【旅の記録】ブラショフからのエクスカーションでいくプレジュメル教会要塞【121 – 1】

ルーマニア

11年務めていた会社をやめて35歳から始めた旅の記録

2017年5月出発した旅のことを、記憶と記録を頼りにつづってみようと始めました。
書き方などはだんだん良くなるはず(笑)なので、見守っていただけると嬉しいです。
※途中、記憶違いや文章の構成的にフィクションが入るかもしれません。ご容赦ください。

巡った順序 → 日本 → (韓国) → ロシア → フィンランド → スウェーデン → デンマーク → ノルウェー → エストニア → ラトビア → リトアニア → ベラルーシ → ウクライナ → ポーランド → ドイツ → チェコ → オーストリア → スロバキア → ハンガリー → ルーマニア → モルドバ → (沿ドニエストル共和国) → モルドバ → 続く…

初めての方はコチラから → 11年務めていた会社をやめて35歳から始めた旅の記録と記憶

こんにちは、mickです。

【この日の内容は、記録が長かったので2回に分けています(前半)】

ここ数日、歩き続けたり、長距離の移動があたり、さらにはベッドバグのかゆみでの疲れ。それで、行動を午後からにした。
休む時間をしっかりつくることも大事だと思う瞬間。

この日に行った、プレジュメル教会要塞は、ユネスコ遺産(の一部として)に入っている。ルーマニアは、いくつかの教会要塞をまとめて、ユネスコ遺産に登録してあるから。

建物もそうだけれど、利用したミニバスのおじさんが最高だった。偶然にも行きと帰りが同じだったし。

偶然といえば、この日はさらに面白い出会いがあった。こんな偶然あるんだなぁって。

日付:2017年9月16日(土)2度の偶然

日付:2017年9月16日(土)
地域:ブラショフ
天候:晴れ

ゆっくりすることを決めること

連日、動いてたので今日は動きたくない。そんな気持ちの朝。チームスペインは、どこかにでかけていた。もうベッドバグはいないはずなのだが、足がメチャかゆかった。

朝食をとったあともベッドに戻り、休んだ。旅の間のとても大事な時間だ。自分以外は誰もいないとか最高すぎる。かゆみはあったが至福のゴロゴロタイム。まだ一週間経ってなかったが、台風が日本に迫っているそうで、心配して電話した。

実家は、母が出て嵐の前の静けさなのか、午前中に降っていた雨は、午後には止んで、風もおさまっているという。日本は丁度敬老の日で3連休が常。また高台にある実家。思った通りで安心した。父は仕事で不在だった。家族の声も聞けて安心し、またゆっくり。

延泊の手続きをするため、Booking.comでしていて、同じ部屋に留まっていいかを不在だったスタッフに電話したら、OKをもらう。これで安心。お昼まで動かなかった。

ユネスコ遺産のプレジュメル教会要塞へ

このまま動かない、という選択もできたのだけど、地球の歩き方に載っていた、プレジュメルの教会要塞に行ってみたくて、行くことにした。頭から離れなかったからだ。本に載っていたバス停を探していく。教会の側、というがサッパリ。バス停の近くにチケットを売る人がいるので、尋ねた。
「反対側だよ」

それで2つほどバス停をうろついて、地図アプリmaps.meにあるAutogara Vestというところをみつける。13時近い。カンで急いだほうがいいと思って駆け足で向かった。するとミニバンが停まっていて、プレジュメル行きだという。ラッキー。待っている人に、出発の時間を尋ねてみた。
「13時に出るわ」
完璧。

13時になるとになると、1人の男の人がドライバーだ。
「プレジュメルまでお願いします」
「ロク(6レイだ)」
日本語で返ってきた。驚いた。少しだけの英語を交えながら、ドライバーの男性と会話をした。

日本に興味を持ってくれているルーマニア人

彼の話は面白い。北朝鮮はダメとか、プーチンはダメとっか。彼の「ダメ」は「ハラキリ」とイコールなのがウケる。日本は、韓国は、いいと絶賛していた。豪快な感じの人。いい感じの人。昨日といい、このあたりのルーマニアの人はステキすぎる。

安心して車に揺られて、プレジュメルへ。おじさんは、降りる場所、教会要塞の場所、そしてブラショフに帰るバス停を教えてくれ、車はそのまま出発していった。

ロシアのウラン・ウデでもあったが、この人はまだ帰りで一緒になる、そんな気がしていた。
「ジャパニーズフレンド」
彼はそういって去っていった。降りたところから5分もしないで、教会要塞がある。便利。最初は、じっくりと外観から楽しむ。死のオルガン、といわれる、他の要塞教会ではみられないような攻撃用の穴。2、3か所はあきらかな修復の跡があった。柵がしてあって、壁の近くには寄れないが、見た感じ見晴らしは最高だった。

プレジュメル教会要塞に入る

ぐるっと1周、そして中へ。10レイ(当時、約300円)。カフェ、ショップ、博物館、教会、そして城壁とそこに作られた100を超える部屋。中も独特な作りだ。博物館で目を引くのは、武器よりも農具だ。有事には、ここに逃げ込むわけだから、守りのための要塞なわけ。

中央の教会は、派手な装飾もなくシンプル。落ち着いた感じだ。教会と壁までは、10から20mくらいと、それほど広くはない。くるくるとまわり、それに階段を使って絵壁の中を探検する。暗く、ところどころの穴からの光しかない。湿気とホコリ、暗さ、いい。5から10を超える部屋をうろつく。

引き続き探検。この教会要塞に関する調査パネルは、ルーマニア語のみで、サッパリ。関わった人の写真くらいしかわからない。教会では、結婚式が。参加者と目があってあいさつ。いい空気。ステキだ。引き続き、教会に入ったり、壁の部屋に入ったり。ちょっとお土産屋を覗いたが何も買わなかった。

帰りのバス停に座り込む。時刻表なんてない。だが、最大1時間待てばバスも来るだろう。そういう確信はあった。最悪、日記をかけば待つ時間も有意義に過ごせる。合間合間に次の目的地、シギショアラの宿を探していた。目をつけていた10ユーロ台がなくなっていた。やっちまった。それで1泊20ユーロするのから選ぶしかなくなったのだ。まいったな。

帰りも同じドライバー

運良く、ブラショフに帰るバスがきた。20分くらい待つだけで済んだ感覚。そして、ドライバーは、行きのおじさんと同じ人だった。ルーマニアフレンドだ。握手をして、6レイを支払って席につく。
「要塞はよかったか?」
「もちろん」
「俺は昔、ドイツにドライバーで出稼ぎをしていたんだ」
それでおじさんは少しドイツ語が話せる。名前はマリアンらしい。

それで、マリアン「さん」と呼んだら、息子の「sun」とミスリードしたようだ。
「俺はボスだぜ」
いつか「さん」の意味がわかってくれると嬉しい。そう思って訂正はしなかった。オクトーバーフェス、日本酒、川崎のなにか、お互い懸命にコミュニケーションを取ろうとした。そんななかで、伝わらないもどかしさを感じていた。
「ルーマニアの女性はいいぞ。たくさんいるからどうだ。ドイツの女性は気難しいからな。お、ホステルはこの先か?」
そんな話をしていたらあっという間にブラショフに戻ってきた。

彼は自分を「sun」の意味で呼び、先に下車。彼とセルフィーを撮らせてもらって、お別れした。今日も素敵な日。満足してホステルへ。

補足

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