11年務めていた会社をやめて35歳から始めた旅の記録
2017年5月出発した旅のことを、記憶と記録を頼りにつづってみようと始めました。
書き方などはだんだん良くなるはず(笑)なので、見守っていただけると嬉しいです。
※途中、記憶違いや文章の構成的にフィクションが入るかもしれません。ご容赦ください。
巡った順序 → 日本 → (韓国) → ロシア → フィンランド → スウェーデン → デンマーク → ノルウェー → エストニア → ラトビア → リトアニア → ベラルーシ → ウクライナ → ポーランド → ドイツ → チェコ → オーストリア → スロバキア → ハンガリー → ルーマニア → モルドバ → (沿ドニエストル共和国) → モルドバ → 続く…
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こんにちは、mickです。
お気に入りのチェコはチェスキー・クルムロフを離れて、オーストリアへ移動。
まっすぐウィーンにいく予定を変更して、ザルツブルグへ立ち寄ることに。
これは大正解。かなりよかったザルツブルグ。
朝から行動したことと、ネットの力を借りて、1日の弾丸観光もかなりスムーズにことが運んだと思う。
街の中心と座するホーエンザルツブルグ城は、かなりお気に入り。
オーストリアともなると、ユーロになりさらに物価高を感じるようになる。
この辺りには、ザルツブルグカードなる、シティーカードがあるため、これを利用した。
こういうのは、コペンハーゲンカード以来だね。
モーツァルトの住居は、オーディオガイドできいたモーツァルトの父の言葉が頭に残ってる。
日付:2017年8月30日(水)塩で栄えた街ザルツブルグ
日付:2017年8月30日(水)
地域:チェスキー・クルムロフ、ザルツブルグ、ウィーン
天候:晴れ
さよならチェスキー・クルムロフ
かなり早い6時に起きれば、朝のチェスキー・クルムロフの撮影に行けたが、起きたのは結局7時。急いでサンドイッチを準備する。かびた部分はカットして、とりあえず食べられそうな何かは作った。7時30分には準備完了。
別の韓国人親子と男性が早起きしてた。レセプションはまだ閉まっているので、鍵入れだけ見つけておく。コーヒーを飲みながらのんびりと CK Shuttle を待った。レセプションの前にある階段がいい感じなんだよな。どうやら男性も何かを待っているみたい。話はしてないからわかんないけど。
CK Shuttle のミニバンが到着。行き先をドライバーに確認して、鍵をボックスに返却して、荷物を車に載せる。そして、代金の28ユーロをドライバーに支払う。車は自分を含めて8人と満員だ。サービスの水は嬉しい。
車に乗り込んで、チェコのチェスキー・クルムロフからオーストリアのザルツブルグへ向かう。天気がよくて気持ちがいい。道中は休憩が1回。寝たりザルツブルグのことを調べたり、景色を楽しんだ。ザルツブルグからウィーンへの移動は、Flixbusで最終で行くことにした。バス会社の予約だけれど、移動手段は鉄道だ。
コインロッカーのために
1組のカップルは、途中で下車。1人は最後まで残っていた。降りた場所はザルツブルグ駅の裏側。さっそく駅のコインロッカーを見つけてバックパックを入れようとする。サイズ、S、M、Lのうち、MかLだけが余っている。で、Sは2ユーロ、Mは2.5ユーロ。10ユーロまでだけ、機械に投入できる。てには、2.3ユーロと20ユーロ紙幣。Mしか使えないな。困ったぞ。
で、他の利用者に両替をお願いしてみた。1人のおばさんは小銭が残ってないとのことでだめ。別の1組の女性もなかった。困った、どこかイラつきとともにひとり声を出した。するとさっきの女性らが声をかけてきた。
「いくら必要で、いくら足りないの?」
「2.5ユーロ必要で、0.5ユーロ足りないんです」
すると、1ユーロコインを出してくれた。
「多すぎます」
「いいのよ」
そういって彼女たちは去っていった。一瞬、その辺りの物乞いと同じだと思ってしまった。誰かに還元したい、そう思える出来事だった。
次はザルツブルグカードを探す。切符のインフォメーションにいるおじさんに尋ねる。
「ああ、隣だよ」
それで、別のインフォメーションにいくことができて、そこで24時間のザルツブルグカードを入手した。
ザルツブルグの散策開始
