11年務めていた会社をやめて35歳から始めた旅の記録
2017年5月出発した旅のことを、記憶と記録を頼りにつづってみようと始めました。
書き方などはだんだん良くなるはず(笑)なので、見守っていただけると嬉しいです。
※途中、記憶違いや文章の構成的にフィクションが入るかもしれません。ご容赦ください。
巡った順序 → 日本 → (韓国) → ロシア → フィンランド → スウェーデン → デンマーク → ノルウェー → エストニア → ラトビア → リトアニア → ベラルーシ → ウクライナ → ポーランド → ドイツ → チェコ → オーストリア → スロバキア → ハンガリー → ルーマニア → モルドバ → (沿ドニエストル共和国) → モルドバ → 続く…
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こんにちは、mickです。
この日は、とにかく盛りだくさん。
また新しく日本の方との出会い。
海外で初めての散髪。
さらに海外で初めてのカラオケ。
毎日がそうだけれど、また記憶に強く残る1日。
日付:2017年7月30日(日)海外での散髪って難しい
日付:2017年7月30日(日)
地域:キエフ
天候:晴れ
リョーシャさんとの約束の朝
朝、早めに起きてロビーで日記を書こうとした。
外は快晴。昨日の激しい雨が嘘のようだった。
ロビーには、すでに人がたくさん。
今朝からの宿泊客も居た。
2人の女性によりかかられている男性をみると、同じ男性として羨ましいと思った。
単純。
可愛い子だったし、多分学生なんじゃないだろうか。
今日のリョーシャとの約束は11:00から。
それまで、ベッドで日記を書くことにした。
ベッドで書けないと、今後困ると思ったからだ。
今後、快適な場所は少なくなっていくはず。
簡単に済ませたくても今はない。
10:00を過ぎるまで書いていた。
ロビーは相変わらず賑やかで、少し居心地の悪そうな同質の男性に声をかけた。
彼は、デンマークからのジェイコブ。明日には移動らしい。
やはり、1年の旅は羨ましいと言っていた。
チェルノフツィの夜行列車がなくて、明日まで延泊することにする。
ホステルのスタッフは厳しい人のイメージ。
「延泊したいんだけど」
「・・・」
返事がない。
「で?で?何泊?」
「31日から1日の分」
「ああ、プラス1日ね」
賢いな。
団らんはウクライナのピザを囲んで
延泊分の支払いをして、リョーシャとの待ち合わせの駅である Pnzniaky へ。
メトロ1本で行けるので油断。5分ほど到着が遅れてしまった。
リョーシャさんも遅れて10分ほど。
もう1人、日本人の男性の方が来るのだが見当たらない。
自分が14:00から用事があることを気遣ってくれていて、リョーシャさんは、外で連絡を取ろうと決める。
外に出ると、2人ともネットが使えるようになって、日本人の方とも連絡がついたようだ。
極真の看板を見たとき、極真をやっている自分の恩師の顔が浮かんだ。
小さなリュックと大きなバッグ。
天然パーマに金髪のおいちゃん。
それが日本の方、Hモトさん。
タイに住んでいて、こっちには旅行で来ていた。
20日ほどでイタリアまでいって、今日タイのバンコクに帰国するそうだ。
元気なおいちゃん。
3人でピザの店マンマミーアに入る。
広くて清潔なところ
なんとリョーシャさんは、10年前にも来たそう。
彼は、事前にまだお店が残っているか調べてくれていた。
パスタとそれぞれピザを1つ、飲み物を勧められたが、節約したかったので止めておいた。
ピザは、北京ダッグがメインの珍しいもの。
ただ、ドライフルーツがしっかりのっていたのが失敗だった。
パスタは、シェアのつもりが、みんな同じものを頼んでしまっていた。
