11年務めていた会社をやめて35歳から始めた旅の記録
2017年5月出発した旅のことを、記憶と記録を頼りにつづってみようと始めました。
書き方などはだんだん良くなるはず(笑)なので、見守っていただけると嬉しいです。
※途中、記憶違いや文章の構成的にフィクションが入るかもしれません。ご容赦ください。
巡った順序 → 日本 → (韓国) → ロシア → フィンランド → スウェーデン → デンマーク → ノルウェー → エストニア → ラトビア → リトアニア → ベラルーシ → ウクライナ → ポーランド → ドイツ → チェコ → オーストリア → スロバキア → ハンガリー → ルーマニア → モルドバ → (沿ドニエストル共和国) → モルドバ → 続く…
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こんにちは、mickです。
たまたまサッカースタジアムの前を通ったことで、キエフ地元のユースチームダイナモの試合観戦をすることに決定。
300円以下から買えちゃうこのチケット。
面白そうって思って買ってみたら、やっぱり面白かった。
いやー、盛り上がった。
キエフにある地下墓地では、ウクライナの信仰をもろに感じることができた。
そもそも地下墓地っていう特殊な環境と、そこに祈りに来ている信仰者のおかげだ。
ソ連の占領下にあった国々に設置されているロージナマーチ。
他では見ることができない独特のモニュメントは、一見の価値あり。
日付:2017年7月26日(水)キエフの地下墓地
日付:2017年7月26日(水)
地域:キエフ
天候:晴れ
他の旅人のこと
昨日より早起きをして、日記を朝書いてみることにする。
過去に人気があったらしい旅ブログで1日のブロガーの生活を記事にしていたのを読んでからだ。
記事を書いて、でかけて、休んで記事をまた書いて、そしてでかけて食べて寝る。
そんな流れが一例にあった。
Uまさんも1日にフルタイムでは働いていない
自分のONとOFFを使っていた。
他の旅の先輩は、どうだったんだろう。
そして食事はどれくらいしっかり取っていたんだろう。
達人たちの経験が知りたい。
日記の合間に今後の移動や宿泊先をどうするかで思考がグルグルしている。
この時間がいいのか、悪いのか、必要なのか、そうでもないのか、自分でもまだわからない。
ウクライナでのサッカー観戦のチャンス
11:00頃に日記を切りあげて外出する。
今日こそ、ロージナマーチを見に行くのだ。
便利に感じる駅、オリンピックスタジアム近くのOlimpiskaでメトロに乗ろうと向かうと、チケット売り場が賑わっている。
みてみると、キエフのサッカーチームのユースが試合をやるそう。
それも今夜。少し考えて、チケットも25フリヴニャ(当時、約125円)からとお手頃。
50フリヴニャ(当時、約250円)で見やすそうなところを書いて、受付のおばさんに渡す。
シートエリア50TRB-8で、シートは21-1。
買ったあとに、どっちがホームサイドかわからなかったが、チケットは買うことができた。
おばちゃんも、やさしい。
このあと、入場のタイミングで気づくことになるのだが、おばちゃん気を回してキエフのホームサイドに変えてくれた。
だから、8が60になっていた。この気遣いが嬉しかった。
そっから、世界で最も深いと言われるメトロのArsenalnaから、ペチェールスカ大修道院へ。
メトロを上がると思ったよりも賑わっていた。観光地な空気。
ウクライナのローカル食堂
途中、ロシアでよく利用したスタローバヤみたいなお店で昼食。
英語が話せないが可愛らしい店員さん。
筆談でやりとりをして、95フリヴニャ(当時、約475円)。
200フリヴニャを渡したら、104フリヴニャしか戻らない。
確認するが伝わらない。彼女も懸命に説明してくれる。
明細をみてみると、料金は、95.xxxフリヴニャになっている。つまり、端数を切り上げているわけか。
これ、ナカムラさんに話をきいていたおかげですぐに理解できて事なきを得た。
公園を抜けて、ビュースポットや永遠の火のモニュメントを見る。
ハトの写真家がめっちゃアピールしてくる。
日本語でいらないとアピールして逃亡。