ザルツブルグ駅から中心地に行くには、トラムやバスがある。限られた時間で街をみるためにも歩くことにした。インターネットでGoogleマップに見どころをマーキングして解説してくれているところがあったので、それを利用した。ザルツブルグのお城をメインにみてまわしたかったから、いくつかの場所はショートカットせざる得なかった。
ミラベル宮殿の庭園、モーツァルトの住居、マカルト橋、ゲトライデ通り、近代美術館とメンヒスベルクの丘、そしてホーエンザルツブルグ城。並べてみると、結構周ったもんだな。
ミラベル宮殿の庭園
ミラベル宮殿の庭園は、広くて花や緑が美しかった。観光客で賑わっている。写真を撮るのには人が多くて大変。庭園の外だけれど近くに建設の重機が見えて残念。水遊びにきていた2羽の小鳥がどこか可愛かった。気持ちがい、という気持ちで見て回った庭園。
モーツァルトの住居
そこからすぐにモーツァルトの住居へ。ザルツブルグカードを使うと無料で入れる。さらにオーディオガイドが付いてきた。あまりに多くのアジア人がくるのか、スタッフの顔が無表情すぎた。写真はNGな場所。
それまで住んでいた家が手狭になったので、ここに引っ越してきたモーツァルト一家。父親はバイオリンの教師で書籍も残していた。父親は、天才ゆえに厳しくモーツァルトに接していたようだ。モーツァルトは、天才ゆえの名やっも合った。自分がすごすぎるのか、周囲が愚かなのか話が合わない、と。父は、常に自分を知るすべを学んできた。そして他者を知るように努めてきた、と伝えたようだ。
モーツァルトは、楽器を弾くことは天才だと思うが、作曲については違う、と父。誰よりも作曲に時間を使ったから名曲を残した、という。他のモーツァルト情報としては、姉との関係が良かったとか、病で早くに亡くなったとか、ハプスブルク帝国の女帝マリア・テレジアの前で演奏したとか、彼の使った本物の楽器が見れたりとかした。拡張展示については、日本語ガイドがついてなかった。内容はとても貴重なものだった。
マカルト橋
マカルト橋は、恋人たちの南京錠で異質なものができていた。ある人は、バスキングをしていた。ここから望むホーエンザルツブルグ城もいい。ここからの写真が有名みたい。
ゲトライデ通り
ゲトライデ通りに近づくと、日本からのツアーや個人旅行者をみた。日本食レストランがあったけど、実際どうなんだろう。ここの通り、たしかに看板が独特。もちろんマクドナルドでもルイ・ヴィトンにも独自の看板を用意していた。
この通りを抜けたあとに、なんとチェスキー・クルムロフの塔で出会ったカップルとすれ違った。お互い驚いた。軽い挨拶程度でおわる。
メンヒスベルクの丘と近代美術館
近代美術館のあるメンヒスベルクの丘へ行き、そのからのホーエンザルツブルグ城が見える景色を楽しんだ。あと、ザルツブルグカードのお得感から近代美術館に入る。
写真の展示もあった。女性の写真家の服装がみなズボンと男っぽかったのを不思議に観ていた。クリエイターである女性って男性性が強いのか、と時々思う。ダンスについてのアートも会った。駆け足で巡ったわりには、結構楽しんだ。ここからはいよいよホーエンザルツブルグ城へ向かう。エレベーターでメンヒスベルクの丘を降り、歩いて向かう。
サウンド・オブ・ミュージックの舞台ザルツブルグ
ここザルツブルグは、映画サウンド・オブ・ミュージックのロケ地としても有名。そのツアーだってある。そのロケ地に使われた場所のひとつ、家族が隠れた洞窟。ラストの歌の会場近くなどに行った。サウンド・オブ・ミュージックを始めてみたのは、音楽の授業だったのを覚えている。映画史においても素晴らしい映画だそう。その件については、白熱教室でやってた。
中心地までくると、ジプシーの物乞いが目立つ。ケーブルカーに乗って、ホーエンザルツブルク城へ。遠くから見るとかっこいい。近くで見るとさらにその大きさが伝わる。インターネットの記事で、テラスでビールが飲める、ということを知ってしまい、視野に入れておいた。
塩のお城ホーエンザルツブルク
ホーエンザルツブルク城からの眺めは最高。ザルツブルグ全体を見ることができる。それも、360度ビューだ。そのサウンド・オブ・ミュージックの一家の住まいとして使われたお城も遠くに見える。あまりの景色に共有したくなって、フェイスブックで動画配信を考えた。大学時代の先生が、たまにはそれくらいしてくれ、と心配してくれる。まだ顔出しはできないな、なんて考えていると時間が経ってしまうので、先にお城を見て回ることにした。A・B・Cと見学ルートがカテゴライズしてあって、Aはオーディオガイド付き、Bは自由見学、Cは別料金のスペシャルルーム付き、となっている。
