11年務めていた会社をやめて35歳から始めた旅の記録
2017年5月出発した旅のことを、記憶と記録を頼りにつづってみようと始めました。
書き方などはだんだん良くなるはず(笑)なので、見守っていただけると嬉しいです。
※途中、記憶違いや文章の構成的にフィクションが入るかもしれません。ご容赦ください。
巡った順序 → 日本 → (韓国) → ロシア → フィンランド → スウェーデン → デンマーク → ノルウェー → エストニア → ラトビア → リトアニア → ベラルーシ → ウクライナ → ポーランド → ドイツ → チェコ → オーストリア → スロバキア → ハンガリー → ルーマニア → モルドバ → (沿ドニエストル共和国) → モルドバ → 続く…
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こんにちは、mickです。
エストニアで知り合った旅人の投稿をみて、チェルノブイリ博物館に行くことに。
広島、長崎、そして今では福島のこともあり、色々考えさせた。
チェルノブイリがあっても、原子力発電に頼っているというのは、福島があってもやはり原子力発電に頼っている日本と被る。
ウクライナのアリョーシャさんとナカムラさんと3人でキエフにあるラーメン屋へ。
武蔵屋という名前でウクライナ人がオーナー。
意外と美味しかったのが驚き。
もちろん、日本のラーメンには程遠いけれどね。
日付:2017年7月25日(火)キエフにはラーメン屋がある
日付:2017年7月25日(火)
地域:キエフ
天候:晴れ
旅友の動向
昨日より早く行動する、そう思ったがまどろみの中で何度も目覚ましを止めた。
10:30頃にベッドから起き上がった。
早朝もクーラーを止める人が居た。誰だろうか。
サンルームでフェイスブックのチェックをしていたら、Sださんが13日間ウクライナにいたことがわかる。
キエフでの3日間はどこにいたのか、そして何が彼女に起こったのかなと。
コメントをいれたけれどすごいあっさり返されてしまって寂しい。
察しろ、的な一体感があったのかもしれない。
それでも彼女は、予定のルートでルーマニアへ移動していっていた。
日記がたまりそうなので少しすすめる。
起きた時間が11:00前で、かなりいい時間だ。
ホステルは、カンペキではないけれど居心地がいい方だと思う。
何より、比較的安心してパソコンを開けていられる。
ベッドの上限定での話だけれどね。
この先、また延泊するか移動をするか、またはホステルを移動するか。
1日230フリブニャ(当時、約1150円)は、やはりウクライナでは高いのだ。
12:00を前にしてホステルを出る。
Sださんの投稿で、気になっていたチェルノブイリ博物館に向かった。
本当はここをささっと終わらせて、ロージナマーチの方、修道院群の方へ行く予定だったけども。
キエフのチェルノブイリ博物館
中に入ると日本のものがエントランスに置いてある。
白虎隊のハチマキをした人形は、会津のものだとすぐにわかる。
日本の漫画家や著名人、ウクライナの著名人が色付け起き上がり小法師がたくさんだ。
ウクライナからのものだと思われる詩の掲載があった。
入口でチケットを買い、オーディオガイドを借りる。
会場へ上る階段には、キエフからチェルノブイリまでの街の名前の看板がぶら下がっている。
表は、黒文字に白い看板。
その裏は、白文字に黒い看板。
さらに赤いラインが引かれている。
これだけでもかなり訴えかけてくるものがある。
オーディオガイドは、下のフロアから始まっていて、そのことを丁寧にスタッフのおばちゃんが教えてくれる。
オーディオガイドは、ほとんど展示物の1つ1つを説明してくれてとてもよかった。
その分時間がかかり、この日にロージナマーチに行くのは難しくなりそうだった。
ウクライナ日本センターの図書館に行きたい。
またナカムラさんと話がしたい、そう思ったからだ。
