【旅の記録】ブダペストから日帰りでいくエゲル:ハンガリー【117】

ハンガリー

11年務めていた会社をやめて35歳から始めた旅の記録

2017年5月出発した旅のことを、記憶と記録を頼りにつづってみようと始めました。
書き方などはだんだん良くなるはず(笑)なので、見守っていただけると嬉しいです。
※途中、記憶違いや文章の構成的にフィクションが入るかもしれません。ご容赦ください。

巡った順序 → 日本 → (韓国) → ロシア → フィンランド → スウェーデン → デンマーク → ノルウェー → エストニア → ラトビア → リトアニア → ベラルーシ → ウクライナ → ポーランド → ドイツ → チェコ → オーストリア → スロバキア → ハンガリー → ルーマニア → モルドバ → (沿ドニエストル共和国) → モルドバ → 続く…

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こんにちは、mickです。

ブダペストでの滞在を延ばしてハンガリー第3の都市エゲルへ。
バスで約2時間の距離。目的はもちろんお城。

これまで天気がいい日が続いたのに、遠出する日に限って天候が崩れるとか。
とはいえ、それはそれでネタになったり記憶に残ったりするので、これはこれで面白い。

エゲル城は、お城の中に鉄道の線路が通っている珍しいお城。
また、中世のお城には時々ある拷問や監獄の展示がここエゲル城にもある。
ここは、オスマントルコと戦ったことがあるお城。ここまで攻めてきていたとこか驚くし、当時のオスマントルコの影響力を感じる。

日付:2017年9月12日(火)雨の日のエゲル城

日付:2017年9月12日(火)
地域:ブダペスト、エゲル
天候:曇り

余裕の器

立地の良さもあって、のんびり起きる。この「のんびり」が大切なんだと思う。いつもどこかに余裕を持っておく状態。これがあるだけでミスも減らせるし、旅先では安全につながるはずだ。なるべくこの余裕の器は、空けておきたい。

ブダペストからエゲルはバスで約2時間

ホステルからバスターミナルへは、メトロを使って向かう。Deak Ferent ter からPuskas Ferenc Stadion へ。迷いようがなかった。バスターミナルは、駐車場のような建物の中にあった。旅慣れてきたのか、バスターミナルが外にみかけない場合は、建物中を探すようになっていた。

自動販売機でのチケットの買い方がわからなかったので、チケットカウンターでバスのチケットを買った。2725フォリント(当時、約1370円)。ここからエゲルまでは、バスで2時間の移動だ。お客も多くなく、のんびりしている。どことなく前の座席を選んでいる気がする。

出発前に買って食べたパンで少しウトウトする。10:15-12:15。おそらく食べる時間はとらないだろう。帰りは、16時のバスに乗らないと、明日の出発に響く。なにせ、朝の5:30のバスに乗るから。バスの前、先頭に運転手と知り合いみたいな男性2人が座り、残念ながら、前の視界は塞がれる。

隣の窓からハンガリーの景色を眺めていた。ホステルからバスターミナルまではもってくれたが、激しい雨がバスに打ち付ける。パラパラパラ、パラパラパラ。エゲルは降らないでくれるかな、そう思いながらいた。バスでの移動、特に先進国、それに人が少ない、最高すぎる。このとき自分は幸せに包まれていた。何もかも日本において、こうして自分の選択で国々と街々を見て回れる。幸せを実感できるなんて。今日の日本では、簡単でなくなっている。命があるだけ幸せなんだって。

ハンガリー第3の都市エゲル

エゲルに近づくと少しずつ雨が弱くなっていってくれた。街に入ると次々と人が降り始める。東欧ではよくある光景。ほぼ時間通りにエゲルのバスターミナルに到着。バスターミナルは、地上にある。ブダペストよりはあまりいい気がしない。ゴチャゴチャしているからだろう。ネットで帰りのバスが調べられる便利な時代。トイレにも行きたかったが、お金は払いたくないので、移動を始めた。

