11年務めていた会社をやめて35歳から始めた旅の記録
2017年5月出発した旅のことを、記憶と記録を頼りにつづってみようと始めました。
書き方などはだんだん良くなるはず(笑)なので、見守っていただけると嬉しいです。
※途中、記憶違いや文章の構成的にフィクションが入るかもしれません。ご容赦ください。
巡った順序 → 日本 → (韓国) → ロシア → フィンランド → スウェーデン → デンマーク → ノルウェー → エストニア → ラトビア → リトアニア → ベラルーシ → ウクライナ → ポーランド → ドイツ → チェコ → オーストリア → スロバキア → ハンガリー → ルーマニア → モルドバ → (沿ドニエストル共和国) → モルドバ → 続く…
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こんにちは、mickです。
前日に申請したベラルーシのトランジットビザは無事にゲット。
ただ手続きにはパスポートの原本を預けなければならないため、パスポートが戻ってくるまではヴィルヌスに居る必要があった。
時間的に、ヴィリニュスの無料ツアーに参加できたのは良かった。
ベラルーシの領事館では、またイタリア人と再会できたし、旅をしながら生活をしている人とも出会えた。
リトアニアの昔の首都であるトゥラカイにも行けて、この日もボリューム満点な1日だった。
日付:2017年7月18日(火)トゥラカイ城と名物キビナイ
日付:2017年7月18日(火)
地域:ヴィルヌス
天候:曇りときどき雨
伝えられなかった別れ
早朝、黄さんが用意するのが見えたが、別れの挨拶まではできなかった。
ジャマールの姿もなかった。
自分は、ついに日記が追いついたことで、かなり余裕ができている。
昨夜は、そのラストスパートをかけて寝るのが遅くなった。
昨夜ジャマールのいびきがうるさくて眠れないっていう黄さんがかわいい。
朝食を食べに行くと、日本人らしき人が居た。
会話も挨拶もなく、彼は逃げるように去っていった。
ジャマールは昨日、たまごとクッキーがあったはなしをしてくれたが、みつかったのはクッキーのみ。
今日はよりパンケーキに近いものが朝食で、ソースは同じ。まずい。
ジュースはでなかった。
ヴィリニュスの無料ガイドツアー
10:30からの無料ガイドツアーに向かう。
集合場所には5分前でも人が居ない。
1人は気まずいと思って距離をとっていた。
このとき、パスポートを受け取ってすぐにトゥラカイにいくかツアーに参加してからパスポートを取りにいってトゥラカイにいくか迷っていた。
10:30になって、参加者が10人くらいになり、自分も近づいて参加することにした。
ヴィリニュスの歴史の予習がたりなかったが、リガのときよりガイドの英語がよくききとれない。
独立して27年のリトアニア。まだそんなものなのかと思った。
第2言語の選択は、英語がほとんどだとか。
頑張って質問にトライしてみた。えらい。
16世紀に、ユダヤ人が入ってきたときに問題はおきなかったか、というもの。
大丈夫だったらしい。
広場、大学、大領量鑑定、旧ユダヤ人地区、クマと少女、別の街の姿、旧門、ビュースポット、ヴビュピス共和国、聖アンナ教会
こんなコースを全部で2.5時間の4km強のボリューム満点。
ガイドは2週間前に結婚した新婚で、名前や名字についてもガイドで触れていた。
リトアニアは現在の国としての歴史は浅いが、そもそもここヴィリニュスは13世紀にできている。
だからまだ歴史がある方だった。
ツアーに参加した台湾の人。
彼女はタリンからリガ、そしてヴィリニュス、今夜またタリンへ。
ヘルシンキから国に帰るそう。
別の子はジャマールと会っていたようで、俺のことを知っていた。
7週間で74カ国訪れると聞こえたが、多分聞き間違っている。
エネルギッシュだけれどちょっとネジが外れた子。
バルセロナの近くの人は、親戚がかつて日本のスペイン料理のお店で働いていたとか。
次にどこに行くのか、最後の国は決まっているのか、そんな質問に答えられなかった。
結局、チップ無しで終了。
台湾の人と少し話ししてお別れ。
ベラルーシのトランジットビザをゲット
ベラルーシの領事館にトランジットビザが貼られたパスポートを受け取りに行く。
またレンタサイクルが役に立つ。
ベラルーシ領事館の前の行列にはなんと、昨日のイタリア人がいた。
再会を喜ぶ。
彼は昨日、書類(招待状)がなくて、申請がリジェクトされてしまったそうだ。
朝もなにか会ったらしく、午後も今の時間でも居る。
ベラルーシのビザを得るのに招待状が必要で、それを出してくれるホステルを変更したそうだ。
自分の札は776。
「受け取りは、700番台っぽいから大丈夫」
そう教えてくれる。
彼はカウチサーフィンの利用を勧めてくれた。
現地の人と関われるのは素晴らしいことだと。
ブラジルからメキシコへの安い飛行ルートも教えてくれた。
「カウチサーフィンは君次第」
彼の言葉が残る。
776→8の表示で中へ。
係の人にロシア語で挨拶をしたらーー
「ロシア語は話せる?」
と返ってきたのに気が付かないで名前で答える失敗をやらかす。
「日付、名前、パスポート番号を確認してね」
OKで係の人にOKのジェスチャーをして無事領事館をでた。
イタリアのパブロも喜んでくれた。
そうしていると1人の男性が話しかけてきた。