チェルノブイリ博物館の展示は、事故から今日までのこと。
そしておそらくは後で追加されたであろう日本の福島のこと。
1階の2012年の福島県知事のコメント文は、読んでいて胸が、目頭が熱くなった。
今年は、2017年。
自分が同じ立場におかれたとき、ここにたっていられるだろうか。
そしてまた何もできないのだろうかと。
チェルノブイリも最初に危険性を知っていたら、いや知っていた職員も大変になることを知っていて、放射能を浴びながら作業していた。
おかげで、事故後の被害がかなり抑えられたはず。
国の初動、隠蔽、原子炉の欠陥、研究、軍隊と警察、消防。
3日間の避難のはずが、永久になってしまった子どもたち。
放射能を多く取り込む植物とオレンジの森。
数日で地下のコンクリートにトンネルを作った人々と石棺。
展示物はすべて除染済みのリアルなもの(本物)。
日本は福島の事故の資料館をつくるのだろうか。
チェルノブイリも福島も作業している人がいると思うと、言葉が出ない。
しかも、今も多くは原子力発電に頼らざるえない今日。
日々、矛盾の中で生きていることを痛感させられる。
アリョーシャさんからの招待
そんな中、アリョーシャさんから連絡があって、遠回しだけれど夕飯のお誘いがきた。
ナカムラさんも誘うそう。
自分も声をかけるか悩んでいたのでちょうどよかった。
もちろん、OKした。
3時間近くいたチェルノブイリ博物館をでて、もうウクライナ日本センターの図書館に向かうことにした。
途中、独立広場の近くでナカムラさんにきいたマクドナルドのビッグフレッシュをチョコサンデー付きで食べる。
パテが香ばしくて美味しい。
2つで98フリブニャ(当時、約490円)は贅沢をした。
そこから中央郵便局で、切手とポストカードを買う。
ナカムラさんが昨日教えてくれた、ウクライナのイラストレーターのポストカードだ。
ボーダフォンのSIMカードを配っていると思ったら、SIM自体はフリーだが、何らかのプランに入らないとだめな様子だったため撤退。
延泊したとは言え、先延ばししたに過ぎず、問題を持ち越したにすぎなかった。
図書館に向かっていると、アリョーシャからそこで落ち合うよう連絡が入った。
ちょうどよかった。
ウクライナ日本センターのある大学の森ではリスを見つけた。
同時に、リスの死骸も。
この対比が小さな森の出来事を物語っていた。
ウクライナ日本センターの図書館、再び
図書館では、まだナカムラさんが働いていた。
他には日本語を勉強しているであろう学生。
自分が入っていくとよそよそしくなって出ていってしまった。
この人たちは、日本語が上達しないタイプ。
アリョーシャさんは、積極的に話しかけてきたもんだ。
17:00を過ぎて着いたので、日記の時間をあまり取れそうになかった。
「私はロシアのサムライです!」
という元気なおじさんが入ってきた。
日本語の本を数冊、彼がやっているのをみせてくれ、またスマホや充電のロシア語を教えてきた。
ナカムラさんがツッコミを入れる。
「何ロシア語を(ウクライナ日本センターで)教えようとしているんだ」
ここは、観光では出会えないような人と出会えるから楽しい。
日本に興味を持つ人々がくるので、それもアドバンテージになるからだ。
閉館前に、アリョーシャさんが来る。
退出時間にもう1人、別の人とは何のコミュニケーションもなかったな。
肉かラーメンを食べに行くかで話題に。
話のネタになりそう、とラーメンに決まる。
移動する方向は同じだった、日本語を学ぶ盆踊りチームに挨拶をする。
誰が教えるというよりも、ビデオを観てマネをしてやっているなのだとか。
チェルノブイリ博物館に行った話をして、ウクライナの今を尋ねたら、変わらず原子力に頼っているのが現状なようだ。
クヴァースとウズバール
アリョーシャさんが履いているスラックスは、日本で買ったもの。
5000円以下のもので、靴底がしっかりしていた。
