11年務めていた会社をやめて35歳から始めた旅の記録
2017年5月出発した旅のことを、記憶と記録を頼りにつづってみようと始めました。
書き方などはだんだん良くなるはず(笑)なので、見守っていただけると嬉しいです。
※途中、記憶違いや文章の構成的にフィクションが入るかもしれません。ご容赦ください。
巡った順序 → 日本 → (韓国) → ロシア → フィンランド → スウェーデン → デンマーク → ノルウェー → エストニア → ラトビア → リトアニア → ベラルーシ → ウクライナ → ポーランド → ドイツ → チェコ → オーストリア → スロバキア → ハンガリー → ルーマニア → モルドバ → (沿ドニエストル共和国) → モルドバ → 続く…
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こんにちは、mickです。
チェコに向かうため、途中にあるドレスデンでビバークする。
バスの時間まであるので、ライプツィヒでいけるところにいっておく。
バッハの博物館で感じたことでは、ライプツィヒに意味を知った瞬間だった。
バッハの音楽は、学校の音楽の授業で知るけれど、博物館での情報量は半端なかった。
てか、子ども20人もいたのかよ(笑
ドレスデンは、移民の影響か治安が悪く感じた。後で分かることだけれど、エルベ川を挟んで南側と北側での空気感が違う。
この日は、ゲイのドイツ人に告白された。
ネタ、いただきました。
日付:2017年8月23日(水)移民の風を感じるドレスデン
日付:2017年8月23日(水)
地域:ライプツィヒ、ドレスデン
天候:晴れ
ライプツィヒのコーヒーミュージアム
チェックアウトする朝。深い眠りだったんだと思う。
朝に早く、6時に出ていくと言っていたドイツ人の男の子はいなかった。
キエフの子をはじめ、次々に置き始めるメンバー。夜中も静かで、気配りを感じるいいメンバーだったと思う。
もう移動する、というのは寂しい。キエフの子もチェックアウトのようで、荷物を持って去っていった。彼は次どこへ行くのだろうか。チームリサはベッドの中。上の段のリサは、準備している。
特に何事もなくて、チェックアウト。荷物を預けて、隣のカフェ・バウムにいくことにした。カフェの上の階には、ミュージアムが併設。無料。ここに行くと、一人の日本人女性と出会った。旦那さんが学会でライプツィヒ大学にきているらしく、それについてきたことで、5日ほど滞在するそう。
東西のドイツ時代に西側にホステル生活をしていることがあるらしい。強者の女性。色々と調べたらしいノートを持って、話をしていた。ここの話し以外にも、バッハが(遊んで)作ったコーヒー・カンタータやライプツィヒが出版の街であること、東ドイツのなごりの信号キャラクターを教えてくれた。一緒にお茶をしたかったが、旦那さんと教授とお昼の待ち合わせに行くため、お別れとなった。ハキハキとしてたが、少し落ち着きがなかった。
博物館では、アラブからコーヒーの文化が入ってきたこと、そこから広く飲まれたこと、次に中国や日本からお茶をいれたこと、ココアは高級品だったこと、いまはフェアトレードをやっていること。
歴史的な道具の展示もあった。無料にしては、1時間はかかるボリューム。テラスでしか飲めない時間帯で、カプチーノを楽しむ。ポーランドのことを投稿してないので、さすがに、と思い記事の下書きを書く。
ライプツィヒのバッハ博物館
結構掛かるもので、13時くらいにはなった。お昼をSすさんといったポテト屋で食べる。ポテトwithポーク。すぐに行列ができてきたので、セーフ。さっき会った女性がバッハ博物館の話をしていたので、縁があると思い、いくことにした。
バッハ教会の目の前。正直、バッハの作曲した曲がパッとは出てこないほどの関心だったけれど、なにか惹かれるものがあった。少し調べると、学校では「トッカータとフーガ ニ短調」で習ったかな。「G線上のアリア」もらしい。
