【旅の記録】ブラショフから行くブラン城とルシュノフ要塞。夜は恐怖の下山:ルーマニア【119 – 1】

ルーマニア

11年務めていた会社をやめて35歳から始めた旅の記録

2017年5月出発した旅のことを、記憶と記録を頼りにつづってみようと始めました。
書き方などはだんだん良くなるはず(笑)なので、見守っていただけると嬉しいです。
※途中、記憶違いや文章の構成的にフィクションが入るかもしれません。ご容赦ください。

巡った順序 → 日本 → (韓国) → ロシア → フィンランド → スウェーデン → デンマーク → ノルウェー → エストニア → ラトビア → リトアニア → ベラルーシ → ウクライナ → ポーランド → ドイツ → チェコ → オーストリア → スロバキア → ハンガリー → ルーマニア → モルドバ → (沿ドニエストル共和国) → モルドバ → 続く…

初めての方はコチラから → 11年務めていた会社をやめて35歳から始めた旅の記録と記憶

【この日の内容は、記録が長かったので2回に分けています(前半)】

ルーマニアといえば、のひとつにあげられるのが、ドラキュラの物語が生まれるインスピレーションを与えたお城と人物がいたこと。そのお城というのが、ブラン城。

ルーマニアに入って、早速行ってみた。合わせて、ブラショフとブラン城の間にあるルシュノフ要塞にも立ち寄ってみた。ブラン城は、住むお城。ルシュノフ要塞は戦うお城。同時にいくことで造りや施設のち外などがみれて楽しい。

ブラショフに戻ってからは、旧市街を散策。ブラショフにあるビュースポットからサンセットと夜景を見たはよかったが、帰りは灯りのない山道を降りることに。運良く1人ではなかったため、逆にめっちゃ楽しく下山した。

日付:2017年9月14日(木)お城と旧市街巡り

日付:2017年9月14日(木)
地域:ブラショフ
天候:晴れ

認めたくないときに蓋をする

少しだるさを感じつつ、目が覚める。起きられない、というかゴロゴロ。壁には小さな虫が這い上がっていた。まさ、あベッドバグ!?と思ったが、否定したくて打ち消した。そして、ティッシュで潰した。壁には赤い跡が残った。このとき気づいておけばよかったと思う。体の何か所かすでに痒かったから。同室の女の子たちとは変わらない状態。自分も無理して付き合う必要はなかった。彼女らは、自分なりに早く荷物をまとめて出ていった。

今のホステルは、朝食が付いている。シリアルとパンとジャムだ。シリアルでお腹を満たして、パンとジャムでお昼のお弁当を作った。キッチンの椅子は5つ。宿泊者の数からすると、倍以上足りない。ベランダで日に当たりながらシリアルを頬張った。

ブラショフからバスで40分ブラン城

今日は、ルーマニア名物のブラン城に行く日。最近の行動からすると少し早めの行動と鳴る。10時のバスに乗るためだ。キースは共有ルームでくつろいでいた。隣には、ちょっと行動をともにしそうな男性。多くの言葉はかわせなかったが、彼にお別れを言った。

今日、彼はシナイアに寄ったあと、黒海を目指して5時間のドライブと滅入っていた。今日は快晴で最高だ。少しギリギリになったので、急ぎ足でバスターミナルのアラガドイへ向かった。近いと入っても、ホステルからは22分かかる。途中の学校へは生徒が登校していた。歴史を感じる建物。現代の看板。他のホステル。カフェ。お店。道中には多くの生活があった。

出発から5分前。なんとか間に合ってバスに乗る。7レイ(当時、約210円)。少し遠目で40分くらいかかった。予定よりも時間がかかったのは、途中で工事の影響だろうか。

なかなかかっこいいブラン城

何事もなく到着。ブラン城の前は、観光客とお土産のお店で賑わっていた。帰りのバスの時刻をみると、途中にルシュノフによるらしい。これはいい、とお昼の便にターゲットを絞ってブラン城に向かった。

お土産のお店など目もくれず、ブラン城を目指す。行列ができていたが、開いていた窓口は1つ。をいをいと思っていたら、団体チケットを買う人で止まっていた。とうとう2つ目の窓口が開いたが、その頃はその団体チケットの人は用が済んでいた。

いい光で正午に近づこと、お城を撮るのに逆光になりそうだった。それで、併設の庭をみてまわって写真を撮った。最も近い位置の広場では、催しの準備でテントが写真的にはおいしくなかった。セルフィーを撮っていると、設営をしている1人がジェスチャーで「撮るよ」と。1回の取り直しを含めて、4、5枚撮ってもらったが、全部下手だった。でも彼のこころが嬉しくて写真の出来栄えはどうでもよかった。

ブラン城は、お城好きな日本の友だちに写真を送ってメッセージのやりとりをしながらまわる。ゲート、そして坂をあがるとき、日本人のツアー客に遭遇した。

お城の外観は「中世の城と言えば」を代表するようなもの。そして、内装は木造を基本としたシンプルなものながら、彫刻は多彩で美しく、きれいなお城。これは、住むためのお城で、戦いのためのお城ではないからだ。

