11年務めていた会社をやめて35歳から始めた旅の記録
2017年5月出発した旅のことを、記憶と記録を頼りにつづってみようと始めました。
書き方などはだんだん良くなるはず(笑)なので、見守っていただけると嬉しいです。
※途中、記憶違いや文章の構成的にフィクションが入るかもしれません。ご容赦ください。
巡った順序 → 日本 → (韓国) → ロシア → フィンランド → スウェーデン → デンマーク → ノルウェー → エストニア → ラトビア → リトアニア → ベラルーシ → ウクライナ → ポーランド → ドイツ → チェコ → オーストリア → スロバキア → ハンガリー → ルーマニア → モルドバ → (沿ドニエストル共和国) → モルドバ → 続く…
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こんにちは、mickです。
ブリヤート共和国の2日目のこと。
この日、バイカル湖に近い村のAtukerに行く予定でしたが、思うようなバスがなくて断念。
予定を急に変更して、ウラン・ウデの散策に切り替え。
ブリヤート歴史博物館やもうひとつのチベット寺院のリンポチェ・バフチャへ。
これはこれで楽しかった。このときも、なにかと現地の人に助けられた。
お昼のピザは、高くて味がないのはすでにネタ。
夜のホステルでは、同じ旅人との会話で弾む。
彼らがフレンドリーに応じてくれたおかげで、この先も旅人に声をかけやすくなったかな。
日付:2017年5月28日(日)ウラン・ウデ 2日目
日付:2017年5月28日(日)
地域:ロシアのブリヤート共和国の都市ウラン・ウデ
天候:晴れ
いびきというドミトリー部屋の洗礼
朝、バイカル湖方面の Atuker に行くため早めに目覚ましをかける。
それよりも早く、他の人の物音で起こされる。けれど、疲れを感じて、遅めの11:00発のバスに切り替える。
8:00のバスは、寒いし早いと考えたから。
でも、9:00までの間、(おそらく)中国のいびきがかつて聞いたことないほど大きく。
「眠れない」
と、ドミトリー部屋の洗礼を早速受けることになる。
朝起きると、ドイツ人のカップルがいて、挨拶する。
ホステルの管理人に、Atuker行きのバスステーションの場所を確認して10:00に出発。
天気も良くて、バイカル湖に行けるのを楽しみにしていた。
次のバスは 15:00
バスステーション。
「Atuker行きのバスはどれ?」
「バスに乗りたいのか、チケット買ってこい」
建物の中にあったチケットカウンターを探しあてて。
「Atuker?今日はもう15:00のバスしかないよ」
「ぇぇ…これに乗ってまたウラン・ウデに戻ってこれるならいいけど…」
身振り手振りであまり英語が通じないチケット売り場のおばちゃんに今日中にウラン・ウデに戻れるかたずねるも、どうももうまくいかない。
白い服のモンゴル系のおばちゃんが英語を話せるからと通訳してくれた。
めっちゃ助かった。
「帰りのバスはないってさ」
結局、バイカル湖へといくAtukerを諦めることになった。
ブリヤート歴史博物館
予定が変わったので、スマホで周辺を調べ、地図に出てきたブリヤート歴史博物館に行く。
最初、がっちり扉が閉まっていて、入りづらい。
思い切って重い扉を押して入る
いくつかの展示に別れていて、それごとに料金がかかる料金設定。
すべての展示を見ることができる400ルーブル(当時約800円)のチケットにする。
時間も合ったし。
「支払いは、1000ルーブル札で」
「ちょっと待ちなさい」
なぜか断れる。
というかかなりお札を確認してチェックが入る。進まない。
「うーん、じゃあ500ルーブル札で買います」
「OK」
なにがなんだかさっぱり。
英語を話せる兄ちゃんがいう。
「1000ルーブル札自体には問題がないから心配しないで」
いや、心配になるに決まってるやん…
お釣りでも足りなかったのかな…
5つの展示が5つの部屋である。上から見てくるといいとのことで、そうする。
荷物も預かってくれるといったが、大切なものばかりだったのでやめておいた。
ブリヤートの人々にとってバイカル湖は神聖な場所
最初の展示は、チベット仏教に関するもの。
展示は、ほとんどが18世紀から19世紀のものと新しめだったが、日本ではなかなか見ることができないもので、非常に興味深いものだった。
