11年務めていた会社をやめて35歳から始めた旅の記録
2017年5月出発した旅のことを、記憶と記録を頼りにつづってみようと始めました。
書き方などはだんだん良くなるはず(笑)なので、見守っていただけると嬉しいです。
※途中、記憶違いや文章の構成的にフィクションが入るかもしれません。ご容赦ください。
巡った順序 → 日本 → (韓国) → ロシア → フィンランド → スウェーデン → デンマーク → ノルウェー → エストニア → ラトビア → リトアニア → ベラルーシ → ウクライナ → ポーランド → ドイツ → チェコ → オーストリア → スロバキア → ハンガリー → ルーマニア → モルドバ → (沿ドニエストル共和国) → モルドバ → 続く…
初めての方はコチラから → 11年務めていた会社をやめて35歳から始めた旅の記録と記憶
こんにちは、mickです。
【この日の内容は、記録が長かったので2回に分けています(後半)】
この日もお城巡りへといきます。
が、朝からトラブル発生。旅人が出会いたくない虫No.1のベッドバグに遭遇。前の日かららしい虫にはあっていたけれど、連続で出てしまったらもうだめ。
ホステルの経営にも響くからか、スタッフの対応があまりよくなかったのが残念。
ブラショフの南にあるシナイア。ここにあるお城をみにいくわけで、移動手段は鉄道かバスがある。鉄道が使えるなら鉄道を使いたい派なので、そうしようと思ったらトラブル発生です。
この日は、シナイアに乗るバスでも、現地に着いたときに麓からペレシュ城まで登るときも、シナイア僧院でも、などなどいろんな人に助けてもらった。
日付:2017年9月15日(金)色々となんとかなるもの
日付:2017年9月15日(金)
地域:ブラショフ、シナイア
天候:晴れ
タクシーは大勢で乗るにかぎる
観光客だ。タクシーに乗るみたい。一緒に乗ったら安くなる、そう思って声をかけて一緒にさせてもらった。2人はフランスからの年配の方々。あと1人はブラショフに住んでいるそう。フランス語が話せ得て、彼女は友だちだという。ステキ。
話にはきいていたが、シナイアは坂がとても多い。電車の件で予定より遅くなっていたため、思い切って声をかけて正解だと思った。彼女らは、10日間でまたフランスに戻るそう。タクシー代は、だしていただいてしまった。甘えた形。
4人でペレシュ城に向かう。人も多い。ジプシーが売っているベリーのバスケットを買ったフランスの方、自分ともよく話をしてくれる綺麗な人。バスケットは、10レイ(当時、約300円)で自分にも分けてくれた。
高い入場料のペレシュ城
快晴で気持ちがいい。石畳の床は、歩くのが少し大変だった。4人でチケット売り場に。Extra、そして写真撮影を入れると95レイ(当時、約2850円)。めちゃ高い。先に3人が買うが、さっきの女性がなにか言っている。
「あなたは帽子をかぶっていないから、グループじゃないのよ」
ようするに、自分の分は自分で払ってね、ということだ。当たり前。ただ、もちろんち論自分で払うと思っていたから、理解するのに苦労した。そして、団体の入り口までついていって、個人の自分は彼女たちとお別れした。
ツアーの形でしか回れないペレシュ城。15から20人くらいが1度に参加をする。写真を撮るのも大変。そして、ガイドの解説と撮影を両立するのが難しい。もう話サッパリ。地声だし、そんなにはりあげもしない。
1つの部屋は、この人数が入るには狭かった。レシートを付けた人が撮影OKなのだが、スマホならいらねんじゃね、と思った。実際、注意もそんなにしていないし。
住むためのお城ペレシュ城
お城の内装は、木の細工が巧みだ。Sレさんが絶賛していたが、わかる気がする。が、中世のヨーロッパらしく、少しうるさい装飾だと思う。自分はもっとシンプルなのが好きだ。
