【旅の記録】マーチャーシュ教会のパイプオルガン演奏会:ハンガリー【115】

ハンガリー

11年務めていた会社をやめて35歳から始めた旅の記録

2017年5月出発した旅のことを、記憶と記録を頼りにつづってみようと始めました。
書き方などはだんだん良くなるはず(笑)なので、見守っていただけると嬉しいです。
※途中、記憶違いや文章の構成的にフィクションが入るかもしれません。ご容赦ください。

巡った順序 → 日本 → (韓国) → ロシア → フィンランド → スウェーデン → デンマーク → ノルウェー → エストニア → ラトビア → リトアニア → ベラルーシ → ウクライナ → ポーランド → ドイツ → チェコ → オーストリア → スロバキア → ハンガリー → ルーマニア → モルドバ → (沿ドニエストル共和国) → モルドバ → 続く…

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こんにちは、mickです。

スロバキアにあるスピシュ城。その城下町でであった日本人たちとブダペストで過ごすことが続いていたから、この日が初めて完全な1人行動だったと思う。

ブダペスト沿いを流れるドナウ川。これを挟んで外側、ブダ側が主な行動範囲。余談ですが、ここにきてブダ地区とペスト地区があって、いまはまとめてブダペストという都市になったことを知った。

セーチェーニ、という名前は温泉で有名だが、実はブダ城内にある国立図書館の名前も、セーチェーニ。ネットで調べたら、ハンガリー貴族の家系の姓が、セーチェーニ、というそうです。

日付:2017年9月10 日(日)ブダペストで初めて1人になった

日付:2017年9月10日(日)
地域:ブダペスト
天候:晴れ

延泊のコツは、オーナーに伝えること

朝、延泊の話しをしにスタッフのところにいった。14ユーロと少し安くなった。価格をコントロールできる人なので、この目の前の男性がオーナーなんだろう。感じのいい人でもあった。
「ブダペストが気に入ったかい?」
「ええ、好きになりましたよ」
英語では、Like で表現したが、Love にしたらもう少し安くなったんだろうか。

ホステルをゆっくり出発。昨日は、半端に食事していたおかげで、空腹になりやすかった。なので、今日はしっかりと食べてから出発することにした。といってもインスタントラーメン。それにパン。冷蔵庫のお酒をしっけいした。甘いフルーティーなお酒だった。

ブダペストの見晴台ゲッレールトの丘

今は「ゲッレールトの丘」というところに生きたかった。そこからの景色を眺めたかったからだ。ホステルから丘の入り口まで15分。そこからさらにのぼって30分くらいかかる。道は舗装されていて、歩きやすい。ただ明かりはないので夜は危ないだろう。

今日もありがたいことに天気がいい。旧市街、川、箸と行って入り口に到着。滝っぽいのが入り口だ。すでに観光客が上り下りしていた。天気が良く、木々の間からの光が美しい。中にはトレーニングなのか走っている人も見かけた。この道中、いくつかに別れていて迷いそうになる。地図アプリのmaps.meや人の流れを追って進んだ。

標識は見なかったっけ。休憩を挟みながら進んでついに頂上へ。車でも来れるようでたくさんの観光客で賑わっていた。ここで動画の配信をした。受け手はどう見てくれる、というか楽しんでもらえるだろうか。写真を撮って頂上にある要塞周辺をまわる。ここからだとブダペストの反対側もみることができてきもちいい。

ブダペストのどこからも見えるシュロの葉を掲げる女神像も間近だ。要塞ツィタデッラは、トイレしか入れない。それで1ユーロとか高すぎる。

近くには公園があって、とてもキレイな花々が咲いていた。そこに岩に座って実家に電話。大体週に1回のペース。本当は日本に居るときもやりたかったが、実行には移せていなかった。何やら延長ケーブルの漏電防止スイッチの挙動を誤解したらしく、プリンターの電源が抜かれていた。一応再電源をお願いしたが。うちはアナログ一家。はてどうだろうか。ときどき駿が風邪を引いて、大変なようだがかわりはなさそうで安心。モミエばあさんのことがいつも気がかりだが。そう毎回尋ねる気にはなれなかった。

ブダ城内には公共施設がたくさんある

ここからまた歩いてブダ城にある歴史博物館へ向かった。丘を降りて、トイレして。ワインフェスのおかげで入り口はすぐにわかった、というか知っていた。入り口が2つあって迷ったが、荷物を預けられる方を選んでいった。どうも日本人ぽい人をみかける。