ナカムラさんのは、ウクライナ産のにせ物。
「ウクライナの経済に貢献するんだ」
そう笑っていた。
最近は、みなくなったというウクライナと日本の国旗のピンバッジを、今日の帽子につけているナカムラさん。
アリョーシャさんも中央駅周辺の雑多とした雰囲気、物売りであふれるのは好きじゃないと言っていた。
ロシアでクヴァースを飲んだ話をしたら、こっちではドライフルーツから作ったウズバールという飲み物があることを教えてもらう。
ドライフルーツは苦手だが興味を持った。
売店で、クヴァースが売っていて、ナカムラさんが書い始めた。
自分も続こうとするが売り切れ。
代わりに出されたのがなんと、ウズバール。
キタコレ。
買った後でおばちゃんにいわれる。
「後悔しないでね」
というセリフが怖い。
冷蔵庫でしっかりと冷えていたので、クセはあるけれどドクダミのような味で自分は平気だった。
祖母がよく健康飲料で、ドクダミやメグスリノキ、ゆず酒などを試しにもらったことがあったのを思い出していた。
キエフのラーメン屋「武蔵屋」
武蔵屋というラーメン屋。
ウクライナでは、4店舗まで広がったその店は、更にポーランドやドイツを狙っているという。
店内はキレイで、日本でいうカフェみたいな内装だ。
ナカムラさんもビジネルモデルとしては、ラーメンプラスアルファでゆっくりしてもらって、収益を上げるんだろう、とのこと。
少し、豚骨系で塩味が強かったが普通に美味しい。
値段は、99フリヴニャ(当時、約495円)だったので、まあまあなんじゃないだろうか。
途中で、女性のオーナーさんがはいってきて、ナカムラさんに挨拶をする。
「日本人が少ないから気にかけてくれる」
そうはうけれど、彼の顔は広そう。
3人での食事は楽しい時間。
旅先で出会った人たちと食事って旅だなぁって感じる。
観光地にいくより楽しいと思う。
そんな時間もあっという間。
ナカムラさんは、明日早いので帰宅。
アリョーシャさんも仕事だから早く帰っていく。
彼は、自分の考えが伝えられないといらだちを感じていた。
自分たちの考えや気持ちを伝えるのは、コミュニケーションでもレベルの高いこと。
当然だと思う。
自分はまだまだという彼。
彼は、日本語検定の中では2番目のN2まで持っているそう。
その上に上がるには、いまの気持ちのクセに気づく必要があると思った。
それは同時に自分に向けても思った。
ナカムラさんがウクライナの人は、日本人のように謙遜することがあるっていってたっけ。
ウクライナは、今も変化の時らしく、道の名前が(ロシアの名前からウクライナの名前へと)変わって混乱しているそう。
この先について
メトロでホステルへ帰る。
水と牛乳を途中で買って。
お店でガスなしの水はどれかを尋ねたら、やさしく教えてくれた。
今のホステルは高い。
がベッドでパソコンを広げられるくらいの安心感がある。
ただ、ここにナカムラさんとアリョーシャ、ここに住む2人にも高いといわれた。
もちろん、立地もあるだろうが。
移動を考える。
ただ、ここの人たちと今のメンバーは、いい空気。
それにレビューにもあったが、バックパッカー宿っぽいってなんだろう。
共有スペースゆえか、スタッフゆえか。
だけれど、いつかは旅立たないといけない。
自分の基準というものについて、まじまじと考えさせられる。
中心から離れたホステルでの移動から、また姉とのパリの旅行を思い出した。
もうかなり昔の話だ。
2回目のときだったか。チェコに行ったときだろうか。
ドイツのときは、ホテルの床を水浸しにして大変だったっけ。そのときは慣れた添乗員さんで助かったな。
キエフからツェルノフツィ、リヴィウの行き方をみつつ、家計簿をつけてベッドに入る。
中国系の彼は遅くに帰ってきた。
海外でも働いている彼の姿を見て、気持ちがモヤモヤした。
補足
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