多くの日本人が訪れるのだろう。日本語でチケット売り場の案内があった。中に入ると、警備のおじさんが迎えてくれて、オーディオガイドのことを話してくれる。荷物を預けて、パスポートを担保にオーディオガイドを借りる。そして中に。
JSバッハは、作曲家の家系だったらしく、バッハ家の曲が流れていた。バッハ教会のオルガンについて、バッハの功績。ライプツィヒでの生活、バッハの研究、そして貴重な展示品。とても大きいわけではないが、ちょうどいいくらい。彼が新しい楽器をすぐに作品に取り込む話は、彼の研究者、探求者の一面をかいまみる。その紹介をするブースは、とても面白かった。
パネルに楽器の絵とボタン、ライトがついていて、今流れている曲を使う楽器にはライトが点く。ボタンを押すと、強調されてボリュームがその楽器だけ大きくなる仕組みだ。これ好き。近所さんの話もあって、よき協力者だったんだろう。JSバッハには、2度の結婚と合計20人の子どもという話もビックリ。
2番目の妻のノートがよい記録になったようで、展示に話がでていた。貴重な品々は、撮影禁止。楽譜などは、ローテーションしてるそうだが、それでも光によって劣化が進んでいるそうだ。何かの学会化の会員になるのに、肖像画の提出が必要だ、というのは面白い。
おかげで今日に彼の肖像画が残っているわけだが。
ライプツィヒに来た本当の意味
隣の中庭を再現したところに座って、空を眺めていた。雲ひとつない青い空。ふと、今までなんで写真を学んだのか、なぜ心理学を学んだのか、なぜNHK語学をやってきたのか、を考え始めて。
そう「すべてこの旅のため」だ。すごくスッキリした。最高の気分。謎解き、正解がわかったときの気持ちよさ。科学者としての支店の自分にピッタリな瞬間。ドイツでの出来事がつながった。目的を達して、ポストカードを買って、最古のバッハ像をみてから、バッハショップを覗いて、いそいでホステルへ。
バスでドレスデンへ移動
運良くバスの到着が遅れるメッセージが入っていた。いそいでバスターミナルへ。途中で、いきそこなっていた聖ニコラス教会に立ち寄る。シンプルな白に緑の模様。とても好きなデザイン。緑を使っているということは、さりげない贅沢を盛り込んだんじゃないだろうか。
1分くらいでササッとみてまわり、ターミナルへ急ぐ。「10分遅れ」なんて、変に正確すぎるので、もっと遅れると思っていたら、案の定、20分は遅れた。それでもバスが来るまではドキドキした。
バスに乗ってドレスデンへ。FlixbusにはWi-Fiがついているのでポーランドのことをフェイスブックで投稿した。前回から、2週間ほどあいたため、心配している人がちらほら。その中で、冨澤先生がコメントをくれて表に出してくれた。ありがたい。
少し好きなことをさせてもらっている側の責任を感じる。ライプツィヒにきたときのバスの利用者がうそみたいに少なて、2シートを独占して、ゆっくりとドレスデンへ。ほんとど寝ていた。車窓の景色は、かつて姉との旅行を思い出させるには十分な美しさだった。いや、平凡というべきか。
エルベ川北にあるホステル
ホステルは、川の北側。本駅は南側なので、北駅につくバスにしておいた。北駅は、静かな駅で、パン屋やスーパー、本屋が入っている。夕方でも人は、数人と静かだった。そこから歩いて、ホステルへ。地図アプリの maps.me の位置情報が機能して、迷わずにいけた。
途中、図書館を見つけたけれど、行く余裕はないと思う。ホステルのチェックインは、少し面白くて、新人ぽい人が対応。英語も少し引っかかった。でも、しっかりやろうとしているのがいい。クレジットカードでの支払いは、追加で2.5ユーロもとられるので、現金で支払うことに。こういったことは、ホステルの情報に書いておいて欲しいもの。シーツ代がとられることは、知っていたのに。
ドミトリーのベッドは好きに選べる。ドイツ人の男性に教えてもらって、場所へのトラムは、maybe、つき。もらったマップがわかりやすくて大丈夫だとすぐにわかった。4人部屋の別途は1つしか空いてなかった。窓側、下の段。荷物を置いて、まだ明るいうちにアレツクレブルク城にいく。