高い天井の空間、教会のようなアーチの通路、装飾的な武具の展示、陶器の暖炉、銀の装飾品、図書館、絵画の間、扉の装飾、説明を聞いている暇がなくてサッパリすぎるが、豪華だった。
スペシャルチケットをかったので、自分は2階の部分にも入れる。1階部分と同じように、豪華。この建物には、すでにバスタブといった近代的なものが取り入れられていた。床のモザイク、天井のモザイクと組模様、真っ赤な絨毯、2つの部屋、2つのつながったパイプオルガン、おそらく、この上の階には特別な意味があるのだろう。けれど、やっぱりサッパリ。肌で感じるのが精一杯だった。
終わったあと、もうひとつのお城、ぺリショール城へ。ここは自分のペースでみることができる。そして、撮影は別料金。しかも、チケットはペレシュ城と共通ではない。ココは共通でいいだろうよ。試しにペレシュ城での撮影シールをみせたら、違うよ、と怒られた。チケットの人も、外でタバコを吸って休むくらい人が来ないみたい。このコントラストがまたいい。
ペリショール城で出会うミュシャの作品
小柄で内装もシンプルなぺリショール城。自分はこっちのお城が好き。さっきのことがあって、そう気にもしないで、でもコソコソとスマホで写真を撮った。1階は広間、応接間、2階と3階が住居のようだ。吹き抜けの階段は素晴らしい。
ここの部屋、扉を開けると、部屋の中がすべて見えるような家具配置になっている。特に女性の部屋はそう見えた。キッズルームには、日本の人形。そして何よりチェコの画家のミュシャの絵が飾ってあったこと。これが本物か知りたくて、係の人に確認した。
「(ミュシャの絵は)本物よ」
そう笑顔で答えてくれた。最高すぎる。ミュシャの絵は、2つの部屋に飾ってあって、何度も見た。自分はこの絵に会いに来たんだなって。
でもきっと最も特徴的なのは教会、祈りの部屋じゃないだろうか。鉄の扉、蛇の取っ手、黄金の装飾と天井、間違いなく特別な部屋だった。城をあとにして少し休んでいるとフランスの御一行がペリショール城に入っていった。自分はもう1度、2つの城の辺りで写真を撮り歩いた。
幻のお城を探せ
ペリショール城のまわりは犬が多い。少し怖い。今度は3つ目のお城、フォイシェルを探す。どうやら本に載っているルートはどれも通れなくなっているようだ。Googleマップでも歩いていけなくなっている。チームフランスとあったので、どうやってブラショフに戻るのか、そしてこのお城、フォイシェルについて尋ねた。
どうも音楽家の家らしい。プライベートな住まいなら、いけないのもわかる。ブラショフの戻り方は、駅にいってから決めるそうだ。なお、このフォイシェルという名前は、近くのレストランの名前でもあるらしい。
自分の目で確かめたい。そんな自分は、できる限りのことをやることにした。まず、Googleマップでのルートでいくと、ゲートがあって通れない。かなり厳重。それでペリショール城の横の通路、ひとつ目の立ち入り禁止を越えたあと、2つ目の鉄の扉で塞がれているのをみてギブアップ。法を犯すほどのジャーナリズムは持っていなかった。
Sレさんのフェイスブックをかくにんして、シナイア僧院に向かうことにした。別れるときに、チームフランスが向かうといった先だ。ここまででもたくさん歩いていてのどが渇いていた。坂を下っていく途中にお店をみつけ、ビールを1本。安いのでおそらくルーマニアのビール。
シナイア僧院で出会うステキなJTBツアーグループ
天気もいいので気持ちよい。地図もあって、迷うことなくシナイア僧院についた。大きなバスが停まっている。中に入るには、5レイ(当時、約150円)。もちろん入る前にはビールは飲みきった。道中の坂は、登りたくないくらいの勾配があった。
シナイア僧院は、高い塀に囲まれた寺院。どことなく不思議な空気が塀に囲まえたこの場所は、大きく2つの寺院がたっていた。撮影については、悪いみたいで控えていた。そして17世紀の姿というフレスコ画をみて刻を感じる。近くには、誰か有名な人であろう棺があった。黒猫がいる。庭には花、バラだろうか。