ブダペストの歴史の展示で、オーストリア占領時、オスマントルコ占領時はもちろん、もっと昔のこともあった。いわゆる、先住民の跡だ。土器やら装飾品、埋葬のことなど。昨日の日記に書いたが、光の影に関することはこっちの話しだ。撮影有料だったので記録にとってはいない。そして、時間が経ってから書いているので、時々混乱があるな。

博物館の中から外のワインフェスの様子がうかがえる。楽しそうでいい。地下の城跡は、ワクワクした。それに昔の音楽。教会だがそのサンプルはとても気に入った。一部ずつこっそり録音したくらいだ。奥には教会もあった。外に出ると日本語が。どうもカップルが座っているようだ。でも話しかけらなかった。考えすぎたせいだ。

マーチャーシュ教会

ここからマーチャーシュ教会、そして漁夫の塔と目指して歩いた。結局、地下迷宮にはいかなかったな。一度丘を降りてまたのぼる。今日はたくさん歩く。形のいい階段がフォトジェニックだ。教会の前は広場になっていたて、ここも多くの観光客で賑わっていた。教会の向かいにわざわざチケットカウンターが設けられている。それくらいの規模の教会と言うことなんだろう。看板がたっていて、パイプオルガンコンサートがあるということだった。

どういうシステムかわからなかったので、うろついてしまったが、係の人に尋ねると、「Free of charge」ということ。自由に入れるということだった。いままでの経験からすると、Donationだろう。今夜、温泉にいくか、ここにいくか、選択を迫られて迷った。

考えすぎ

その間、近くの広場、漁夫の塔の前でアジア人がバスカーをしていた。上手なんだけれど無表情。お金を入れてもらっても、えしゃくだけ。楽しそうでない。日本人にみえて、それだけで興味を持った。2階くらい行き来して,近づいて「ハイ」とあいさつした。それだけだった。日本人じゃないと思ったからだ。さっさと話しかけておけば時間も使わなかったのにね。考えると同時に動く、これよ。ここでもアジア人に目が行くな。

漁夫の塔にははいらなかった。白くてキレイな塔。どうかというといい景色が見られるって感じかな。コンサートのあと、間に合えば温泉に行く、といういいところ取りを狙った。。コレがミスだった。水着をもっていればよかったが、今日に限っておいてきてしまった。ホステルに戻るとここから30から40分。これを往復することになる。今考えれば、割り切って近くのスタバで日記を書いて待つべきだったのだ。

この往復でかなりの体力を使って閉まった。コンサートは19:30から。1時間で20:30におわっても、温泉に間に合うわけはなかった。ホステルで水着をとって、19:30ぎりぎりに戻ってきた。中に入るとやっぱり Donation のかごが。途中で抜けるかも、そういう考えもあって抜けやすそうでかつ正面が見えるような場所を探した。

マーチャーシュ教会のパイプオルガンコンサート

そして座った。演奏は若い女性。教会で肩を出してもいいのかな、と思った。可愛い感じの金髪の女の子。中央に楽器があって、上のパイプオルガンをコントロールする。いまや教会もハイテクと同じに。オリジナルを傷つけない知恵だ。

演奏が始まる。とても幻想的だ。教会の内装はまさに黄金。オスマントルコの占領で、イスラム寺院に改築されたが、占領が終わると元に戻されたとか。教会の屋根のモザイクも美しい。メンテナンスにはお金かかりそう。演奏を聴いたり、次の土地のブラショフの宿屋生き方を探したり、自由にしていた。アンコールを含めると約1時間の演奏。曲名や想いはわからなかったが、素敵だった。

終わったあとは、中の写真を撮った。出口にはかごを持った2人の女性。それをみて困っている年配の日本人夫婦。自分は少し寄付してもよかったので、声をかけて一緒にでることもできたが、しなかった。あまりいい顔をしていない、そう感じたから。曲の数は、4つか5つだったかな。1曲15分くらい。演奏者の体力はスゴイもの。

いびきだけが響く夜

寄付をして外にでて、教会の夜の姿を撮ったあと、今日で4度目になるルートでホステルにもどった。ブダペストにきてから初めて1人で過ごした夜。HやTくんはもういない。いや、自分たち、それぞれの足で次に進んだだけだ。

Tくんのことが気になってメッセージはしていたが、今日は返事なかった。ホステルではチャーリーとその友人が新しいメンバーに加わっていた。とてもいい顔をしていて、ステキなやつだとわかる。が、まさかあそこまでいびきがうるさいとは思わなかった。このホステルでは、いびきがうるさい人によく当たる。帰りに買ったマックシェイクに満足して日記を少し進めてから寝た。今夜、初めてここのシャワーを利用した。

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