ドレスデンでのお城巡り
北駅から来た道とは反対側を歩いて、トラム乗り場へ。落書きの多さ、移民の店、大声の若者、いい雰囲気ではない。夜は歩きたくないな。トラムの11番に乗っていく。小高い丘を登っていくトラム。歩くには、距離もあるし大変だっただろう。2.3ユーロは安くないが。
予定していた「Withelminenstrabe」を通り過ぎてしまう。これは、下車ボタンを押さなかったため。失敗。だが、近いのは次の停車場「Elbschlosser」。怪我の功名。違うか。
アレツクレブルクの先にある、シュロスエックブルク城。今はホテルとして使われているようだ。隣のリンガーシュロス城は改築中で庭は、バーがある。対岸にはドレスデンのもう一つの街がみえる。ちょうど夕日が沈むところで美しい。
ここのビール飲みたい。ホテルに泊まってみたい。平凡な思い。ベンチに座って松の木を見ては、日本を懐かしんだ。そもそもドレスデンで松にであるとは思ってなかった。そこからまた歩いて、アレツクレブルク城へ。中は美術館らしいが19時にもなっていて、閉まっていた。
ドイツ人の友人のいっていた、Wolfsschluhtはわからず。中の展示品だったんじゃないかと信じたい。謎の井戸や巨大ナメクジと出会いながら、エルベ川へ。一度、川の水に触れてみたいからわざわざ川まで降りたはずなのに、触れずに帰ろうとする自分。これときどき起こる出来事。「今を生きる」「今を大切に思う」とは、こういうところに出るんだと思った。
今の自分には「今を楽しむ」ことはわらないが「今を大切に思う」ことはできそうだと思っている。人に言われる美しさよりも、自分の思う美しさを大切に。「川」という写真教室のイベントでもらったキーワードが浮かぶ。トラムは、1時間で有効期限が切れる。往復分買っておいてよかった。
ゲイからの告白
少し冒険して、夕方に怖いと思った道を歩いた。カメラを出さないでいったのもあってか、何もなかった。でも雰囲気は好きではなかった。夜は、たまたま見つけたハンバーガー屋。ハンバーガー、ポテト、ナゲット、コーラのセット。全部で6.5ユーロ。しっかりとしたパテで美味しい。Wi-Fiも使えてよかった。電話の後、店のおっさんが怒り出したのが気になったが。
ホステルには、ひとり男性がベッドに居た。最初は何もなかったのだが、このあとの騒動の中心人物となる。たまっていた、洗濯を頑張る。このとき、他のトイレが使えるのに、シャワールームに入ろうとして、苦情をいう奴。
「おまえのじゃねぇよ、鉄やろう」
と捨て台詞をいって去っていった。柔軟性がないそっちが、鉄やろうだと思ったがね。
洗濯を終わらせて日記を書いていると、23時で共有スペースは施錠といわれてしょんぼり。ドイツ人の友だちにには、「夫になりたい」と愛の告白。なぜ男に、と残念がる自分。またひとつ、旅の経験値が増えた。
「自分は無理。ノーマルだから」
とはっきりお断りしておいた。加えて「友だちね」と。
「友だちプラスアルファでお願い」とがんばる彼。
告白の英語のフレーズを学んでしまった。
ハンガリーの失礼なやつ
部屋で日記を書いていると、一組のカップル韓国人が戻ってきた。男の人は挨拶なし。女の子のほうが社交的だった。少し日本語が話せる彼女。同室の男について情報をくれた。
「このハンガリー野郎は、すごく失礼なやつ。英語の勉強をしている話をしたら、ポルノ映画を持ってきてしつこかった。気をつけてね」
どうしろと。
だがこの情報はとてもマッチしていることが明日の夜にわかる。どことなく日記を書いている自分をみて、いい方向に自分を彼女はみてくれたようだ。この日、疲れもあって寝落ちする。このとき、ブランケットをかけなかったので、風邪の始まりとしてしまう。
ホテルルイーズ
4人部屋2段下 2泊
補足
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