【旅の記録】プラハが映す自分自身のこころ:チェコ【101】

チェコ

11年務めていた会社をやめて35歳から始めた旅の記録

2017年5月出発した旅のことを、記憶と記録を頼りにつづってみようと始めました。
書き方などはだんだん良くなるはず(笑)なので、見守っていただけると嬉しいです。
※途中、記憶違いや文章の構成的にフィクションが入るかもしれません。ご容赦ください。

巡った順序 → 日本 → (韓国) → ロシア → フィンランド → スウェーデン → デンマーク → ノルウェー → エストニア → ラトビア → リトアニア → ベラルーシ → ウクライナ → ポーランド → ドイツ → チェコ → オーストリア → スロバキア → ハンガリー → ルーマニア → モルドバ → (沿ドニエストル共和国) → モルドバ → 続く…

初めての方はコチラから → 11年務めていた会社をやめて35歳から始めた旅の記録と記憶

こんにちは、mickです。

次の日にプラハを発つので、プラハ最終日。
特別予定を組んでなかったので、何しようかってなった。
だからといって、ホステルで時間を過ごすにはもったいない。
強くそういう思いになった。

この頃、他に旅をしている人と比較していることが多かった気がする。
また、やたら日記の話がでてくるけれど、それだけ日記に時間をつかっていた。
おかげでこのブログを書けているのだけども。

プラハはやっぱり好きな街だった。

日付:2017年8月27日(日)自分流に過ごすプラハの街

日付:2017年8月27日(日)
地域:プラハ
天候:晴れ

チェコで人気の甘〜いお菓子

今日は、何をしよう、そう考えながら寝た昨夜。答えのないまま、朝を迎えた。今回のホステルは、ベッドの下の段。目を開ければ、昨夜に洗って干した物が目に映る。何もしないわけにはいかない、どこかでそう思っていた。のんびりするのが時間を使うだけに思えて怖かった。

朝は、チェコで人気があるというお菓子を買って食べた。めっちゃ甘い。クリームのせにしたのは、失敗。甘すぎなのでもういいや。

他の人と比べる不毛さ

T-Mobileで変えなかった方のお店にあるショッピングモールへ。旅行グッズのお店を見たかったから。でも、大した品揃えではなくて、すぐにお店をあとにした。ふと、世界一周のブログで、1位の彼がチェコに居たことを思い出して、どこに言ったのかを見てみた。

さすがに凹むくらい上手にプラハの写真を撮っていた。バスカーの写真、そしてお金を入れている。自分とは完璧に異なる点だった。どこかで、彼みたいな写真を撮ってみたい、そう思ってプラハの街を散策し始めた。

ショッピングモールの近くかのコンサートホールで写真を撮っていると、またお金、そしてお腹が減った、という声かけ。お金ないというくせに小銭を見せてくる。持ってるやん、みたいな人。多分英語話せないって答えたから現物を見せてきたんだと思う。

何もなかったが、なぜ自分なのか。「why me?」そう直接聞くのがよさそうだ。「お金持っている年寄に声をかけろよ」と、Rマくんの技を思い出す。

ここから中心地、時計塔の方。そこからカレル橋を通って、プラハ城の方へ向かった。1位の彼は、よく観察している。妬みもあるが、応援もしている。カレル橋の像、タケコプターの視点はすごい。それに、そこに読者のネタのために、ちんちん像もしっかりと撮っているし。自分にはやれなかった。志の話を思い出して、彼は、彼の役割を果たしているだけ。そう思ったら、比べなくなって楽になった。ただただ、お互いの旅の無事を祈るだけだった。

カレル橋からのプラハ城の王道ルート

もう何度通るのか。プラハ城とカレル橋の間の道。途中にあるアジア人のやるスーパーは、ボッタクリ価格で、現地の人はまず買わないだろう。1.5リットルの水、40チェココルナ(当時、約200円)とは、他よりも倍以上してる。自分は、たまたま立ち寄ったお店が普通で助かった。