無理やり肩にハトをのってけくるから怖い。
他の旅人はこんな人とも仲良くなってしまうのだろうか。
ちょっと用事を思い出して、実家に電話をすることにした。
lifecellの通信は不安定で、通話が途切れることが2度あった。
無料トイレを使って、修道院の辺りは物乞いであふれていた。
1人、近づいてきてお金をせびってくる。あまりの突然のことに、声が出ない危うさ。
その人は、もらえないとわかるとすぐに切り替えて他の人の方へ向かった。
もしかしたら20人に1人は恵んでもらえる、そういうのを経験で知っているのかもしれない。
物乞いでコーヒーを飲むなんて自分からしたらけしからんおばあちゃん。
後で急に弱々しくなって「パマギーチェ(助けて)」といってくる。
ペチェールスカ大修道院
そんなのをくぐり抜けて、チケットを買い、修道院の中へ。
まもう敷地内だけにした。教会に入るのに、お金を払うのは嫌、自分もスウェーデンで出会ったRまくんと同意見だった。
何やらイベントの設営中で、主聖堂のウスペンスキー大聖堂前は、景観が台無しだった。
それでも中のベンチで休みながら散策する。
特に感動するものはなかったが、信仰の大きさを肌で感じる。
よくわからなかったが、修道院は上と下に分かれていて上が有料のようだ。
下の修道院と、その地下墓地の一部は無料で入れる。
地下墓地は、ろうそくの明かりのみ。
祈りを捧げる人しか入れないところもある。
本で見たように、ガラスに口づけをして一心に祈りを捧げる女性たち。
涙も流している。ひときわ小さな棺の前で、ろうそくの明かりで何かを読み、言葉を唱える女性。
子どもの聖人なのだろう。おそらく、幼くして子どもをなくしているのだと思う。
そんな場所。
人差し指と薬指で、細いろうそくを持つスタイルは独特だった。
下の修道院は、お祈り目的の人が多い。
また、服装のルールも厳しい。女性はみなスカーフをしていた。
短パンNGを。
本にあるように、坂が多く、歩くのは疲れを伴う。
近い洞窟から、遠い洞窟までの屋根付き通路を歩いて、5分から10分と長く、その正方形に近い空間は、まるで別のどこかへつうじそうな道だった。
上の修道院へ戻って、国立ウクライナ書籍印刷博物館へ。
「書籍」というキーワードだけで、30フリヴニャ(当時、約150円)を支払い入る。
中は薄暗く、図書館のように広い。
ロシア、またはウクライナの言葉でしか解説がないためさっぱりで展示を眺めるしかできない。
それでも色あせた紙、しっかりとした古い本。
古いものは、バイブルが中心。
また、昔のキリル文字を興味深い。
だいたい、15世紀のものが目についた。
手持ちの本には、2つの本のことが紹介されている。
ウクライナ最古の印刷された書籍の1574年「使徒」。
そして年代記の「過ぎし歳月の物語」。
前者は、見つけることができたが、後者はわからない。
人に尋ねる練習で、「すみません。これってどこにありますか?(スカジーチェパジャールスタ グジェー エータ)」
と、探し物の名前を続けて赤い服のおばさんにきいてみた。
すると、丁寧に教えてくれた。
また、特別に写真を撮らせてくれた。
コピーなのとガラスの反射で思うようにいかないが、それでもおばさんの気持ちが本当に嬉しかった。
展示室は、地上1室、上階に3室。
うち1つは準備中。またもう1つは特別展示。
時間の経った書籍を見るだけでワクワクする。
今日は、たくさんの印刷物であふれている。
保管も簡単ではないと思う。
そして、大したものではない印刷物もたくさんある。
それでも時間が経てば、博物館のものになっていくのだろうか。
ここの展示に戦争に関連しそうなものは、1、2点しかなかった。
特別展はおそらく版画。
縦のラインで削り出された人物は、目にとまるほど異様だった。
外に出ると、雨。
それも夕立のように激しい雨が降ってきた。
木陰でなんとかしていたが、次第に激しくなってさっきの印刷博物館へ退避。
係の人は、いい顔してないが。
さっきチケット買ったやん!と買った人の顔覚えておけと。
まあ、自分も人名とかを覚えるの大変だったから。許す。
ウクライナのロージナマーチ
雨がおさまった頃に、ロージナマーチに向かう。
途中の給水でペットボトルに水を入れたが、色が良くない。
