11年務めていた会社をやめて35歳から始めた旅の記録
2017年5月出発した旅のことを、記憶と記録を頼りにつづってみようと始めました。
書き方などはだんだん良くなるはず(笑)なので、見守っていただけると嬉しいです。
※途中、記憶違いや文章の構成的にフィクションが入るかもしれません。ご容赦ください。
巡った順序 → 日本 → (韓国) → ロシア → フィンランド → スウェーデン → デンマーク → ノルウェー → エストニア → ラトビア → リトアニア → ベラルーシ → ウクライナ → ポーランド → ドイツ → チェコ → オーストリア → スロバキア → ハンガリー → ルーマニア → モルドバ → (沿ドニエストル共和国) → モルドバ → 続く…
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こんにちは、mickです。
初めてのバックパッカー宿で楽しく過ごし、次の目的地イルクーツクへ移動した日。
シベリア鉄道の3等車に初めて乗車しました。
昔は、この3等車に乗ると、ウォッカを飲まされて楽しくなるそうです。
私が乗ったときには、いいのか悪いのか、車内での飲酒が禁止になったので、そんなことはありませんでした。
ただ、軽く青年たちに絡まれたくらいですね。
ハハハ。
イルクーツクから、バイカル湖にいくのだけれど、それは明日に。
この日は街の散策と教会巡りしてました。
ロシア正教会で祈りを捧げる女性が涙を流していた光景を、今でも覚えている。
この日も、同じバックパッカーに助けてもらったり、ノルウェーのご夫婦に再会したり、宿では中国人と仲良くなったり。
それでも眠るときにはどことなく、寂しかったみたい。
日付:2017年5月29日(月)バイカル湖の中継地イルクーツク
日付:2017年5月29日(月)
地域:ロシアのイルクーツク
天候:晴れ
バイバイ、初めてのバックパッカー宿
朝の電車にのるために、出発の2時間前に起きる。
スタッフには、朝早くでることを伝えいた。
感じの良いドイツ人ゴーンに会えた。彼は早起きだ。
彼には、モスクワ、そしてサンクトペテルブルクの情報を聞いておきたかった。
Facebookでつながりたいとも言いたかった。
彼が素敵な人だと、肌感覚で感じてはいた。
なのになかなかそれができずにいた。
断れる。
いつもの癖で先読みしてしまう。
つながったあとにどうすればいいかって。
わからない、イメージができない、未知の怖さなのかもしれない。
最後には、勇気を出し声をかけた。
結果、ゴーンとモスクワのホステルの話、そしてFacebookでつながることができた。
快く受け入れてくれたのだった。自分の迷いがなんだったのかと、晴れる結果だ。
ショーシャと同じく、泊まった日が少なく、役にたたないといってくれた。
ただ、悪いホステルに泊まったので一度変えたそうだ。
Facebookでつながったあと、ゴーンは旅の安全を心から祈ってくれた。
ハグしたときも、その力強さから本物だった。
このホステルは、良い人がくる場所なんだろう(中国人の例外もあるが)。
彼らに別れをつげて、ウラン・ウデ駅へ出発。
2回目のシベリア鉄道
空の青さと鳥が印象的な朝。空気はまだ冷たい。
9:11発の3等車。安いのですぐに売り切れる。
今回は、どうやら1車両のみが3等車らしい。
しかも、他の車両にいけない。
扉には固く鍵がかかっていた。
フレンドリーな車掌
この3等車を担当している男性の車掌がめちゃくちゃフレンドリー。
何かと気にかけてくれて、笑顔で接してくれる。彼が英語が話せる。
「これをあげよう」
何故か、「ロシア軍」と書かれたゴムの腕輪をくれた。
バイカル湖を「美しいだろ」と説明する、彼の優しい顔が印象的だった。
本当に美しいものというのは、人の本当の姿をあらわにするのかもしれない。
イルクーツクまでの車窓は、バイカル湖で青色だった。時々オレンジ色の花が咲いていた。
