【旅の記録】プラハからチェスキー・クルムロフへ移動:チェコ【102】

チェコ

11年務めていた会社をやめて35歳から始めた旅の記録

2017年5月出発した旅のことを、記憶と記録を頼りにつづってみようと始めました。
書き方などはだんだん良くなるはず(笑)なので、見守っていただけると嬉しいです。
※途中、記憶違いや文章の構成的にフィクションが入るかもしれません。ご容赦ください。

巡った順序 → 日本 → (韓国) → ロシア → フィンランド → スウェーデン → デンマーク → ノルウェー → エストニア → ラトビア → リトアニア → ベラルーシ → ウクライナ → ポーランド → ドイツ → チェコ → オーストリア → スロバキア → ハンガリー → ルーマニア → モルドバ → (沿ドニエストル共和国) → モルドバ → 続く…

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こんにちは、mickです。

プラハの街で、図書館にいってなかったのでチェスキー・クルムロフへのバス出発までにいくことに。国立図書館は、改修中で見学できず。

もうひとつ、有名な図書館があるのがストラホフ修道院。図書館としての利用はできないけれど、映画にでてくるような図書館が見学できる。こんなところで本読んだり勉強できたら最高だと思う、お気に入りのひとつ。

チェスキー・クルムロフは、世界遺産の街で、チェコの南部に位置するところにある。オーストリアにとても近い。こじんまりした田舎だけれど、かなり美しいところで、到着してすぐに気に入ってしまった。

日付:2017年8月28日(月)プラハも好きだがチェスキー・クルムロフもかなり好き

日付:2017年8月28日(月)
地域:プラハ、チェスキー・クルムロフ
天候:晴れ

行く図書館を間違った

まだ行っていない国立図書館へいくために、早めに出発する、つもりが9時に図書館着くことはできなかった。ベッドのなかでゴロゴロして起きた朝。寝る前に出発の準備を済ませていたので動けば早い。

ホステルをチェックアウトしたけれど、荷物は預けておく。荷物た軽いうちにメトロのチケットを購入。プラハでは、一定の大きさの荷物は追加で料金を払う必要がある。それで、自分用と荷物用の、24チェココルナ(当時、約120エン)と16チェココルナ(当時、約80円)。荷物の分は、必要かわからなかったけれど、念の為。

国立図書館が入場料の必要な場所だと勘違いしていて、大失敗。しかも、やってないというし。どうやら、2年間かけて改装中なんだとか。おかしいと思ってネットでよくみてみると、入場料のかかるきれいな図書館は、プラハ城の上の丘にあるという。

「決める力とは動くこと」

ここから歩くとだいたい30分くらいかかる。バスの時間もあるしどうしようか。考えて足が止まりそうになった。それでは時間だけが過ぎる。まずは動くしかない。足は丘の上の図書館の方へ向いて歩いていた。

次の目的地、チェスキー・クルムロフへいくためのバスターミナルは、ホステルの近くのメトロ駅から1本でイケる。11時までにホステルに戻れば大丈夫。だから、歩き続けた。

何かを決めることは、立ち止まって考えてから決めるんじゃない。動きながら、考えながら、決めていくもの。それができることが「決める力」だと考えた。シンプルに、「決める力とは動くこと」

カレル橋を渡って、坂を登り、プラハ城を過ぎ、さらに登る。なんとなく気になっていたプラハ城の上に、その図書館はあった。Googleマップのルートにはでなかった、ショートカットできるルートを通って予定より早く到着した。

世界一美しい図書館のプラハのストラホフ修道院

入場料は、120チェココルナ(当時、約600円)で、写真撮影は別途50チェココルナ(当時、約250円)。図書館を巡っているのに、撮影代はやめてしまった。またお金が邪魔をした。お金の使い方については、よくほめられた。それは我慢してほしいものを買うことを褒めてもらえたからだ。いい面があるけれど、同時にこういうときに影響する。だがそれは、自分が何を大切にしているかわかっていないからだ。また一つ、自分を知る。

図書館、実際は「ストラホフ修道院」の中にある。多くの日本人が訪れるのか、係の人は日本語で挨拶をしてくれたり、日本語の解説書の用意があったりした。係の人はみんな親切。

ストラホフ修道院の図書館は、大きく3つの部屋に分かれている。「神学の間」「哲学の間」「珍品の棚」。図書館の姿を見せるのは最初の2つ。どちらも素晴らしいが、天井の高い「哲学の間」。ネットで見る写真もこちらのほうが多いだろう。ここで実際に本を読むってどんな気分だろうか。想像するだけで心が躍る。

