮ってた。

別れの時間

彼のバスは、17:10。
16:00を過ぎたので、ホステルに戻る。
自分も少し休憩に一緒に戻った。
アンディは出発の準備を進めて、自分はワルシャワ行きのバスや今日行っておきたい教会を見ていた。
なぜか彼は、道に弱い風。
旧市街の入り口まで送ることにした。

短い間だったが、やはり別れは寂しい。
彼とはフェイスブックでつながる。
「メキシコにくるときは連絡をくれ」
カンクンから近い、プラヤ・デル・カルメンに住んでいるらしい。
「キレイな海が待ってるぞ」

旧市街の入り口でセルフィーとを撮って別れる。
しかし、マップでは進む方向が同じ。
そして、ファンがチェルニフツィで自分を見送ってくれたことを思い出したので、彼をバスターミナルまで見送ることにした。

窓口でチケットを買おうとする彼。
ポーランドで、あっちよ、と言われて戻ってきた。
おそらく、運転手から買えってことだろう。

彼は、目がとてもいいみたいで、30m先の小さな文字、時刻表を読んでみせた。

乗り場の時刻表をみるかぎり、17:10のであってそう。
あとはチケットが本当に買えるかどうかだった。
お互い、いや特に彼は不安だったと思う。

プランBの列車は乗り場まで距離がある。
17:00のバスがでて、いよいよ彼の乗るバスがきた。
ハグをして、見送る。

彼がバスターミナルを出るまで手を振った。

これからの準備

彼を待つ間に、ワルシャワ行きの早朝便を予約した。
トルンからワルシャワまでは、3時間30分なので、特別席を予約してみた。
25ズウォティ(当時、約750円)。

旧市街の外にあるカトリック教会、そして中にあるカトリック教会。
中にある方は、イエスのはりつけ像が血までリアルに再現されていて、臨場感たっぷりだった。
しばらくの間、見入っていた。

SIMカードのトップアップをしに、通信会社のストアへ行くが、18時には閉まっていた。
切っても買っておきたくて、24Hと表示のある郵便局へ。
本当開いているか懐疑的だったけれど、開いてた。
切手とポストカードを入手。ひとまず安心。

軽くなったはずの荷物が重いので整理を始める。
主に紙の削減だ。
厚紙はまず捨てる。
地球の歩き方の表紙を破って捨てた。

紙一枚まで気を使った。
Eちゃんたちへのお土産がそこそこの質量を感じさせてくれる。
あとは、日記の分。現行のを合わせると、3冊。
ポーランドに入ったら一緒に送るつもりだったが、ウッチで会うことになったのでずれこんだ。
これを完了するのに20:30までかかった。

その間、誰も戻ってこないので助かった。
白のシールを黒いメガネケースや充電器につけて、さらなる準備をした。
これで暗くても道具を見つけやすくなる、とKばさんに教えてもらっていたから。

遅かった行動

外に出て、Uださん用のお菓子を探しに出たが、ときすでに遅くてお店が閉まっていた。
マクドナルドでダブルバーガーとハンバーガーを買って、食べながら撮るんの最後の夜を過ごす。

ホステルに戻ってシャワーを浴びたあとは、他の3人が部屋に居た。
あいさつだけしておく。

明日の朝は早いから、バックパックにすべての荷物をいれて、すぐに持って出られるようにしておく。
7:10のバスでワルシャワ。6:30にはでないといけない。
つまり、6時前には起きてないとマズイ。

外が少し騒がしい。
このことに少し気をつけるべきだった。

それよりもワルシャワでEちゃんたち、そしてサトシに会えるのが楽しみだったんだと思う。

補足

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