「日本のパスポートを持っていますか?」
なんていきなりだと警戒するような聞き方をしてきた。
要するに、日本のビザ代がタダか知りたかったらしい。
彼は、ニュージーランド人のマルコム。
同じホステルに日本人が2人居て、そんな話になったそう。
ニュージーランド人の彼やイタリア人のパブロは、60ユーロかかるらしい。
彼は現地の人のパスポートコピーを使って、30日で申請するそうだ。
「Hostel Gate に17から23日の間働いているから、遊びに来てくれ」
と招待してもらった。
ちょっとトゥラカイまでおでかけ
自分はこのあと、トゥラカイに行きたかったので、2人に別れを告げていったんホステルへ。
途中、実家に電話。
バルト三国のネット環境はよくて、通話がお互いよく聞こえる。
今日明日には、日本からの荷物を受け取る段取りを決めないとな。
ベラルーシやウクライナではネット環境が不安だ。
ベラルーシは2日、それでも20から22のビザがでているので、1泊できる。
ホステルに戻ってカッパを取ってバスターミナルへ。
バスの運転手にトゥラカイの生き方をきいて、20分後のバスが出る。
1.8ユーロ。
カメラのレンズは買ったから、あとはレインウェアを決めないと日数がない。
それでも午前中からの歩き疲れでバスの中で寝てた。
トゥラカイについても、また3、4kmは歩くんだ。
トゥラカイの工事中のバス停からトゥラカイ城へ。
帰りのバスの時間を確認してから向かう。
16:20から歩いて着いたのは、16:50ごろ。遠いな。
リトアニアの古都トゥラカイ城
トゥラカイ城は、人が多かったからか、雨のせいか、ファーストインプレッションの感動は少なかった。
夕立が来たので急いでトゥラカイ城の中へ。
7ユーロはちょっと高い。
写真撮影の許可で更に1.5ユーロ。
トゥラカイ城の各部屋には監視がいて、無駄に人件費くってる。
自分の感覚を信じるなら、あまりいい感じがしない。
近代的な人の手が入りすぎているからか、バルト三国のお城でここまでうるさいのは初めて。
固定もしてない、注意書きもない、武器を触ったら、おばちゃんにめっちゃ起こられた。
思わず誤ってしまったが、うるせえって思っていい、レベル。
自分の自動反応にウケる。
中は博物館と化していて、このお城の歴史、修復の歴史、そしてガラス、ビーズ、パイプ、切って、家具などで30,000点はあると書いてあった。
18:30前、お城の周囲をみてまわる。
手が入ってるし、また城は外から見るのが美しい。
展示の中に黒髪の人がいた。かつて住んでいた、KARAMAIの人々らしい。
自分たちと同じ黒髪の人にひかれることがある。
消防に関する展示はめずらしかった。
槍とバケツを持って、火を消している。
ビュースポットからトゥラカイ城を望み、もうひとつのお城、今は城址のトゥラカイ城址へ。
実際、ここはアトラクション広場となっていて、やはり気が滅入る。
途中、キビナイという伝統料理を食べる。
手のひらサイズで、揚げた生地はサクサク。
中身は餃子の具みたい。2.6ユーロ。
うまかった。
川に日の傾いた光が差して美しい。
ひとつの理想を実現している男性
ヴィリニュス行きの20:00のバスに乗り込んでヴィリニュスに戻る。
21:00頃、マルコムのいうホステルへ向かう準備をする。
部屋には一人寝ていた。臭う。
彼のいう宿をBooking.comでみつけて、レンタサイクルを使っていく。
駅から遠いちょうど旧市街に当たる。
夜明けの門に居る物乞いが目障りに思う。
ホステルではマルコムがロシア語を使って対応していた。
この人いったい何カ国語いけるんだよ。
訪れる国で小銭を稼ぎながら旅をしているそうだ。
ビジネスも考えていて、VRつかったもの。
そのためにベラルーシやウクライナのプログラマが必要だといって、友人がいるというウクライナにスカイプをつなげてた。
このウクライナ人とロシア語で話しするからすごい。
時々、日本語をいっちゃって額を叩いて笑っていた。かわいい。
ウクライナに入国が厳しくなったのを残念がっていた。
スカイプ相手は西側に住んでいて、毎日銃声や爆発の音がするそう。
自分はこれからウクライナのキエフに行くが、戦争がすぐそこにあることを考えさせられる。
なぜ旅にでたのか質問に答えたとき、彼は何を思っただろうか。
英語と日本語を交えながら、彼が日本で働いていたこと。
早く国々を周る考えを言ったらそれじゃ日本の旅行者と同じといわれたこと
1日15ユーロでも得られれば大丈夫だということ
いま資本主義は限界だということ
みな戦争の準備をしているということ
日本もアベノミクスはお金を印刷つまり借金をしているだけということ
戦争して壊して再構築するには今は資源がないこと
などなど、22:30まで話し合った。
しばらくヨーロッパに居るからまた会いたい。
そう願ってフェイスブックを交換した。
セルフィーを撮って別れた。
彼が案内してくれたHostel Gateは12人部屋で8ユーロと安い。
駅からも離れているので安全。
海外では、空港内は警官が居るから安全、空港外はマフィアが住んでいるからアブない。
ヴィリニュスの空港は閉鎖中。
レンタサイクルを使ってホステルへ戻る。
日記を書いてベッドに。
メモだけど、キッチンに居たラテン系のご夫婦はいい感じの人だった。
補足
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