「神学の間」には、おもしろい机が。複数の書物を同時に読むための机だ。板が4枚ついていて、回転させてそれぞれの板にアクセスする。「珍品の間」の珍品の中には、日本のものもあった。それくらいしかわかんない。

Student Agency でいくチェスキー・クルムロフ

時間もせまってきたので、急いでホステルに戻る。かなり集中して歩いて、景色なんて覚えていられない。荷物を受け取ってメトロへ。一瞬、乗る駅を間違ったかと大焦りしたが、メトロの番号を確認して無事に乗車。

どうもアジア人に目が行くな。メトロを降りてから地図アプリの maps.me をみながらバスターミナルへ。乗り場を確認してから、小腹を満たすために売店を探してソーセージを買う。35チェココルナ(当時、約175円)と中心部よりも安く買える。食べるところを空けてくれた青年がいた。ありがたい。

バスターミナルは、アジア人が目立った。どこかで日本人を探していた気がする。バスがきて乗車していく。1人、乗れなかったアジア人がいたが大丈夫だったんだろうか。

乗車するバスは「Student Agency」。係の人が一緒に乗車していて、液晶画面付きで、しかも充電もできる。めちゃ快適で一気に好きになった。コーヒーはタダだし。日記を書くつもりが映画「X-MEN アポカリプス」を観て、ポストカードやフェイスブックの内容を考えて終わった。プラハからチェスキー・クルムロフまでバスで3時間の旅はあっという間だったのだ。最後に残ったのは、激甘コーヒーの味だけ。

世界遺産の街チェスキー・クルムロフ

チェスキー・クルムロフに到着。予め「到着まで2度停まるからね」と係の人便利なASで下車。ホステルに向かう途中で、maps.me にあるビューポイントから写真を撮る。メキシコ人の女性と写真を取り合って楽しかった。

アジア人また韓国人のツアー団体さんが居た。スーパーを横目にホステルへ。入り口がわからなくて、最初裏側から入ったようで、スタッフに驚かれた。次の目的地は、オーストリア。通貨チェココルナは使えないので、現金を使っておきたかったから、ホステルの支払いには、500チェココルナ(当時、約2500円)をキャッシュで、残りの409チェココルナ(当時、約2045円)をクレジットカードで支払った。

ホステルは、内装がとても広く、それでいてこじんまりしている。キッチンや共通スペースも広くていい。久しぶりに1人ベッド(2段ベッドじゃない)で眠れる。同じタイミングでインド人とチェコ人のカップル(?)が入室。あいさつをして、一人寝ている青年を気にしながら街の散策へ。

チェスキー・クルムロフは、こじんまりしているが、とても素敵な街。かわいいというのを当てはめたい。橋や公園から望むお城は最高に映えてみえた。この街全体、フォトジェニックで、久しぶりに写真をたくさん撮ったと思う。楽しかった。

街は、坂が多くて、石畳に川も流れる。もしかしたら、日本の田舎、清川っぽい何かを感じたのかもしれないと今なら思う。自分が育った環境の影響というのは、ここまで大きいものなのか。

日本からきたカップル

チェスキー・クルムロフ城にある塔に登ると街を一望することができる。50チェココルナ(当時、約250円)。登る途中、日本語を話すカップルを見かけて、登る人、降りる人で階段が混んでいるときに話しかけた。男性の仕事の休みの間に旅行しているという。かつて南米やアフリカにいったことがあるという、旅の先輩だ。20代後半だろうか。仕事をやめて旅している自分を羨ましがっていた。「韓国の人、多いね」「あ、自分も韓国籍なんです」と。突然のカミングアウトに思わず、反応できず。

2人で過ごしたいだろうし、それくらいで話を終える。旅の無事を祈って別れた。「ここチェスキー・クルムロフから直接、ウィーンのザルツブルクにいくシャトルバスがあるんです」この言葉が残った。

高くついた夕飯

この塔から、街全体を一望できる。それくらい小さな街のチェスキー・クルムロフ。降りるのが惜しくてしばらく写真撮ったり、景色を楽しんだりした。

18時に閉まるスーパーで買い物をして、ホステルに戻った。少し休憩。何やらいい香りがしてきた。1人の男性が料理でお肉を焼いていた。美味しそう。
「いい香りだね」
そう話しかけてみたら、ひとつわけてくれた。肉は硬いけれど、味は美味しい。白ワインとその肉を楽しむ彼。顔が明るく、いいやつ認定。なお、お肉は400gで84チェココルナ(当時、約420円)と安め。明日の夕食に決めた。
「後で話そう」
そういって、自分の夕食を食べに行った。最初に行ったお店はお肉が食べられるってことで選んだのだが、予約していない人は外でしかムリってあしらわれる。
「明日は?」
「Same(一緒だよ)」
でおしまい。

