【旅の記録】ドイツのドレスデンからチェコのプラハに移動:ドイツ:チェコ【99】

チェコ

11年務めていた会社をやめて35歳から始めた旅の記録

2017年5月出発した旅のことを、記憶と記録を頼りにつづってみようと始めました。
書き方などはだんだん良くなるはず(笑)なので、見守っていただけると嬉しいです。
※途中、記憶違いや文章の構成的にフィクションが入るかもしれません。ご容赦ください。

巡った順序 → 日本 → (韓国) → ロシア → フィンランド → スウェーデン → デンマーク → ノルウェー → エストニア → ラトビア → リトアニア → ベラルーシ → ウクライナ → ポーランド → ドイツ → チェコ → オーストリア → スロバキア → ハンガリー → ルーマニア → モルドバ → (沿ドニエストル共和国) → モルドバ → 続く…

初めての方はコチラから → 11年務めていた会社をやめて35歳から始めた旅の記録と記憶

こんにちは、mickです。

いよいよ、ドイツを離れてチェコのプラハに移動。
かなり前に、姉と旅行できたことがあったので、めっちゃくちゃ懐かしく感じた。
昔はそうでもなかったのに、いまではすごく観光地化されてて。
人が多く来るようになった分、合わせて警備も厳しく。
銃を持った人をみるというは、武器がなくてもよかったプラハではなくなったというのに寂しさを感じた。

その以前にきた場所を巡りつつ、お気に入りのプラハ城を散策。
ただ、前日の宿でのことでこの旅で初めて熱をだしてしまった。

日付:2017年8月25日(金)懐かしいといえる街プラハ

日付:2017年8月25日(金)
地域:ドレスデン、プラハ
天候:晴れ

無事にポストカード投函

久しぶりの午前中出発の日。ハンガリー野郎は、すでにチェックアウト。韓国の女の子の方は、不在だった。

自分は、チェックアウトして外へ。昨夜のこともあって、気持ちはまだよくなく、警戒して歩いた。ポストカードを出したいので、必死にポスト探し。運良く、トラムへのルート上にあった。ポストカードを投函して、無事にミッション完了。

結局、行けなかった図書館をみながらトラム乗り場に。近くに浮浪者がいる。何事もなく、トラムで駅へ。駅の中では、プラットフォーム近くのベンチでバスの時間が近づくのを待った。ドイツでのことをまとめたり、クマ様に送るドイツ鉄道車両の写真を撮ったりして過ごす。

近くのパン屋で店員にからむ男。自分は苦手らしく、割って入ってまでパンを買うことができない。言葉の壁もあるにはある。プラットフォームの待合所は、平和だった。

時間の10:45が近づいてきたので、バスのりばへ。今回は、時間通りにバスが到着。国境を越えるので、パスポートを見せてから乗り込む。このあと、何があったのか知らないが、出発が遅れている。遅れて11時を回ったあたりで出発となた。

バースデーメッセージはドイツから

Flixbus は、Wi-Fiが150MB使える。全部を使い切ることを気にしてしまったが、今日は母の誕生日。それに代わるものはないと気づいて、050で電話。

元気そうな母の声。今思えば、暗い母の姿を見たことがない。心配されることはあっても、基本明るい母だ。気づかないところで、自分は母の明るさに助けられて、そして甘えてきたんだと思う。感謝しかない。母は、見返りなんて考えもしないだろう。そこに母の愛が存在していた。

5分も話ができなかったが、最低限のことはできたか。リマインドをくれる姉にも感謝だ。バスからの車窓がどこともなく、変わっていく。バスが通るには狭い道を通り、どんどんプラハに近づいていく。早く着いてほしい気持ち。そして、まだついてほしくない気持ちが入り混じりながら。

実は2度目のプラハ

バスは、チェコはプラハのバスターミナル、フローレンスに到着した。ついに到着したチェコのプラハ。14か国目となる。ここからしばらく、懐かしさに浸ることになる。バスターミナルは、新しくてキレイ。これまで使ってきたバス会社のカウンターが目を引く。

前にここプラハに来たのはいつだったか。実はよく思い出せない。ドイツ旅行の次かと思ったけれど、その次はスペインでのツアーだったはず。バスターミナルで目を引いたのは、軍による警備だ。自動小銃やマシンガンを持った、男性がペアを組んで行動していた。

いまや一大観光地であるチェコのプラハ。今日では当然のことかもしれない。街にはアジア人の数が確実に増えていた。アジアに旅行していないせいか、慣れない。まず、キャッシュを得るために銀行を探す。

窓口はあるがATMがないところが目立つ。コンサートホール向かいの銀行にあるATMでお金をおろす。1000、500、500、と大きい紙幣がでてきたため、結局窓口で小さいお金に両替を頼むことに。順番待ちの券で待ったあと、窓口で細かいお金に両替した。Uni Credit Bank。

チェコのSIMカードは高い

ここで時間を使ってしまった。そのまま向かいにあるショッピングセンターで、SIMカードを買いに行く。今回は、T-Mobile。F-2にあり、重い荷物を持って移動は大変だったのに、SIMカードをカードの在庫がないという。1GBは、200チェココルナ(当時、約1000円)、4GBで400チェココルナ(当時、約2000円)と高い。別の店舗を案内してもらう。O2にも立ち寄ったが、5人待ちはつらい。