近くに立派な教会があり、驚かされる。大聖堂というらしい。入るにはお金がかかるから入らなかった。外観だけでもかなりみどころがある。ここから、エゲル城までの道のりに旧市街がこじんまりと広がっている。そこまでいくと観光客の姿が見え始め安心する。この街にマクドナルドがあることからも、それなりに人は来るのだろう。旧市街は、とても幅がせまい。車1台は通れるが、2台は無理だろう。ホームレスが物乞いする。金物屋では南京錠やマネークリップが目につく。

ドボー・イシュトヴァーン広場周辺

ドボー・イシュトヴァーン広場の中央にはイベント用のドームがあって景観は残念。その前にある聖フランシスコ派修道士教会。内装はステキ。石造りで、石が違うのがいい。白ベース。寄付なしでごめん。橋を渡った先に、富士フイルムのマークの付いたお店が。雨がひどくなってきたので避難も兼ねて入る。カードケースに使えそうな物を探すがない。とても小さなお店。雑多としたのがいい。

お城に向かい始めると、雨は歩けるくらい弱くなった。正面から入らず、裏から入ることにした。一筆書きのように移動して、少しでも時間を稼ごうと思ったからだ。煙突のように細い塔が目を引く。シャープ感がカッコいい。少し高台の上にあるエゲル城。階段を登ると道中も見どころがいっぱい。面白いのは、お城の中を鉄道が走っていることだ。これは初めて。鎌倉にある神社みたいだ。

雨の中のエゲル城

また雨がひどくなってきた。急いで裏側のチケッ度窓口へ。1600フォリント(当時、約00円0。しかも入れる部分は限られている様子。マップに買ったチケットで入れるところにマークをつけてくれた。それを頼りに見て回る。子どもたちが授業の一環だろうか、見学にきていた。塩味しかしないお菓子を食べ、雨を見つめる。ここでやっとトイレにいけてよかった。有料だったらいよいよ年貢の納め時だった。

エゲル城では、歴史展示、囚人博物館、ドボー・イシュトヴァーン城博物館の順で見て回った。晴れ間がみえたら、合間合間に景色の撮影。本にあるような同じアングルを探して遊んだ。エゲル城は、もともと教会を守るように作られた教会要塞に近い。ハンガリーの北側からの攻撃に備えるはずが、まさか南からのオスマントルコに対して戦うとは考えてもいなかっただろう。また、エゲル川があるので、古い土器の出土もあるようだ。教会があっただけあって、十字架や聖杯もあった。宗教画も。武器では、マキビシに似たものがあって面白い。「Caltrops」というらしい。音楽も教会のためにあったようだ。城の分析図とか萌える。楽しい。

囚人博物館は、中世のお城によくある拷問について展示したもの。よくもまあここまで人を痛めつける方法を考えたと思う。母ににたのか、好きではないな。地下にあるので、ムードはある。人もいないに等しかったし。

ハンガリーの作家ゲーザ・ガールドニ

この街の英雄う、ドボー・イシュトヴァーンについて、そしてオスマントルコとの戦いの物語について。昔あった教会の建築と破壊、と盛りだくさん。ゆったり回れた。どうやら、彼の物語を書いたのが、ガールドニ、という人らしい。もともとあった教会の場所にいってり、城壁を回ったりしていい時間に。と思ったらもう一箇所の「b」という城の外にいける場所があることに気がついた。マジか。正面の城門に満足して立って、もらったマップをみたら気がついてしまって。

悩んだ。バスを1本遅らせれば余裕だが、それだと明日に響く。でも行かないのは心に引っかかる。考えながら移動。とにかく向かうことにした。エゲル城の裏口からだと近いのに、正面からだと、10から15分はかかる。上り坂。とにかく急いだ。Google マップを頼っていたが、着いたのが隣の家。居た人にチケットをみせたら、あっち、と教えてくれた。

ガールドニが住んでいたところが博物館になっている。おばさんが対応してくれた。あまり人は来ないのか、電気を消している状態。自分のためだけに点けてくれた。最初、ここがなんの博物館なのかさっぱりわかっていなかった。何か来ておかないと、それにもったいないし、という気持ちできた。