Hモトさんが少し残念そう。
シェアをしたり、音を立てて食事をすることの文化についての話題になった。
時々、音を立てて食べることに、リョーシャさんは少し気になっていた様子だ。
日本は、汁物を音をたてて飲むのが文化だと思う。
物価の安いウクライナをHモトさんはとても気に入っていた。
タイの次かまたは同等に近いというほど。
イタリアは物価が高すぎて、今食べているパスタが2から3倍すると言っていた。
人生の先輩
Mモトさんは、年に5日しか休まないという働き方をして、心臓を悪くしたのをきっかけに、1年かけて会社を親戚に譲ったそう。
つまり、もともとは社長だったわけだ。
いまは、タイでクリニック、香港マカオの役員報酬と、趣味というタイブランド服の通販をしているようだ。
それで、ウクライナのブランドや不動産など、経営者の視点で国を見ていた。
この方も、国は当てにならないから自分でやっていくしかない、と完全にハラをくくった人だった。
あまりに2人が日本語で話すものだから、リョーシャさんを遠慮させていたかのかもしれない。
食事はスムージ、そしてミルクシェイクを追加。
パスタは、アルデンテで少しまとまりすぎているが、味は良かった。
11:30から始まった食事会は、13:30でおしまい。
今日の帰国のためにおみやげを買っていくというHモトさんに、ナカムラさんが教えてくれたジェプチンスカを勧めておいた。
政府はどこも腐敗している。
だから、自分たちのできることをやっていく。
この考えの多さが、日本の強さだと感じた。
Hモトさんもそう教えている方だった。
「持っているし、年上だから」
そう笑いながら、ここの支払いを持ってくれた。
「君はこれから、お金がかかるだろう」
そういいながら。
たった2時間だけだったけれど、濃い2時間。
紹介してくれたリョーシャさんに、感謝しきれない。
名残惜しくも別れの時間。
2人は、メトロのところまで見送ってくれた。
「タイに来たらまた会おう」
そういってくれたHモトさん。
「世界のどこに居ても困ったら連絡していいから」
こういう温かい言葉が涙がでるほどうれしかった。
リョーシャさんにも感謝。
緊張!海外で初めての散髪
地下鉄に乗って、美容院の FRISOR へ。
10分ほど遅れて到着。
「どうする?」
「4cmくらい切って」
「写真は?」
という流れで、キアヌ・リーブスの写真を見せた。
「わかった」
といって取り掛かった男性。
シャンプーのあと、カットスタート。
6枚くらいあるクシと、5つくらいのバリカンの刃をくしして、髪を切る。
さながら、サイエンスの実験みたい。
その光景がなんだかツボで、笑いをこらえるので必死だった。
髪を乾かすときのドライヤーのコードは、体にビシバシ当たるし、彼の脇は常に開いていて不安定。
何より、カットのバランスを確認するのに、鏡ではなくて頭を覗き込む。
これが一番笑いをこらえるのに必死になった彼の動作だった。
カットの様子が心配。
スマホにうつるキアヌ・リーブスの写真をみているようすもないので、突っ込んだらーー
「眩しい」
の一言でスマホの画面を消された。
途中で口を出すとーー
「まだ終わってないから」
という始末。
両サイドをどこまで刈り上げられてしまうか不安だったが、許容範囲内に収まってホッとしている。
何度も同じところばかりをバリカンでガリガリやっていたし。
日本の美容師さんは、かなり上手なんだなと思った。
シャンプーをあわせて、約60分で終わった。
上げていた髪が気になったから、触ろうとするとーー
「髪はおろすなよ」
というご支持だ。えぇ。
終わって、危うくキム・ジョンウンのようになるところだった。
セーフ。
すべての面白さに、カットした男性の写真を撮って、握手してお別れ。
いや、満足してませんからね?
