11年務めていた会社をやめて35歳から始めた旅の記録
2017年5月出発した旅のことを、記憶と記録を頼りにつづってみようと始めました。
書き方などはだんだん良くなるはず(笑)なので、見守っていただけると嬉しいです。
※途中、記憶違いや文章の構成的にフィクションが入るかもしれません。ご容赦ください。
巡った順序 → 日本 → (韓国) → ロシア → フィンランド → スウェーデン → デンマーク → ノルウェー → エストニア → ラトビア → リトアニア → ベラルーシ → ウクライナ → ポーランド → ドイツ → チェコ → オーストリア → スロバキア → ハンガリー → ルーマニア → モルドバ → (沿ドニエストル共和国) → モルドバ → 続く…
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こんにちは、mickです。
この日は、いよいよ日本を出国する日でした。
船の集合時間までは、コンビニでチケットを印刷したり、もみほぐしにいって身体のメンテナンスしたり。
フェリーターミナルでロシアのお金、ルーブルに両替するつもりができなくてちょっと焦ったのはいい思い出。
フェリーターミナルの韓国のおばちゃんたちに圧倒されるほど、賑わってました。
船が出航して日本を離れると、いよいよ旅にでるなって感じを覚えています。
この日は、お酒を飲みまくるロシア人がいなかったので、静かな夜でしたね。
2017年5月20日(土)鳥取県の米子からロシアのウラジオストクへ(晴れ)
日付:2017年5月20日(土)
地域:大分県の大分から鳥取県の米子へ
天候:晴れ
日本のコンビニはやっぱり便利
前日にロシアでの準備をするのが遅かった分、チェックアウト10時で起きたのは9:30とやらかす。急いで宿についていた簡単な朝食、パンとゆで卵とコーヒーを流し込む。10時ぎりぎりにチェックアウト。
国際線のフェリーターミナルへは17時に付けばいい。それまで時間があるので米子でできることやることにした。まずは、昨夜予約したシベリア鉄道のチケットの印刷。米子駅にあるパソコンステーションでSDカードにデータを写す。これをコンビニの印刷機を使って印刷するわけ。ギリギリでもなんとかなっちゃうテクノロジーって素晴らしい。
あと旅の先輩にメッセージを送ったら、困ったことがあったら連絡を、という返事をくれた。何気ないひと言かも知れない。けれど、そのひと言がこれからを支えることがある、と教えてくれた出来事だった。
出発前の身体のメンテナンス
昨日米子駅に着いたときにチェックしていた、駅併設のもみほぐしのお店テモミジョーズで身体のケアをすることにした。対応してくれたおばさんが印象的な人だった。明るいし笑顔がいい。もみほぐしも気持ちがよくて、2回に分けて合計100分のマッサージ。
祖母に付いていって整体にいっていた経験はある。そのときからすると10年以上ぶりに身体のケアをしたことになる。2回の合間には、船での買い出しのため、昨日行ったイオンで買い出しをする。おばさんとの話。スピリチュアル系な月の話に興味を持ってやりとりをした。終わる頃には名残惜しくて、別れを惜しんだ。お土産に不思議なシールをくれたり連絡先をくれたり。
おばさんの話しによると、このお店は近々閉店する。
境港といえば鬼太郎
15:27発の電車で米子から境港まで移動する。この間の移動は、JR境線「鬼太郎列車」。車両は中も外も鬼太郎のキャラクターだらけ。でも土曜日だというのにこの日の乗客はガラガラ。車内では遅くなったお昼ご飯は米子駅で買った駅弁、カニ弁当。少し酢が効いて酸っぱい。何かの涙に感じる。感動?寂しさ?
境港駅から、国際線へのフェリーターミナルはシャトルバスがでているのでそれでいく。境港駅も、鬼太郎のイラストや銅像が目をひいた。シャトルバスの乗客は、自分とスーツケースをガラガラひいてきた女の子2人。どうも韓国に帰るんだろうと思う。
フェリーターミナルへはシャトルバスで ミニバス
旅の仲間
この日、全然予想していなかったことがあった。今日の船に乗船する日本人がいるということ。フェリーターミナルの中に入ると、人、人、人でびっくりした。ほとんどが韓国の人。ロシアのウラジオストクへと向かう船は、韓国の東海を経由して、2泊3日で目的地に到着する。なんとかあいていたところに座って一息。いきなり人が多いところに入ったから、びっくりしている。そんなとき、1人の男性が声をかけてきてくれた。
「お、日本人かい」
話しをすると、海外に移住するついでにバイクでロシアからユーラシア大陸を抜けるという方。なんと他にも、バイクで旅をする人が3人。さらに、車で旅をするというご夫婦。自分を含めたら、7人の日本人が乗船することになる。こんなことは、珍しいとロシアのタチアナさんもいっていたそう。タチアナさんは、このDBSクルーズにのる日本人なら知らない人はいない。メールでのやりとりや、窓口での支払いは、大体彼女がやってくれるから。
もちろん、他の国の乗船客もいた。スイス人のご夫婦、世界を旅行して韓国に帰るというご夫婦、ウラジオストクに帰るロシアの女性。スイス人のご夫婦は、旦那さんが写真家の方。奥さんは、もしスイスに来ることがあったら連絡を、と名刺を渡してくれた。このウェルカム感が本当に嬉しくて、またいい旅の始まりだと確信した。
出国と出港
乗船時間になって、出国審査。ロシアへの入国は、ビザが必要なのでそこを入念にチェックするくらいであっさりとおしまい。乗船したあとは、自分の寝室であるドミトリー部屋に重たい荷物を置いて、さっそく船のデッキへ。出港する船。日本を離れる様子をみて、やっといよいよ出発、ということを感じた。
「あー、おれ本当に旅にでるんだな」
だんだんと暗くなっていく辺りがまた、時間と自分が前に進んでいる感覚を与えてくれる。ドミトリー部屋では、さっきのスイス人のご夫婦やロシアの女性、車で世界を旅するご夫婦と一緒だった。なにか会話したいなー、なんて思うけれど話題がでてこない。プラス、つたない英語というのを足かせにしていた。挙動不審だったのか、スイスのご夫婦の奥さんから、何か用?といわれるしまつ。日本だとあまりないやりとりで、エチケットみたいなのを学んだ気がする。じっと見るだけなのも、もちろんだけれど、なにかありそうなら尋ねてみればいい、ってね。
バイクや車を持ち込む他の日本人メンバーは、食事付き。自分は食事なし。気を遣ってくれたのか、フェリーターミナルで声をかけてくれた方が、保存食のご飯やらカレーやらをわけてくれた。今夜はイオンで買っておいたカップ麺が夕飯。共同のシャワーを早めにあびて、1人でご飯。早めに布団に入った。今日は疲れた。日記も途中で力尽きて寝落ち。
補足
DBSクルーズの出航時間
船は19時発だった様子。2時間前に港集合で境港17時まで。
2時間前集合は、国際線あるある。
当時は、DBSクルーズというのがあって、船でいける唯一のルートだった。
現在は、日韓関係の悪化、新型感染症流行の影響で、DBSクルーズは航路廃止。
船のドミトリー部屋
窓のない暗い部屋。
床は、めっちゃ汚くて膝をついたらズボンが真っ黒に。
速攻でそこだけ洗いました。
船のお湯の入手方法
カップラーメンのお湯って、売店でもらったような記憶がある。
少し曖昧。
船のトイレ事情
船のトイレは、詰まるという代表的な理由で、紙を流してはいけない。
近くにあるゴミ箱に捨てる。これがまた臭うのです。
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