道中の写真をなるだけ撮った。プラハ城まで来たものの何を仕様、そんな状態に陥った。おもわずフェイスブックに手が伸びる。マズイな、と思って歩きだして、城内のギャラリーに入ってみようと思った。

ルーベンスの絵画を見ることができるようで、その名前に惹かれた。チケット売り場は移動していて、新しい場所だった。かつてのチケット売り場が、そのギャラリーの入り口に変わっていた。このチケット売り場は、いい思い出の場所だったから、もうないというのが寂しかった。

チケット売り場のおじさんは、自分が日本人だとわかると「こんにちは」と日本語で挨拶をしてくれた。こういうのはやっぱり嬉しい。だから自分も現地の言葉であいさつを返したいと思っている。

プラハ城のギャラリーと宝物庫

チケットはギャラリーと宝物庫の2か所のみ。セットで350チェココルナ(当時、約1750円)と高い。ギャラリーは入るときに対応してくれたおばちゃん2人がかわいかった。最初、自分が荷物を持っていることに気づかなくて、チケットを通してから慌てて気づいて預けるようにいってきたこと。それから、オーディオガイドを借りたくなって、再入場を頼んだときのこと。金額の高さを知っているんだと思う。オーディオガイドは、全部貸し出ししていて、だめだった。

おばちゃんは、「あら日本語のオーディオガイドがなかったの?」
「全部貸し出し中なんだって」とがんばってジェスチャー交えて伝えた。自分が戻ってきたときの2人の安心したような顔は忘れられない。心配してくれたのが嬉しかった。

ギャラリーの中は、絵画のためにとても涼しい。寒いくらい。目立つ、というか名前として使われていたルーベンスの絵は1枚しかないという。少々詐欺っぽいし、広告にしてやられたといったところ。中は、宗教画が中心に展示されていた。目を引くのは、数枚あっただけよかったといえる。ゆっくりみて2周はした。

そこからもうひとつ、宝物庫の方へ。ここは係の人の身体の大きさと食べているおやつがマッチしていて面白かった。対応は笑顔無しで寂しかったが。中は、おなじく宗教に関する道具がたくさん。ガラスの中に神やらミイラみたいなものを入れるのは、発想に驚かされた。

宝石で作られた十字架、黄金の十字架や食器、盃、成人の右手、聖人の胸像、ローブ、剣、展示の数は価格に比べると少ないが、貴重な品々なのだろう。プラハ城内を見学するチケットとは、独立チケットなので、他には1組しか人が居なかった。監視の人がやっているスマホのゲーム音が静かな建物の中に響いていた。そういえば、壁には聖人の絵が描かれていた。

確実に上昇しているチェコの物価

昨日行けなかった、王宮の庭を楽しみ、また城内をうろつく。黄金の小道の入り口をみつけて、少し嬉しかった。ここは、昔に姉ときたところだったから。城内を散策して、最近ロクなものを食べてなかったので、城近くのレストランで食事をする。

ここの対応の冷たさに寂しさがつのる。女性の店員なんて、トイレの場所をきいたら、無言で方向を指差すだけ。ンッ、みたいな。メニューで安めのポークとポテトサラダのプレートを注文する。220チェココルナ(当時、約1100円)。味は普通。価格を考慮するとマズイ。チップなど上げるわけもなく外に出た。

プラハ城から見るプラハの夜が見たくなった。それで、お城近くのスタバに居ることにして日記を書いて時間を待った。韓国の人が多い。人気なんだろう。どこかで夕日が綺麗なんて勝手に思っていたが、特に気持ちが動くことはなかった。実は、2度、2店していて、1度目は注文すること無くさり気なく座っていた。2度めはドリップコーヒーを注文。ただ、ドリップコーヒーはないらしく、アメリカーノを同じ価格で提供してくれた。さらに、リフィルにも対応してくれて、レシートに署名まで。この国のスタバの店員のレベルも高かった。