ひと通り見て終わると、おばさんが片言の英語や単語で中の説明をしてくれた。彼の書斎の天井にはガラスで外の光が入るようになっている。ガールドニは、その明かりで作業をしていた。それから、多趣味で、絵、写真、旅行、パイプ、オルガンをしていたという。寝室には(おそらく)自画像。これは説明きかないとわからない。

彼の描いた絵は、家具に直接描いていたり、壁に飾ったり。奥さんはいなかったみたい。お手伝いさんか、姉か妹か、その子どもかの絵。トルコで買ったという絨毯。椅子に変形する杖。ひとつわかりにくかったけれど、おそらく何かの解読もしていたのではないか。写真に映る彼は、かっこよく、頭もいい。そうおばさんに伝えると、彼女もうなずいていた。彼女はガールドニが好きなんだろう。彼女のおかげで、多くのことを知ることができた。時間に追われて来て申し訳なく思ってた。彼の本は、他の国の言葉に翻訳されて、広く知られているそうだ。

ブダペストに帰る

新しく、1組の来場者が来て、入れ替わるようにその場をあとにした。急いでバスターミナルに戻る。途中、トルコかインドかのアジア人を追い抜いて、つい別ルートで教会の前を通って。調べていた通り伸ばす、16:10(15分だった?)のバスに乗る。料金は行きと同じで2725フォリント。短い間だったけれど、充実したエゲル。日帰りで十分だった。美女の谷にいっていたらたりなかったが、歩き疲れてバスでは寝ていた。

あっという間にブダペストに戻ってきた。少し雨が降っていて、バスターミナルから虹を見ることができた。通行人は、虹に足を止めない。自分d泣け別の世界の住人の気がした。行きも帰りも長い階段で、老人の荷物を持つよ、という声かけをみた。ステキだなって思った。

最終日もエルヴィン・サーボ図書館で日記

今日はブダペスト最終日。最後の温泉に行こうかと考えたが、HやTくんといったのが楽しくて、1人で行く気にはもうなれなかった。それで遅れもあるし、いつもの図書館で日記を書くことにした。メトロを使えばすぐだったし。この火、図書館ではなにかのパーティーでが催されていて、一部のあのきれいな部屋が使えなかった。でも、他の利用者にはほぼ影響がないようになっている。本当、ココは好き。たまんない。また来たい、そう思った。

閉館の20時まで居て、パーティーはまだ始まったばかりのようだった。お金が1190フォリント余っているので、明日の長距離移動もあるからと買い出し。価格表示を見ながら商品をとっていったのに計算ミスしたのか、予算オーバー。2度に分けて回、すべてのフォリントを使い切った。これをやり終わるのに、30分から1時間かかった。最後の食事はマクドナルド。クレジットカードが使えるからね。

いびきに始まりいびきに終わるブダペスト

いよいよブダペストと別れるときがきた。寂しい。22時前だったので、ホステルのスタッフに一言いおうと、恐る恐るいったが、居なかった。半分ホッとして半分は残念な気持ち。出発の準備を終わらせて寝るためにベッドに入るとHがダブリンに帰ったと連絡をくれた。そしたら、アムステルダムで、マリファナ中毒になりかけて、フラフラに。親切な人に介抱してもらったそう。本当何もなくてよかった。お互い、疲れてる、と眠った。

この夜、自分を入れて3人。そのうちの1人のいびきが過去最高レベル。もう1人の男性が「アロアロ」とか「手をパチン」とかやってアプローチしていた。最後には声をかけて、起こして解決。学ぶことが多かった。自分こういうとき我慢しちゃうんだよなって。それにいびきがひどいときは、声かけていいんだなって。起こされた方も「マジ、ゴメン」みたいな反応だったし。

明日の朝がめちゃ早い分、これはとても助かった。ブダペストは最後までいびきとの夜だった。

補足

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