受付の女性に「どう?」っていったら一瞬泊まった(笑
「いいんじゃない」
そうしかいえないよね。
「よくなった?」
と聞けばよかったか。
予約の入力が2回あったみたいで、1度キャンセルしてから支払いを勧めた。
なにか飲み物は?と勧められたがピンとこなかった。
キエフのベンチで世間話を
海外発の美容師とセルフィーして、外へ。
こっちで会えそうな友人の連絡で、彼らが前半にポーランドのウッチ、後半はベラルーシのミンスクにいくことがわかる。
ワルシャワは、空港を利用するための経由地にすぎないようだ。
すると困ったことに、少し工程を早めないといけなくなった。
ワルシャワでゆっくり会えると思っていたからだ。
おそらく、彼らがウッチに居る間でないと、会うのは厳しい。
ベラルーシにもいくようだし。
美容室の近くのベンチで、今後の工程についてみていると、さっきの美容室のスタッフの1人が声をかけてきた。
「ウクライナの腕前はどうだ」
「日本での美容室の額は」
「収入は」
「どこにいったんだ、どこにいくんだ」
いろんなことを聞かれた。
収入については、ウクライナと差がありすぎるので答えづらかった。
「ウクライナは、食費安いよね」
「それは君が旅行者だからだよ。外食なんて特別なんだ」
という言葉は少し身にしみた。
もちろん、自炊が安いという意味でいったつもりだっただからだ。
お互い、立ち位置がすでに違っていることを思い知らされた。
「日本に言って、稼ぎたいんだ」
彼は、日本で美容室で働くのに国家資格が必要なのを知っているのだろうか。
もちろん、外国人でも免許を持っている人はいる。
資本主義の影を見た。
「ここから先に行ったところにイタリア人がやっている美容室がある。次はそこにいくといい」
と、彼が働く以外の美容室を勧められたのが面白かった。
また、道でスマホで調べごとをしていると、別の人に声をかけられる。
なんだか少し危険を感じて、歩くことにした。
次の目的地は、チェルノフツィ
中心地にある、地下のショッピングモールへ。
なんとそこで、日記を書くのと同じモレスキンのノートを発見。
日本だと3240円くらいするのが、2000円くらいで買える。
485フリヴニャ(当時、約2450円)でどうするか迷った。
何冊買おうかな。
数十分迷って、1冊買うにとどめた。
重くなる方が嫌だったから。
接客の子は、丁寧に包装までしてくれた。
この間、Hモトさんがウクライナの師匠というMイさんをフェイスブックで紹介してくれた。
6日にキエフに戻るという彼。
1日の夜には、チェルノフツィ行きの列車に乗る自分。
タイミングが合わずに本当に残念だった。
この2人の連絡の早さはすごい。
出来る人の共通点だった。
夜は海外初のカラオケ
マクドナルドで限定の商品を頼むのに苦労をしたあと、カラオケへと向かう。
ナカムラさんがセッティングしてくれたのだけれど、フェイスブックのメッセージをみるかぎり、雲行きが怪しい。
ドタキャンが続いている。
向かっていることだけは伝えて、最寄り駅の Shuliavska へ。
メトロを降りたら、ナカムラさんにちょうど会えた。
一緒にカラオケがある韓国料理のお店へ向かう。
途中、T-34戦車や英雄の都市、そしてウクライナ語を使おうというプロパガンダの看板を教えてくれた。
ナタリーにもきいた話。
ウクライナは西から東に来た話をすると、もともと東側はロシア人が多くて、その中にウクライナ人が入っていったそうだ。
いまでは広い国土を持つウクライナ。
もともとは、国としてではなくて、小さな自治領の共和国だったという。
第2次大戦のときは、ロシア嫌いでドイツに加担して、ユダヤ人を殺したほど。
かつてのその責任者が戦犯となったが、いまでは英雄として祭り上げられているんだとか。
現政府は、その共和国の流れということを主張している。