オーディオガイドには、日本語もあって助かる。お城の歴史や周囲の景色のこと、城内の建物について知ることができた。塩によって財を成したこの地域。1度も落とされたことがないという、ホーエンザルツブルク城。ナポレオンが攻めてきたときに、無条件開城したくらいらしい。川の反対側は、かつては要塞になっていたが、それをこわしたから街が発展していったそう。アルプス側の解説もあった。かつてのもっとも残酷な処刑についての車輪状のものは、人をバキバキにしておりこんだというから怖い。
高台からの360度ビューは、天気もあって最高だった。Bの自由見学は、要塞、ライナー、そしてマリオネット博物館。番外として、教会、井戸、元武器庫のお店があった。どれもお城に関連していていい。Cの「黄金の間」は当時の富の象徴らしく、その豪華さが青い部屋に詰まっていた。
この部屋に手を入れた人以降は、ほぼ人が住まなかったので、保存状態がいいとか。また、2度の修復で、色の修復が大変だったらしく、その修復失敗による無残な色へと青が変色している様子もあった。もともとは、高価なアズライトブルーだったが、修復時にラピスラズリの粉を使った、ウルトラマリンブルーにした。しかし、実はこの2つが科学的になじまないために変色した青になったとか。実際、ひとつの部屋は絶賛修復中だった。
ゴシック様式やこのお城の歴史もまた解説をもらった。権力を振るいすぎた教皇が、隠れるように住んだという。カブの紋章がシンボル。しつけにカブをなげられたことかららしい。学がなくても、お金の計算ができればなんとかなっていたところも面白い。課税、道の整備、貿易の発展、とやることはやっている。星の天井も素晴らしかった。食事がプリントされたクロスのかかったテーブルがおいてあったが、解説をきいていなかったらなにかわからなかっただろう。
お城とプレッツェルとビールと
時間もせまってきていたが、テラスからプレッツェルとビールを楽しんだ。これは最高の時間。すべてがOKになった。ビールも甘くて、自分には会っていた。Radler Zitrone、とわざわざメニューを写メしたくらい。プレッツェルについていたお塩がまたうまい。これはきっとザルツブルグ産、と信じたい。時間が許す限り、ここで刻を過ごした。
帰りに命綱用にザルツブルグ産の塩を買った。150gで11.50ユーロ。いい値段する。でも、昔お土産にもらったことがあるので、美味しいのは知っている。店員のお兄さんもこの辺りで採れたもので、化学薬品ゼロの品だよ、といっていた。帰りは、夕日に照らされたザルツブルグの街や建物を惜しみながらザルツブルグ駅へ。
高架下には、来るときに会ったジプシーのおっさんが時計を見ていた。時間の経過をみたのだろう。自分のことを覚えていたようで、手を降ってきた。自分も手をかざした。それが好意だったのか、やはりお金だったのか、わからない。すぐにお金に結びつけるのも怖いことかもしれない。
鉄道でウィーンへ
駅に戻ってポストカードを入手。荷物を受け取って、列車へ。18:45発。車内では、なるだけ日記を進めながらウィーンへ向かった。係の人が不慣れで、Flixbusでの予約確認に手間取っていたが、慣れた人がヘルプを出して事なきを得た。こういうのは、正直焦る。
インド系の親子が入ってきて、子供の自由さ(うるささ)にはまいった。そして、うんちをして漂うニオイ。気がついたら彼らは車両を移動していた。おそらく、ベビールーム付きの車両に移ったのだろう。どこかホッとした自分。
外は暗く、景色はみえなくなっていた。10分少し遅れてウィーン駅に到着。お腹が空いたものの、今日は手持ちのお菓子で済ませることにした。お金もなくはなかったが、22時近かったからだ。
駅から歩いて、10分くらいのところに今夜のホステルに到着。チェックインしてベッドに行くと電源がない。入口に3つ。トイレに1つ。レセプションに掛け合う。
「3泊するし、コンセント少なくて困るんだけど」
「全部の部屋がそうなっているから移っても同じだよ」
自分でなんとかするしかなくなった。
「電源は、キッチンや共有スペースにもあるから」
とよくわからないフォローが。
ジョンからメッセージが来て、明後日の夜7時に市庁舎で合う約束をした。スマホの充電と日記でコモンルームに滞在。充電が100%になったあとに、ベッドに戻った。
Do Stop INN
6人2段ベッド上、3泊(+1泊)
補足
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