かつて、シベリアに抑留された日本人が、バイカル湖を日本海と間違えた話にも納得する。
3等車のベッドの2階部分は、とても狭くて落ち着かない。ほとんどを連結部の通路のまどから外を眺めていた。
フレンドリーすぎる乗客
同じ車両に、若い軍人(だと思う)が乗ってた。
4人うち2人が片言の英語でいう。
「この軍の携帯食を500ルーブルで買ってくれ」
値段のこともあるけれど、ビニールで封をされた灰色の箱が得体がしれなさすぎ。
買う気になれるわけもない。
「お金が必要なんだ。それに君も食料も必要だろ」
「まあね。でも、君らも食料は必要だろう。オレにもお金が必要なように」
平然とやり取りしているように見えるが相手は、4人の集団。
しかも、若くてもロシア人の体の大きさ。ぶっちゃけ怖い。
やり取りしているのも車両の連結部近くの狭い通路。逃げ場もない。
そのうちの一人が「売れるわけ無いだろ〜」的なことを言いながら、笑顔でいてくれたからどこかで安心していた。
そんな彼も、バイカル湖はキレイだろって。
そして諦めて帰るときには、I’m sorry.といって去っていった。
それからは、関わってくることはなかった。
根はいい奴らなんだろうなって思う。
確かに、3等車の中でミラーレスカメラを持ち歩いていたら、結構視線を感じた。
少しギラギラした感じ。
それで、自分が3等車に乗るには、物を持ちすぎていると思った。
イルクーツクに到着
イルクーツク駅に到着。車掌にお礼の千代紙を渡して、お別れ。
そそくさと下車する。
なんかさっきのことがあったので、移動に少し不安を感じてしまった。
それで、同じ車両に乗っていたイタリア人のカップルと道中をともにすることにした。
こういうとき、快く受け入れてくれるバックパッカーが心強い。
ちなみに、彼らにもさっきのような売り込みがあったそうな。
イルクーツクからモスクワへいくチケットは、2等車を買っているので、もうこういうことはないだろう。
イルクーツク駅から、イタリア人カップルと一緒に歩いて中心地まで向かう。
といっても、彼らとは宿が違うので途中でお別れした。
ホステルまでは1時間
正直なめていた。事前に調べていたつもりだったんだけれど、ホステルまでは軽く1時間くらいかかった。
これだけ長くバックパックを担いでいたのは初めて。
少し肩を痛めたかもしれない。
スペインのショーシャの言葉を思い出す。
彼は、自分の怪我した足をさすりながら言ったことを。
「無理しないで、疲れたり怪我したら休めよ」
それでも街を歩くのは好きかもしれない。観察が楽しい。
この日は月曜日。多くの博物館は、お休み。
道中、いくつかモニュメントや協会が目につく。
Irkutsk Cat の像はうけた。
日本に行くのが夢
今日から2泊する、Rolling Stones Hostelに到着。早速チェックイン。
2泊で1728ルーブル(当時約3400円)。
今日が初めての日だという、受付の女の子が話してくれた。
「私、日本に行くのが夢なの」
このとき、個室をとってたのを忘れていた。
個室なので鍵を借りる必要がある。
この鍵を借りるには、200ルーブルのデポジットがかかる。
「鍵を利用者に預けるときは、だいたいこんなシステムよ」
そう教えてくれた。
手続きをバババッと済ませてしまったので、名前をきいたり、千代紙をわたしそこねたりしてしまった。
彼女の笑顔と明るさは、1時間歩いた疲れを忘れさせてくれたね。
部屋で落ち着いたあと、散歩にでる。
2つの教会
イルクーツクを散策。
イルクーツク川近くの記念碑、銅像、モスクコフスキエ・ヴォロタ、川沿いにある開拓者の像、そこから教会のバガヤヴリェーンスキー教会とスパスカヤ教会へ。
バガヤヴリェーンスキー教会は、内装が美しく天井も高く。広い空間。神聖な空気を感じる。
スパスカヤ教会は、2階が聖堂になっていて、ミサとか祈りを捧げるなにかの儀式がおこなわれていた。歌と祈り、それはとても幻想的。
