【旅の記録】第2次世界大戦が始まった地グダンスク:ポーランド【86】

ポーランド

11年務めていた会社をやめて35歳から始めた旅の記録

2017年5月出発した旅のことを、記憶と記録を頼りにつづってみようと始めました。
書き方などはだんだん良くなるはず(笑)なので、見守っていただけると嬉しいです。
※途中、記憶違いや文章の構成的にフィクションが入るかもしれません。ご容赦ください。

巡った順序 → 日本 → (韓国) → ロシア → フィンランド → スウェーデン → デンマーク → ノルウェー → エストニア → ラトビア → リトアニア → ベラルーシ → ウクライナ → ポーランド → ドイツ → チェコ → オーストリア → スロバキア → ハンガリー → ルーマニア → モルドバ → (沿ドニエストル共和国) → モルドバ → 続く…

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こんにちは、mickです。

グダンスクが第2次世界大戦が始まった土地だと強くしると興味が湧いてきた。
どういうことかというとーー
ドイツ軍がポーランド侵攻で最初に攻撃したのがここグダンスクだったわけ。

日本の歴史では、第2次世界大戦は真珠湾攻撃で始まったように伝えてる気がする。
あくまで日本が戦争に参加したのが真珠湾攻撃なだけで、世界的にはドイツ軍のポーランド侵攻が第2次世界大戦の始まり。

この土地を守るために多くの人が犠牲になったと思うと胸がいっぱいになる。
日本も参加した大きな戦争。
アウシュビッツ強制収容所のあるクラクフにいく人は多いけれど、どれだけこちらに来ているのかが気になった。

日付:2017年8月12日(土)台湾女子にかわされる

日付:2017年8月12日(土)
地域:グダンスク
天候:曇り

台湾からの旅行者

昨夜の遅くに帰って来た人がいびきメーカーだった。
なかなかいびきのかかない部屋に当たらない。
不思議と観察してるもので、体が大きい、年配、お酒が入っている、そんな点が共通点。

グダンスクには留まることにしたけれどもホステルを移動する必要がある日。
昨日と同じようにお昼のサンドイッチを作りつつ朝食をとる。

アジア系の女の子がまるいうちわ風の紙に漢字を書いていた。
それで最初、日本人かと思って日本語で話しかけると違った。
台湾から来たという。
狭いキッチンに2人座って話をした。
なまりは強いけれどもしっかりと、そして堂々と英語を話す彼女。

家族で日本に行った時の話。
お大阪では巨大な芋を食べたようだけれども、それが何かを知らなかったみたい。
「人が列を作っていたから興味を持って食べてみたの」

誘いをやんわりはっきりかわされる

今は学生で、ヨーロッパを旅行中の彼女。
ポーランドは、クラクフがとても気に入っていた。
zakopane でのトレッキングをオススメしてくれた。
また、台湾に来たらぜひ連絡をってことで、フェイスブックを交換。
セルフィも撮った。

彼女は、1か2か月くらいでもうすぐ帰国だそう。
クラクフでは、ホステルでカメラを無くしたとか。
でも、盗まれたとは一言も言わない。
彼女の優しさと純粋さを感じる。

今日は人にすごくオススメされた、Spot に行くそう。
戻ったら旧市街を散策するんだとか。
旧市街の散策は一緒に、と誘ったけれど伝わっていない。
というかうまくかわされた気がする。

買い物が楽しい街

彼女と話し込んでいたらチェックアウトの時間まで30分になり、慌てて準備。
チェックアウトをして、荷物を2つ預けたらさすが無愛想なスタッフ。
「2つも!」
なんてことを平気で言う。
「怖っ」と日本語で発散しつつ退散。
散策へ。

グダンスクの旧市街では蚤の市が開かれていた。
たくさんあり、とても活気がある。
アンティーク、食器、コイン、カメラ、お土産、はやりの電子機器クリーナー、果物の調理器即売会、革製品、リネン。

コノタビで初めて市場をみてワクワクしていた。
Eちゃんたちにお土産を買おうと散策。
いい感じのするお店で巾着みたいなものを買った。

彼女には青いイメージがあるので、青い花がプリントされたやつ。
サービスでカレンダーが付いてきた。
2人のおばさん店員も顔がハッキリ、笑顔バッチリで最高だった。
JこさんやKらさんの分も考えたけれど、ひとまず保留。

フォトジェニックなグダンスク

グダンスクの旧市街の街並みはとてもきれい。
フォトジェニック。
パンみたいな伝統的っぽい食べ物、アイスクリームも人気。
川を挟んで見る旧市街では、コペンハーゲンの街並みを思い出させた。

綿100%のズボンと上着に惹かれながらも価格とベルト通しの無さから見送り。
6000円くらい。

その場所とモニュメントを見に、ヴェステルプラッテ へ。
バスも考えたけれど自転車をレンタルしていくことにした。
片道30から40分ちょっとのサイクリングになる。

iPod の音楽を聴きながら走る。

幹線道路沿いは、サイクルロードがあるため道がわかりやすくそして走りやすい。
ほとんど坂もなく、距離だけがあった。
中心地を離れれば、港町のため、大きなコンテナ置き場やクレーン場がいくつもある。
両サイドは林。
地図アプリを持っていなかったら不安になるところだ。