チェックイン時間の14時を大きくまわって、出遅れた感。コンサートホールが最初の思い出のポイント。夜に写真を撮った。そこからまたまた思い出のポイントの通り。どこかのお店に入ってボヘミアングラスのお土産を探した記憶がある。

面倒くさいホステル

いまはハイシーズンのせいか、浮浪者風の人も目立つ。思い出でプラハは美化されている。そのせいで、こういう人が増えていることに寂しさを覚える。ホステルのチェックインは、口コミ通り混んでいた。チェックインのとき、2日目に部屋を移動しろという。
「しばしばおきることなんです」
じゃねぇよ。
荷物を持ってリチェックインしないといけない。他の人と同じ午後2時にだ。
「団体が入ってくるんです」
の一点張り。
「事前に知らせとけっつーの」
くらいしか言えなかった。タオルのレンタルはい。ハンガリー野郎のせいで、風邪ぎみ。それでも短い滞在だと部屋荷物を置いて、プラハ城を目指す。

腹ごしらえに早速マクドナルドミッションで、ビッグマックを食べる。そして、ミッション完了。SIMカードミッションでは、T-MobileでSIMカードを4GB、400チェココルナで買った。EU圏で使えるらしいので、多めの容量にした。ドイツの件があったからだ。

懐かしいと思えるプラハ

時計塔は、修復中。前の広場は人、人、人。渋谷のスクランブル交差点なみだ。この人の多さに驚いてしまう。活気があるとは聞こえがいいが、多すぎる。記憶と違う街並みに。少し寂しさが伴った。

聖ニコラス教会では、コンサートがあるらしい。夜の8時。マークしておく。思い出にひたりながら、コンサートのチケットを買った。ルドルフィヌム前を通り、マーレマーク橋からプラハ城を望む。涙が出てくる。あの何気ない日々が、どれだけのものだったかを気づかせてくれる。また家族できたい。

お城が好きな友だちに写真を送って、少しでもと共有してみる。まだふもとなのでお城までは坂を登っていかないといけない。昔に登った坂とは、少し違和感を得ながら進む。売店のチェココルナとユーロの併記が面白い。これは、昔も同じだたっけ。

暑い。ドイツは涼しかったのに。日差しのせいだろうか。お城に向かうのは自分くらいで、他の人は坂を下って向かってくる。歩きにくい。それでも進んで入り口へ。なんと、以前はなかったセキュリティチェックが始まっていた。そして、うしろには銃を持った人が。

悲しかった。今日の世界の姿をみて、そして武器を使って守るという状況になっていることを知ってしまった。これは本当に悲しかった。

お気に入りのお城プラハ城

プラハ城の中にはいってまずは景色を望む。いつか姉と見た景色がそこには広がっていた。細かくは変わっているが、記憶はそのままの姿をプラハ城は見せてくれた。一人なのが寂しかった。

ポーランドで日本の友だちと別れてから、こんな調子。場内では入ってすぐ右の空間。黄金の小道の出口にあたるところに、男性の像があって、ちんちんが黄金色に輝いていた。以前にもあったか、思い出せない。自分も姉も、この手のものは苦手だからな。

さらに奥に行って、本体である聖ヴィート大聖堂へ。列に並んで入ったことを思い出す。今回はすんなりと入れた。中は人だかり。日本人と家族連れなどちらほら。つい目がいってしまう。

今回、内部奥のチケットは買っていないので、ほんのエントランス部分のみ。お城が好きな友だちにまた写真を送って、すげー、くらいの感動はもらえた。しばらく離れたくなかった場所。少し探せば、姉の姿がでてきそう。どこかでそう思っていた。だが、彼女は間違いなく日本にいる。

すぐに現実に戻った。外に出て、チケットを買った中庭へ。ここで2人で写真を取り合ったっけ。プラハ城は、所見でかなりの感動を与えてくれて、ここの場所にきたときとても興奮していたのを思い出す。若かった、ではすまされない。すませたくない。

とにかく感動にひたまりまくった。場内をウロウロして、長い時間になくしてしまった何かを探すかのように振る舞っていた。初めてプラハ城をみたルートを歩こうかと思ったが、警備、新しい庭のための建物、それらがすでにかつてのプラハ城でないことを物語っていた。いや、自分が変わってしまったのか。

同じところから写真を撮ると、同じように撮るから面白かった。新しくできた庭は、18時までで、この時間では入ることができなかった。場内を往復して、裏側からでる。なつかしい坂道を降ってカレル橋を目指す。

同じお店が残っているかなんて覚えていない。けれど通りそのものは覚えていた。のどのいたみと暑さで炭酸水を買って進む。昔、何を買ったかを忘れたが、少し姉と言い合いになった店の近くを懐かしんだ。何食べたっけな。

カレル橋は、多くの人。市街地側にある、昔行ったレストランをみつけた。夕日が美しい、というよりプラハ城が美しい。

旅にでて初めて風邪ひいた

今日は体調がよくない。ホステル近くで、ソーセージを食べ、浮浪者の出現にビビりながら食べ、部屋へ2人の男性が荷造りをしていた。おそらくイタリア人。夜の街にでていった。

ホステルのナイトツアーがあるようだが、体調も悪いので一度出たホステルを戻って、寝ることにした。この旅で、初めての発熱。37.1度。なぜか周囲の人達は夜遅くに戻って、そして静かにしてくれた感じ。おかげでよく休めた。

補足

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