最後には、イコンの扉が開いて、通常見られない裏側をみることができた。
祈りに来ていた人はみな女性。
中には涙を流す人もいた。
なんどもなんども、頭を下げて。
イコンの扉が閉まるまで、自分はそこに止まっていた。
スパスカヤ教会の入り口では、物乞いがいて、いい雰囲気ではなかった。
施しをしないでいると、わからないロシア語で叫んでいた。
退散するに限る。
再会
バガヤヴリェーンスキー教会では、今朝のイタリア人カップルに再会。
スパスカヤ教会のあとでは、ノルウェーのご夫婦と再会。
こうした偶然は、すごく嬉しい。
ノルウェーの旦那さんは、イルクーツクの歴史を少し話した。
「都市部から左遷されたインテリたちが作り上げた街なんだぞ」
明日、お互いバイカル湖に行くのでまた会えたらいいね、ということでお別れ。
ロシアのイギリス
暗くなってきて、最近まともなご飯を食べてなかったと思って、少し高めのお店に行く。イギリスのパブを模試たようなお店。時間が早いのか、店内にはほとんど人がいない。
スープ、サーモンのコロッケ、野菜グリル。これで、750ルーブルに加えて100ルーブルのチップ。高い(当時約1700円)。
魚は、オームリがいいっていって注文。通じなかったのかな。
どうみても、サーモンにしか見えなかった。
英語があまり通じない女の子の懸命さと可愛さに、チップいれちゃったよ。
ボイルのつもりでグリルと間違えたのは、自分反省。
コロッケは、とても美味しかった。
スープもグッド。
メニューに書いてあるロシア語の「フリェープ」がなんだか謎だった。
けど、実際に食事が運ばれてきたらすぐに分かった。
パンの意味だった。
中国人のジャスティン
ゴーンたちが食べていた朝食を習って、小さなお店でシリアルと牛乳を買ってホステルに帰る。
ホステルの個室は、1階部分。この日は、全員アジア人が1階部分に宿泊していたようだ。
そのうち、親子で中国から来ていたジャスティンと仲良くなる。
(海外で出会う中国人は、英語名を名乗るのとがある)
彼はいろいろと話しをしてくれた。
日本の京都が好きなこと。
中国に中国語が流暢な日本人がいて驚いたこと。
日本語を勉強していること。
いま世界一周中だと伝えると、それがうらやましいということ。
結構遅くまで話してしまった。
Facebookでつながって、また話そうってなった。
深夜の騒音
この日の夜は、深夜2時から3時。音楽がとてもうるさかった。
この部屋は、騒音で常にノイジーなんだけれど、この間が特にひどい。
しかし、不思議と冷静だった。そのままでも眠れる気がした。
耳栓もだしていたけれど使わなかった。
そんな中、日記をベッドの上で書くけれど、途中で力尽きる。
この日は、少し寒くて親父からもらった上着を着て寝る。
その姿をかがみてみたとき、父の姿を思い出した。
寂しさとともに。
補足
バックパッカー宿のチェックアウト
バックパッカーが泊まる宿では、早朝出発だとスタッフがいない可能性が多い。
その場合、早朝出発を事前に伝えておくのがお約束。
支払いは、前払いが基本なため、スタッフが不在で早朝出発ができないことは稀。
シベリア鉄道の3等車との壁
3等車から別の車両に移動する扉は、固く閉じられていた。
勝手に推測すると、経済格差があるからだと思う。
- 3等車は、労働者層。
- 2等車は、スマホやタブレットが持てる層。
- 1等車は、間違いなくお金持ち。
経済格差を肌で感じて、考えるきっかけになった。
シベリア鉄道でタバコを吸う方法(3等車限定)
シベリア鉄道の中は禁煙。
普通、タバコを吸うためには停車駅で降りて吸うしかない。
が、どうも例外があるみたいで、3等車だと車両の連結部分で吸えるみたい。
車掌さん次第だとは思うけれどね。
ロシアとチップ
通常、ロシアにチップの文化はない。
が、お店によって要求してくるところがある。
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