世界共通スタバ店員のレベルの高さ

このあと、午後8時の閉店まで滞在。閉店の声をかけてくれた男性が、とても素敵で日本人だとわかると、ジブリのタイトルを挙げてくた。
「あと10分くらいは大丈夫ですから。ごゆっくり」
かっこいいな、をい。
「チェコの人は、親切でステキですね」
そう伝えたら喜んでいた。

プラハで開放する自分自身

2回目にスタバに入店するとき、併設のビュースポットで写真を撮った。最初、撮るイメージがあったから、列に並んだがいったん列を離れる。恥ずかしい。でもここは、チェコのプラハ。思い出、そして好きな街。ここで、自分を解放できなかったら、どこにいってもムリだと思った。そして、また列に並ぶ。前には男性1人と女性4人のグループ。写真を頼まれたので、応じる。それで自分もとってもらうことを頼んだ。

女の子が構える。最初は、橋に正座して、プラハの街を背にする。シャッター音は鳴らないので、何枚か撮ってもらった。次に、ポーランドでUださんたちと過ごした時間を思い出して、思いっきり手を広げて撮ってもらう。
「イェーイ!」と言葉を出して。

解放の仕方はわからなかったが、うごいてみることなのはできた。撮ってくれた人にお礼を伝えて確認すると、手を広げる前は全部顔が暗い。人物が暗い背景との関係上、しかたはないのだけど。だが、手を広げたあと人物側が明るくなっている。なにかがおこったし、なにかが変わった。解放された、そう思った。

この上に登ってきたとき、寂しくて実家に電話していた。昨日は母の誕生日で、中華料理のお店、リポーにいったとか。このお店は、自分の真面目の度合いが小さい頃にあらわれていた思い出のお店。めったにくることがない高級なお店で、マナーを親に注意してた。プラハのことを姉に話すが、思ったほどの反応がない。姉はすでに母親となって、新しい自分の役割をまっとうしていた。もう姉は、甥っ子の母なのだ。そう思うと寂しさの表れは、電話時間の30分にでてた。

日本人らしい人が目に入り、何度話をしたいと思ったことか。一人は1眼レフを持ってしっかりと写真を撮っている印象を与えている。日本語で話していたから日本人だとわかった。みすぎて危うくストーカー。

夜のプラハ城は、何時まで門が開いているのか、さっぱり知らない。夜景のスポットを探して、散策。昨日に行ったスタバ方面へむかっていく。そこは、23時まで開いているところ。日記を書くのに最適。

カレル橋。来るときに見た一眼を2つもっていたプロっぽいおじいちゃんはどうしたんだろうか。プラハ城の方に行く人が多くなっている。何かあるんだろうか。21時を過ぎ、まだ城はやっているのだろう。

遅くまで開いているスタバとか最高

スタバに入って、リフィルを注文。店舗が違ったから使えるのか心配だったけれど、大丈夫だった。日記を書いて時間を過ごす。この日も利用者は少なくて、余裕だった。

このときに思いついたメモがある。
「寂しい思いまでして、なんのために旅に出た?」
「過去にフォーカス」
「姉との電話で、彼女はもう今に母として生きていた」
「旅を続けたいのか」
「寂しさとは」
「自分の役割」

物価とシェンゲンがなければ、居続けたいプラハ。自分と向き合うため。そういう国なのかもしれないな、チェコは。

23時の閉店に近づいて、最後のプラハの夜を歩く。彼の夜景の写真を思い出しながら歩いていた。前に日本人の男性1組が歩いていた。寂しさを撮影していた。少し、人の通りが少ないところを通って、少し怖かった。カメラをしまうほどに。

ホステルに戻って、明日の準備をして床についた。この日は8人部屋での女性率が高くて、目のやり場に少し困った。コミュニケーションをとらなかったが、もったいなかったか。

補足

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