それで、Kreme v sdtlavske で食べるのをやめてさっきの韓国の彼がいたっという、Na Louzi へ。スーとビール、そしてステーキを注文した。314チェココルナ(当時、約1590円)とお高め。しかも現金しか使えなかった。味は普通だ。アジア人が嫌いなのか、おっさんの態度が悪し。

出会いは旅の醍醐味

お腹を満たして、ホステルに戻る。20時近い。あたりはかなり暗くなってきた。スタッフの教えてくれた、ビュースポットにいくには遅すぎる。ホステルでは、韓国の彼と、イギリス人の男性が話をしていた。お互いの旅の行程の話をしていて、イギリスの彼は早めに戻った。

そのあと、韓国の彼と話をした。さらにそこにオーストラリアからの男性が加わって、彼の持っていたスコッチで飲み合い、話を続けた。スコッチはベルリンで買ったもので、10ユーロもしないそうだ。韓国の彼、ジョン・ウーは、そのお酒をとても気に入っていた。彼は、学生。ソウル大学に通うエリートだ。交換留学生として、ドイツのハンブルグへ行くという。それまでの猶予に、ヨーロッパを周遊しているそうだ。

彼は、韓国のインスタントラーメンを僕らにごちそうしてくれた。ちょっと辛かったな。韓国語で言う、いわゆる「あらいぐま」というラーメン。

オーストラリアの彼は、遠慮ないネイティブスピードで会話してくる。だからかなり苦労した。ジョンがいい感じに返すので、それで内容を把握していった感じた。メルボルンから来ている彼。料理の話で何料理でも自分の国で食べられる。だから、料理を食べるために世界をまわらなくていいねって笑いあった。

これ以上はもう酔っ払って何を話したか覚えていない。でも、3人で楽しい時間を過ごしたことだけは覚えている。オーストラリアの彼hあ、ポテトばかりで全然ヘルシーじゃないって話してたっけ。彼は、自分と同じ2日後に移動する。ジョンは、明日には、ウィーンへと行くそうだ。彼に、CK Shuttle をすすめられた。

CK Shuttle は、800チェココルナ(当時、約4000円)と安くはなかった。話し込んでしまったため、23時と遅くはなったが、夜の街を見に出かけた。タバコを吸いにでたジョンを誘ったらついてきた。

夜のチェスキー・クルムロフを散歩する

外はかなり冷えていたので、レインウェアを防寒に試してみた。かなり寒い。でも空は満天の星。そして静か。2人で話をしながら旧市街、そしてチェスキー・クルムロフ城の方まで歩いていった。星がほんとうに綺麗だ。なんて、まるで恋人同士みたいな会話。男同士なのが悲しい。なお、ジョンには相手がいる。自分も彼女がほしい。

趣味が写真だと話していたから、写真を撮るときは待ってくれた。お互い要求をいう、いい関わりだと思う。夜景や星の写真を撮って見せたら、お世辞抜きに上手だと気に入ってくれた。
「1枚あとで送るよ」そう約束した。

チェスキー・クルムロフ城の壁の話、能の話、丘の上にあるゲートの先について何があるのか、そんなことを話した。

彼が、2年間の軍人時代、とても辛かったという。そのとき、座禅は彼を助けたそうだ。無宗教という彼。自分は、神道と仏教のハーフと伝えておいた。仕事をやめて、たびに出ていることをとても驚いていた。韓国ではありえないことだからだそうだ。もちろん、日本でも普通のことではない。

いいヤツである彼が明日で去るのは寂しい。ただ、ウィーンでまた会うことを約束した。彼と過ごした夜。満天の星。、それぞれ見ることができた流れ星。語り合ったことは忘れない。咳をする自分を気遣う彼。
「薬をあげるよ」
なんどもそう言ってくれた。受け取らなかったけれど、今思えば受け取っておけばよかったと思う。無用な遠慮だった。また、韓国人を好きなることができた。ホステルに戻って、朝の約束をして、それぞれ準備して眠りについた。

補足

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