次の部屋は、ウラン・ウデの歴史。
ソビエトの時代に、この地域の原住民に医学などの教育を受けていたことが興味深い。
途中、女性のカラフルな民族衣装に心を奪われた。
何かありそう。まあ、よくわからんけど。
3階、2階とみて、1階。係の女性に案内された先に、ゴーンと連れが居た。
挨拶ついでに、Atukerにいけなかったことを説明する。
ごちゃごちゃと話したが、結局のところ「簡単にチケットが売り切れでいけなかった」で良かったよね。
他の展示は、よくわからなかった。
案内の女性にきいてみたいことを確認してみた。
「バイカル湖ってやっぱり神聖な場所なんですか?」
「そうよ」
と答えてくれた。
ロシアサイズのピザ
博物館をあとにして、小腹がすいたのでピザ屋にはいる。
値段が高いのか、店内はガラガラだった。節約で、小さめのピザとコーラ。
380ルーブル(当時約760円)なんで高い。
注文したピザは、なんとチーズとキノコ。
(本音は肉がよかった)
それに小さめでも自分にとっては大きかった。
味は、そう、塩分多め。
チベット寺院リンポチェ・バフチャ
市内のバス97番でリンポチェ・バフチャへ。
青空も相まって、昨日行ったチベット寺院といい、とてもすばらしい場所だった。
モンゴル系の母娘に写真を頼まれて、撮ってあげた。
アジア系の外国人が珍しいのか、いろいろ聞いてくる。
「名前は?」
「どこからきたの?」
「学生?」
母親の方があまりに話すので、娘さんが恥ずかしそうにしていた様子がかわいい。
バイエルテー。
昨日のモンゴル系のおじさんが教えてくれた、別れの挨拶をつかった。
「Good Luck という意味よ」
そう少し英語のできる娘さんが言葉に込められたほんとうの意味を教えてくれた。
読経の時間
寺院の周りを歩いたあと、中心の寺院に入る。
ちょうどお経をあげているところだった。
特徴的なのは、お坊さんが鈴を回すと、人々が手に持っているのを回すことだった。
「マニマニマニ…」
みたいな発音。
ここでもまた、祈りに出会う。
信者に混じって、また見様見真似で事を進めた。
一応、うちは仏教なんで。
信者が並びだして、僧侶の前に次々と歩みをすすめる。
自分もその列にならんで頭を下げ、頭に経典(だと思う、本)を当ててもらう。
祖母が、お経を唱えたあとに僕らに同じことをやってくれたこと、思い出した。
リンポチェ・バフチャ散策
たくさんの像に祈りを捧げる人たち。
驚いたのは、信者が寺院を、像を離れるときに、背を向けないということだ。
すり足で後ずさっていく。この光景は初めてみた。
外に出て、日光東照宮の干支の絵馬が飾ってある建物や、祈りを捧げる人用の建物。
日本とのつながりを感じて、嬉しく思う。
寺院を囲むようにある木でできた通路を歩く。
生まれた年の神様の描かれた小さな小屋がいくつもあった。
お土産売り場の建物をみて、ミニバスで帰る。
いつものモンゴルカフェ
また、モンゴルのカフェにいって、今度こそ野菜が入ったやつを、と適当に頼んだら、水餃子風のスープで、じゃがいもしか入っていなかった。
まあ、じゃがいもも野菜か…
明日、またシベリア鉄道に乗るのでスーパーで買い出し。
ウラン・ウデの散策はこれでおしまい。ホステルに戻った。
ホステルの仲間たち
ホステルのスタッフに、Atukerにはいけなかったことを告げる。
「延泊するかい?」
「いや、もう切符があるからね」
ということで、諦めることに。
ウラン・ウデでは、Atuker、宗教博物館といくつかをあきらめることになる。
この街は、また来たい、そう思わせる。
このホステルも良かったな。
リビングにあたる部分が、広いことって結構大切みたい。
スペイン人のショーシャ、ドイツ人のゴーンにモスクワとサンクトペテルブルクでのホステルの情報を聞いておいた。
こういう旅人からの情報収集は、大事。
2人とも2泊くらいの経験だけれど、モスクワでは2人ともよかったというホステルの名刺をくれた。
サンクトペテルブルクは、ショーシャがオススメしてくれた Baby Lemonade。
自分は明日出発のため、2人に別れを告げて、写真を整理を初めてして、寝ることにした。
ショーシャとはFacebookでつながった。スペインに来たときは、寄ってくれ、と。
補足
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