【第2次世界大戦の始まりの地】ヴェステルプラッテ

目的地のヴェステルプラッテに到着。
そこはバルト海に面していて肌寒い中、海水浴を楽しむ人々の姿があった。
時間も使っているため、まずはモニュメントまで行く。

物見台がこの地のかつての役割を物語っている。
所々に歴史を説明するプレートがある。
宿舎の跡もある。
ドイツが侵攻してきたとき、ポーランド側の防人で返ってきた人はいない。

林を抜けて、近くまで自転車できた。
丘の上は歩くしかない。
ミニトマトみたいな植物をみながら坂を登っていく。

くるくるすすんで中心地にモニュメントがある。
南米の木彫りの像をイメージする、デガイン。
何を表しているのかは知らない。

NO MORE WAR

下を見ると本にあった【NIGDY WIFCEJ】
つまり【NO MORE WAR】
の文字が見える。

この地、ドイツがポーランド侵攻した1939年9月1日から第2次世界大戦が始まった。
そして日本も1941年12月8日に真珠湾攻撃を通じて参戦し、そして敗戦した。
日本と海外では、戦争の始まった日付が違うことに注意。
自分と血のつながった人々も戦争に参加している。
命を落とした人もいる。

いまは観光地として多くの人が記念写真を撮っている。
ここを訪れる人、どれだけがこの背景をイメージしているのだろうか。
自分は平和のために何ができるのだろう。
言葉にならない想いをもちつつ、移動する。

この地の戦争を説明するプレートをみながら、旧ソ連のやり方「逆らうものは殺す」をこの地で行われていた恐怖を思う。

エストニアを思い出す炊き出し

帰りに通った広場で、炊き出しをやっていた。
6ズウォティ(当時、約180円)で食べることが出来た。
メインが鶏肉ということを除くと、エストニアのハープサルでおじさんと一緒に食べたものと味は似ていた。
なつかしいな。おじさん元気にしているだろうか。

目の前で同じように食事をしている女の子の顔に止まった蚊をどうすることもできなかった自分。
なぜか気になった。

グダンスクのビーチへはちょっとした冒険

自転車を走らせて、別の物見台に登り、バルト海に手を漬けて、そこからビーチに向かう。
maps.me がなかったらビーチにはたどり着けなかっただろう。
船の荷物場の脇にある線路を渡った裏道なんて、普通わかるわけがない。

踏切があるわけでもない。
荷物場は、ゲートになっているので迂回しなければビーチにはいけない。
林の道は、マウンテンバイクだからこそ走れた。

そして砂場帯は降りて自転車をひかないと進めないほど柔らかい砂質だった。
かなりきつい道で、ちょっとサイクリング、な感じではなくなっていた。

大きな犬を散歩している2人はどこからきたんだろう。
maps.me をみながら足を取られないようにして進む。

ようやく道がひらけた。
海の家のように、飲食店がならんで、よい香りがする。
お腹が減ってくる。

自転車を置いてからビーチに向かう。
かなり砂が細かくて、歩くのは難しい。
板のあるところだけをあるいて満足して帰ることにする。
天候が悪いし、肌寒くて。

スウェーデンのマルコス

帰りはトラム沿いのサイクルロードで走りやすい。
帰り道の途中にある、今夜泊まるホステルにチェックインする。
何やらトラブっているようだが、これがクラブとは気が付かなかった。

自転車を返して、前のホステルに荷物を受け取りにいく。
台湾のユァンからメッセージがきてSpotの写真をもらった。

荷物を出して、お土産を整理していると、一人の男性が話しかけてきた。
スウェーデンのマルコス。
日本に行ったことがあるとかで、話をした。

彼は数少ない出身を大分といって知っていた外国人だ。
屋久島を始めとして、九州、京都、大阪、東京。
仕事では浜松に行ったとか。
今度は北海道、特に「スウェーデン村」にいってみたいとか。

(たしか)ベトナムの貧困の村のボランティアのことを話していた。
台湾の子が帰ってくると台湾に行った話になる。
ビールを飲んでいる彼は、調子がよかったようだ。
話が長いので、寂しいのかもしれない。

自分は日本の東と西の話になったとき、東京尾がなぜその名前なのか、栄えている年は多くの古都だった背景があることを話した。
がんばった。

誘いは2度かわされる

20時を過ぎたので解散。
ユァンを食事に誘うも、すでに食べたそうで。かわされた。

別れを告げて今夜泊まるホステルへいくとき夜のグダンスクを歩く。
夜は静かにみえる。
派手なライトアップがあるわけでもおない。

お腹すいた。
ホステルで荷物を置いて、疲れていたけれど夜の街にもう一度。
もう21時を過ぎていたのでかなりお店も閉まっていた。
少し遅すぎた、そう思った。

マルコスの話を切れなかったのがミス。
川辺では人々がお酒を片手に語り合っていた。
少し肌寒い夜。

少しだけお酒が溢れてることで空気が嫌、そう思った。
結局何も食べないでホステルに戻った。
ホステルを出る前に食べたサンドイッチとコーラで満足することにした。

今日もいびきの夜

出していたランドリーを確認すると、「朝がいい」と言われたからそうした。
このとき、衣類の数を確認すべきだった。

お金の整理をしていると、2人の女の子が入ってきた。
最初にいたおじさんを含めて4人部屋。
あいさつていどで終わった。

彼女たちのあとにシャワーを浴びて、日記をキッチンで書く。
静かな夜。

部屋に戻るとおじさんがすでにいびき。
iPodは防水ケースにしたがために通常のイヤホンが入らない。
防水ケースの付属品をなぜ一緒に送り返してしまったのか。

確認しなかったのがミスだった。
このことは、しばらくひきづることになる。

補足

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