2つの建物を行き来していると、日本語が聞こえる。どうやら、日本人のツアー客とあたったようだ。ラッキーとばかり日本語を片言に話すガイドに耳を傾ける。古い寺院の方は写真OKとのことで撮らせてもらった。
と、1人の年配の女性の方が「日本の方?」と声をかけてくれた。嬉しかった。
「そうです」
どうも自分の挙動がもろ日本人だったそうだ。これは大事な情報。
添乗員さんが、ガイドのイヤホンを貸してくれた。新しい方の寺院についての解説を聞かせてもらう。撮影駄目くらいしかいい情報はなかった気がする。話によると、10日間でルーマニア、ギリシャ、そしてブルガリアをまわるとか。たしかに忙しい。
ツアーの参加者さんらは、さすが東欧にきている人たち。明るいし親切。それに自分の旅を肯定的にとらえてくれていた。テロの時代。身体のことを気遣ってくれた。ありがたい。添乗員さんは、テロが起きたときに、近くに居たらしく、そのときの経験から対応方法をアドバイスしてくれた。
「動くな」と。
テロの攻撃は長くは続かない。数分で終わる。そして相手は動くものを狙う。欧米人は怖いから逃げる。アジア人は落ち着いて騒がない。だから、アジア人の近くで動かないこと。中国人でも大丈夫。
そんな目にあいたくはないが、こころに刻んでおいた。ちなみに「JTBをよろしく」と。素敵な人達で一緒にセルフィーを撮らせてもらった。今日は朝から沢山の人に支えられる日だ。
夕飯はブラショフのファミレスで
彼女等と別れて、自分もブラショフへ帰ることにする。シナイアの駅に向かう。坂を降りて、バスを降りたところに戻ってきた。鉄道の時間をみると、すぐにはなかったが、1時間は待たなくて良さそう。窓口で切符を買って、列車を待った。
天井の高い駅。フランスの一行は、バスか前の列車で帰ったのだろう。姿はなかった。ツーリストをちらほらみながら、そしてホームにはブラショフに戻る人で賑わっていた。ほぼ時間通りに来た列車に乗って、IRのため自分の席に座ってくつろぐ。
隣は、黒人の男性。この辺りで黒人の方はめずらしかった。寝るかスマホをみるかであっという間にブラショフに戻った。帰りのバスのチケットを買うつもりだったが、チケット販売機の前に市プシーがはっていたので、やめた。また無賃に。
ヘトヘトでホステルに戻ったが、お腹も減った。それでブログで見つけていた、ロシアのスタローバヤみたいなところ、食堂に。Brasoviaという広場にある、いわゆるファミレス。広場では、オクトーバーフェスのため、ロックな音楽が始まったばかりだった。
おばさんとスプーンとフォーク、ルーマニアのスープとチキン、ミートのパプリカ包み。これが安くてうまい。19レイ(当時、約570円)。おばちゃんもいい感じで対応してくれた。やすいのでいろんな人が来る。よくあるテクニックが、パンとスープを選ぶやつ。
ブラショフのオクトーバーフェス
満足して外に出て、広場のお祭りに参加したくてしばらくとどまった。疲れもあって、そこそこでホステルに戻った。誰かと一緒だったら、そう思いながら。ルームメイトはそう替わりして、自分以外は、仲間のチームスペイン。どうやら車で移動しているようだ。羨ましい。
部屋は移動したものの、身体のあちこちはベッドバグにやられて、痒かった。鏡を見たらそれがよくわかった。赤い跡が上半身を中心に転々。下半身はズボンを履いていたので助かった。精油のラベンダーでかゆみを抑える。
スマホの容量の関係で写真が取れなくなってきている。プライムビデオでライジングドラゴンをみて、寝た。なんだかんだでも、ジャッキー・チェンはいい。
補足
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