どうやら、ウクライナも一筋縄というわけにはいかないそうだ。
少しさみしい道をいくと、ハングルの看板が見えた。
中に入って、カラオケの前に食事をすることに。
マクドナルドで食事を済ませていたことは言えなかった。
カラオケ参加者の人数を心配したり、VPNのことを教えたりシていた。
ナカムラさんは、豚焼き定食みたいなもの。
自分は、冷麺を注文。
ただ、自分の知る冷麺とは違いすぎる上、辛くて大変だった。
ハルサメみたいな麺だった。ちょっと残念。
220フリヴニャ(当時、約1100円)もするのに。
あまりに辛そうに食べていたのか、ナカムラさんが韓国のお茶、トウモロコシ茶を頼んでくれた。
結局、ここの食事はナカムラにごちそうになってしまった。ただただ感謝。
日本語で歌を歌うウクライナの人たち
一度はキャンセルしたカラオケも、3人の日本語の会の人がきてくれて、無事開催となった。
ゴーヴァさん、サーシャさん、そしてセーラさん。
男性2人はプログラマーで、サーシャさんは医者だそう。
セーラさんは、しらないままに背中に漫画クレイモアの主人公のシンボルを入れ墨シていた。
細身で可愛らしい彼女。
日本人男性からしたら、入れ墨をしたことを持ったないと思うだろう。
お店の地下にあるカラオケルーム。
装いは本格的で日本のカラオケルームそのもの。
ここまでもってくるのって大変だったとおもう。
韓国のご主人に脱帽だ。
当たり前だが、韓国ベースのカラオケ。
それでも日本や中国の歌が入っている。
ナカムラさんは、ロシアの歌を。
ゴーヴァさんは演歌を。
セーラさんはアニメ主題歌を。
サーシャさんは浜崎あゆみを。
みなさん、上手に歌っていた。日本語うますぎ。
ナカムラさんがトップバッターで、自分も盛り上げようと「メリッサ」から歌う。
そして「夢であるように」「Days」「蒼いイナズマ」を歌った。
ロシア語の歌は面白いものばかり。
クロネコの歌、嫁にしてくれの歌、嘘をつきあう歌?となかなかおもしろい。
ゴーヴァさんは、吉幾三とか渋いな。
セーラさんの Kiroroの未来。
自分が歌った歌詞も含めて、歌詞が今の自分にぴったりで目頭が常に熱かった。
ここのマッコリはうまかった。
みんなで2時間はあっという間。
みんなで家路に。
「強さが欲しい」
セーラさんは、入れ墨を「強さが欲しくて」と入れた理由を語っていた。
2日間で合計8時間かかったそう。
大変。でもまた入れたいそうだ。
両親は、娘の意思を尊重したとか。
ナカムラさんと別れて、4人でメトロへ。
彼らと分かれるギリギリでセルフィーをゲットして、それぞれ家に帰っていった。
「明日からまた仕事」
そう会話している3人を見て、自分が働いていた頃、今の旅をしている自分。
お互いの経済の差を肌で感じた。
この後ろめたさは、きっと失礼だろう。
その分、しっかりとやっていく。
つまり、後悔しないようにしていく。
戻ったホステルでは、ロシア語チームがボードゲームで盛り上がっていた。
中に入れないのが少し寂しい。
挨拶が精一杯だった。
洗濯をしてから、チェルノフツィ行きのチケットをオンラインで購入。
マスターカードは弾かれて、ビザカードでもエラー。
もう一度マスターカードを使って買えた。
ビザカードでのエラーが気になるが、手間を考えると、もう2重予約になっていてもやむなしだ。
ウクライナの彼が0時過ぎに寝ている人がいるのに電話をし始めたのはびびった。
「お互いに迷惑をかけて生きている」
なるほど。
この日、自分が寝るまで彼のライトが消えることはなかった。
Mイさんに会いに、オデッサ経由を検討したが、ポーランドで会う予定の友人の予定をみて難しいと判断。
彼にも手伝ってもらったものの、まずはチェルノフツィとリヴィウにいくことにした。
補足
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