ブラン城はドラキュラ作品のインスピレーション

ドラキュラのモデルとなった、ヴラド・ツェペシュのおじいさんが済んでいたお城。中は、当時のかぐや部屋の展示だけではなく、ドラキュラに関する展示もあった。日本の友だちとは隠し階段で盛り上がった。お城+隠し要素は、いつもときめかせてくれる。

1つ1つの部屋は、小さいが、数が多い。それに階段も多い。少し迷路になっているようにも見えた。同じところをくるくるまわっているような感覚にさえなる。コンパクトながらギュッとしていて整っている。お城から見る景色も素晴らしい。地裁がすべてを回るには時間がかかった。中庭もステキだったな。

別料金で、拷問具を展示しているのがあった。なんでこっちの人、拷問好きなんだろう。名残惜しくて、お城を背に庭からもう一度ながめた。ベンチには、ブラショフの週末オクトーバーフェスのチラシ。パズルのピースがはまる。

ブラン城からルシュノフ要塞に立ち寄る

どうしようか迷って、売店でブラン城のポストカードを買っておく。切手も。マルボルク城の二の舞は困るからね。バスの時間ギリギリだったが、ブラン城を別の角度から見ようと往復10分間を小走り。

バスには無事に乗り、ルシュノフへ。ここには、ルシュノフ要塞がある。ブラン城の麓から4レイ(当時、約120円)。20分くらいで着いて、ドライバーが降りる場所を教えてくれた。最初、ここに来るか迷ったけれど、ブラン城からの帰り、そしてSダさんの写真もあって来ることにした。

バスを降りたところから真っ直ぐ歩くとすぐにルシュノフの看板と要塞がみえる。観光客は少なくて静かなもの。ルシュノフ要塞に向かっていると、orangeのマークが。早速プリペイドSIMカードを買いに立ち寄った。

5ユーロなのに、27レイ(当時、約810円)っておかしい。24レイなのに。店員に確認したが値段は変わらない。最初にいった、24レイでよかったのに。訂正するのはね。容量が8GBだというから、自分が思っているプランとは多分違うんだろう。全部終わって外にでたら看板が。そこには、5ユーロ、28レイ。もうわからん。

地図アプリmaps.meをみながら進み、上まで歩くのもありだったが、ケーブルカーを使った。往復で12レイ(当時、360円)。あっというまに山の上に。すぐにビュースポットで、気色悪h最高。他の人も写真を撮っていた。雲もなし。いうことなし。まだ、要塞の入り口までは歩く必要があった。

城好きならではのルシュノフ要塞

城壁に沿って入り口へ。ケーブルカーで入場できるとミスリードして、別にチケットが必要だっが。12レイ(当時、約360円)。何人かの観光客とすれ違ったので、人気がないわけではないようだ。中に入るとSダさんが撮ったであろう景色が広がった。お城の中庭と言われる部分で、とても広い。

次の城壁まで10分近くはかかりそう。観光客もまばらでちょうどいい。このあたりではよく見るウェディングフォトもやっていた。この広い中庭が気持ちいい。次の城壁の中に入り、散策。修復されていない感じがすき。中は自然のまま丘になっていて坂が多い。日本の友だちにメッセージを贈り、ドラクエネタとかぶせて笑った。

いくつかの小屋では、お土産を売っていた。食べるところはなく、少し残念。外でしかビールやコーヒーは飲めなそうだ。印象に残ったのは学校として使われた建物があったことだ。教会があることが多いが、学校は珍しい。とてもすばらしい。戦時でも教育を大事に備えていたことに感動する。漫画にでてくる、爆弾が降る可能性の中で授業を続けた師のエピソードを思い出した。

自分のコミュニケーションの癖

お土産にときめくこともなく、庭みたいなところへ。1人の老人がアコーディオンでずっと演奏を続けていた。この音楽があるかないかで、この場の空気はかなり違ったはずだ。また、もう1人の老人が居て、一角を使って自分博物館を出していた。内容はよくわかんないが、なぜか一緒に写真を撮った。エベレストに行ったのか、頭頂したのかの写真があった。

この博物館を入ったり出たり。この老人に話を聞いてみたい、が声をかけられずにいた。やっと声に出せたのが「英語話せますか?」そして「いいえ」の返事。ここであきらめてしまった。まだどこかでコミュニケーションは、言葉が必要、そう思っているようだ。いつどうやって行動を変えるかだ。

インフォメーションには特に何もなく、また端からみるルシュノフの街並みは美しい。天気が良いのもついている。猫が何匹か庭に居て、白と茶の色をした子猫が遊んでくれる。癒やされる。

行きも帰りもルシュノフ要塞に見守られる

満足してルシュノフの出口に向かう。いっていない外の城壁や入口になっている塔の上にいった。おそらく、第一次世界大戦のときの軍隊についての解説パネルがおいてあった。各国のがあって、日本も含めて10か国以上。半分以上はパネルがはずされていたがなぜだろう。

名残惜しさとともに、要塞をあとにしてケーブルカーで下に。バス停に向かった。観光客向けのレストランやカフェはみかけるものの、利用者は少なかった。ケーブルカーの乗り場のところに給水があって、来るときには気づかなかった。帰りには利用した。森山大道さんが、道の往復する違いについていっていたけれど、本当だと思わされる。

ルシュノフの街は静かだった。

補足

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