少し茶色いので捨てた。
売店でコーラを買って、水分と糖を補給する。
ロージナマーチは、教会からは思ったほど遠くなく、20分もあれば着いた。
ロージナマーチ、これも異様。
高さは91mあるらしい。
下や周りには博物館がある。入場せず。
通路の壁に掘られていた像は、共和国の色が濃いという印象だ。
ロージナマーチは、LINEで日本の友人にシェア。
反応してもらえてよかった。
ウクライナの美女の写真を頼まれたが、撮れるかな。
ホステルに戻る道柄、さっきの物乞いコーヒーおばちゃんが「パマギーチェ」といってきた。
何もしない人は、なんて醜いことか。
ホステルでのひと悶着
ホステルに戻ったら、ベッドからシーツがはがされて、荷物もよそにやられていた。
とても焦ってレセプションに確認する。
アルトゥは休みだったが、居たから予約が取れているか確認してくれた。
今日は、ヴィタリの当番。
彼はいつ延泊したのか、ベッドは何番かきいてくる。
自分は少し混乱していて、落ち着きが無かった。
諭すような彼の顔は疲れもあってか怖く写った。
結局、ベッドは引き続き17を使い、(おそらく)イギリスのカップルは、別のベッドがあてがわれた。
下の段の人が自分と同じに荷物を脇にやられ、シーツをはがされていた。
大丈夫なのだろうかね。
ウクライナはキエフでのユースサッカー観戦
トラブルでサッカー観戦までの時間が近づいて、急いでスタジアムに向かう。
キエフに来て、これまでの人はみたことがないというほと人であふれていた。
手ぶらでスマホと最低限の貴重品の身を持って行くと、身も心も軽かった。
キックオフまで10分を切っても人、人、人。
当然、他にアジア人なんていない。
シャイなウクライナ人からアプローチしてくることなく、手荷物チェックとチケットゲートを通る。
前の人のバーコードの通し方を観察して、こするように読み込ませてはイケないと気づいて、一発でパス。
天才。ゲートを通ったアトアh、案内板に従って自分のシートへ。
おばちゃんが気を使ってくれたブロック60。
スタジアムのフィールドをみたとき、なんともいえない感動が得られた。
気持ちよさも入ってた。
買って入って正解。
このときに確信した。ウクライナ、キエフのダイナモ、そしてスイスのベルンのヤングボーイズの試合。
フィールドの斜め上部からは、対角線の先は遠いが、全体がよく見える。
自分には最高の座席。
この日、前半2−0。後半で3−1となり、地元チームのダイナモが勝った。
ゲームは大盛りあがり。
応援の様子は、日本と変わらないんだなって思った。
ゴールが決まったら総立ち。ウェブを何度もトライするファン。応援団シートの声。
相手チームは完全なアウェーで応援も50人いるかどうか。
申し訳ないが自分は勝ちチーム側。
ホーム側であの場のゲームを味わえてよかった。
動員数は、電光掲示板に表示された(おそらく)36461人。
自分も含めてキエフの人は気持ちよく帰れたと思う。
入るときは軍隊、帰るときは警察と警備員へと代わっていた。
スタジアムは、飲食物持ち込み禁止。
中でのアルコール類の販売は一切なし。
どうりでおとなしいわけだ。
キエフでのこれから
ホステルに戻って休んでいると、下の段の人が帰ってきて、明日チェックアウトなんだけど困ってる。
レセプションに戻って、また荷物を取りに戻ってきた。
彼は別の部屋に移った様子だ。
イギリスからのカップルは失礼な奴らで、名前も聞かずに「You」で済まそうとする。
「冷房寒くないか」
気づかないでいるとツッコミが入る。
ベッドの下からの顔がみえないところから言われて、自分にいわれてるって気付けるかっての。
「シャッターが開いて、朝焼けちゃう」じゃねぇし(部屋はカーテンではなくて、シャッターがついていた)。
明日、このホステルをチェックアウトする日になっている。
人はいい。泊まっている今のメンバーもいい。
でも230フリヴニャ(当時、約1150円)は、ウクライナでは高い。
そしてさらに延泊すると250フリヴニャ(当時、約1250円)。
翌日の朝に延泊か移動かを決めることにして、早めに眠りについた。
補足
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