11年務めていた会社をやめて35歳から始めた旅の記録
2017年5月出発なので、記憶と記録を頼りにつづってみようと始めました。
書き方などはだんだん良くなるはず(笑)なので、見守っていただけると嬉しいです。
※途中、記憶違いや文章の構成的にフィクションが入るかもしれません。ご容赦ください。
2017年5月19日(金)大分県の大分から鳥取県の米子へ(晴れ)
日付:2017年5月19日(金)
地域:大分県の大分から鳥取県の米子へ
天候:晴れ
忙しくてワクワクどころでない
出発の日の朝。
スタート地点は、実家のある大分から。朝、仕事に出かける母と姉、その子どもの甥っこに行ってきますを伝えた。そのときの自分がどんな顔か見えないけれど、二人が心配そうな顔をしていたっていうことは、自分もそんな顔をしていたのかもしれない。甥っ子はまだ小さいからなにが起きてるのかわかってないと思う。
出発の日にもかかわらず、実は決まってないことの方が多い。決まっていることは2つだけ。鳥取の米子からロシアのウラジオストクへいく船のこと、そしてウラジオストクの宿泊先のこと。本当にこれだけ。
出発は午後にして、午前中のうちに残りやっておきたいことを進める。旅資金の管理のため銀行での手続き、海外でも格安で通話が可能になるIP電話050の手続き、連絡用メールアドレスの整理、LINEの引っ越し、携帯電話番号の停止手続き、格安SIMの解約、出発当日にするには多い作業量。旅に出る準備のために、イベントなどで出会った旅の先輩にメッセージしておこうというのもできていないまま、太陽はすっかり高い位置になった。
父のことば
忙しさから緊張など感じていないと思っていた。家でお昼に食べたハヤシライスの味があまりしないから、それなりの緊張はしているみたい。こんなバタバタな当日で、最初は14時台の特急電車にのって米子へ向かうはずだったのが、結局乗車した特急電車は15時台。
やっと準備ができた。新品のバックパックにこれからに必要なものをすべて詰めて。世界一周スタイルの基本は、ダブルバッグ。つまり、後ろに背負うかばんと前に背負うサブバッグ2つを持ち運ぶこと。これは、いまパソコンやカメラといった電子機器が旅のお供になりつつあるからだった。荷物2つを持つだけで、すでに旅人感がやばい。
荷物を持つと旅に出る実感がわく。
この日、早めに仕事を終えた父が大分駅まで車で送ってくれる。途中、コンビニに立ち寄って日本を離れる前に必要な行政手続きで年金の支払いのため。必要なときに手続きができる日本のコンビニが便利さがよくわかる。運転中の会話はない。ただ車を降りるときに父が不意に口を開いた。
「無事に帰ってくればそれでいい」
普段、気持ちを伝えるのが得意ではない父の精一杯だったのかもしれない。
「わかった、気をつけていってくる」
近年、大分駅の新しくなった降車場でのやりとりだった。
晴レノ日のサイン
大分駅のJRみどりの窓口で米子行きの切符を買う。今日中には、米子についていなければいけないので、特急列車と新幹線を乗り継いでいくことになる。ぶっちゃけ、大分から米子に行くのが遠いし、ここでお金もかかった。これからは、節約生活が始まるというのに、手痛い出費だと思う。
平日の昼間で空いていた窓口。担当してくれたのは、若い女性の方。明るくハキハキ、丁寧な対応でこちらを慌てさせない。本当に素敵な女性だと思った。気持ちよく旅の出発できる。何かを始めるスタートが、こういう小さくもハッピーな出来事から始まると、自分がやることが歓迎されている気になってくる。自分はこれを「晴レノ日のサイン」だと思うようになった。
自分が乗車する特急電車は、15:45発のソニック44号。この特急電車には乗りなれていて、昔よく祖母の家に行くとき利用していた。友人と福岡に遊びにいくときに使ったこともある。受験生のときにも使った。そして今回、海外へ旅にでるときにもお世話になることに。だんだんと日が傾き、夕日へと変わっていく。見慣れた景色だと思っていたのに、太陽が目に焼きつき、印象に残るくらい美しかった。車窓から見える景色の中に、鳥の姿がよく目に映った。自分は鳥になるのか、それとも鳥のようになりたいのか。いまはまわからない。米子に向かうには、北九州の小倉駅で新幹線に乗り換えが必要。小倉発17:10ののぞみ184号、そして19:04発のやくも25号を乗り継いで、米子へ。米子についたときには、辺りは真っ暗になっていた。米子駅にもみほぐしのお店があって、明日船に乗る前に行こうと決める。身体のメンテの準備もギリギリかい。
最後の温泉
米子での宿は、ホテル真田。駅から徒歩10分くらいの便利のいいところにあるビルの間にあるビジネスホテル。チェックインして、周囲の情報をスマホで調べる。なにか食べたいし、これからはいるのが難しくなるだろう湯船、特に温泉に浸かりたかった。すぐにイオンと銭湯の米子湯が見つかった。夕飯とお菓子の買い出しでイオン、そして銭湯に。とてもこじんまりした昔ながらの銭湯。そのシンプルさがまた良かった。次に湯船につかれるのはいつになるだろうか。
日本で食べる最後の夕飯は、節約と今後しばらく食べられないことを合わせて、カップうどんを選択。自分が好きな、どん兵衛きつね。この後、すぐに寝ればいいのに、ホテルでシベリア鉄道のルートとそのチケットを取るため調べごとをした。だから風呂上がりの飲めたのは作業の邪魔にならない、ノンアルコールビール。ロシアでの滞在は、最初の目的地のウラジオストクの宿しか決まっていない。
気がつけば、朝の4時。やっと、ウラジオストクからウラン・ウデ、ウラン・ウデからエカテリンブルク、という2枚のチケットを予約。ウラン・ウデの宿の予約もできた。初日からネタになりそうなペースで一日が進む。身体のケアをしながらでないと先がもたなそう。
補足
境港からウラジオストクの船について
当時は、DBSクルーズというのがあって、船でいける唯一のルートだった。
現在は、日韓関係の悪化、新型感染症流行の影響で、DBSクルーズは航路廃止。
シベリア鉄道のチケットについて
シベリア鉄道のチケットは、オンラインから購入ができる。
自分が利用していたのは、Russian Train.com。
これは、当時日本のクレジットカードがロシア国鉄のオンラインで使えなかったから。
2019年にイランで出会った旅人の話では、ロシア国鉄のオンラインから日本のクレジットカードでチケットを買えるようになったそう。
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