【旅の記録】オーストリア=ハンガリー帝国と音の都:オーストリア【105】

オーストリア

11年務めていた会社をやめて35歳から始めた旅の記録

2017年5月出発した旅のことを、記憶と記録を頼りにつづってみようと始めました。
書き方などはだんだん良くなるはず(笑)なので、見守っていただけると嬉しいです。
※途中、記憶違いや文章の構成的にフィクションが入るかもしれません。ご容赦ください。

巡った順序 → 日本 → (韓国) → ロシア → フィンランド → スウェーデン → デンマーク → ノルウェー → エストニア → ラトビア → リトアニア → ベラルーシ → ウクライナ → ポーランド → ドイツ → チェコ → オーストリア → スロバキア → ハンガリー → ルーマニア → モルドバ → (沿ドニエストル共和国) → モルドバ → 続く…

初めての方はコチラから → 11年務めていた会社をやめて35歳から始めた旅の記録と記憶

こんにちは、mickです。

まる1日ウィーンを堪能。
最初に目を引いたのは、横断歩道の信号機。
デザインが独特で、見つけるとちょっと楽しい。

ウィーンは、オーストリア=ハンガリー帝国の拠点だったところ。ハプスブルク家、という言葉は学校できいたことがあるんじゃないだろうか。

オーストリア=ハンガリー帝国そのものは、100年も続いていない。
実質的に統治していた、ハプスブルク家は600年続いた。

ホーフブルク王宮では、その歴史を見ることができる。
皇族の姿勢には、日本の皇族とも通じるところがあって、親近感が持てた。
見習わないとな、と思うほどに。

日付:2017年8月31日(木)ウィーンの街を堪能する

日付:2017年8月31日(木)
地域:ウィーン
天候:晴れ

ウィーンで迎える朝

眠れるホステル。下の段のスペイン人が音楽だだ流ししたり、奥の若者がずっと電話していることはあるが、居心地は悪くはなかった。出発の準備をして、フリーフードのコーナーをあさると、パン、そして大量のビール。1本だけ拝借して、こいつで栄養を取ることに。

ウィーンカードのお得感をスタッフに尋ねてみたが、イマイチみたい。そりゃどれだけ公共機関を使って、どれだけ建物に入るかだけどさ。まあ、違うよね。

中心地まで歩くと30分くらい。いけなくはないからと、朝からビールを片手にあるき出した。西駅で缶を捨てた。清掃のおじさんが真面目で好印象だった。

歩くことで見えるウィーン

中心地から離れているけれど、街並みは中世っぽさも入っていてきれい。横断歩道のランプがカップルになっている。それが面白くて写真に撮る。近くには赤ちゃんショップがあって、関係があるのかもしれない。途中、BIOショップを見つけて、買い物。ミントのドロップ、タブレットかな、が美味しい。気づいたらパクパク口にいれてた。口恋しいのか。

新しそうなメイン通りには、高級なお店やマクドナルドなど。ほか、たくさんお店が並んでいた。ホーフブルク王宮を目指す。また、面白い横断歩道をみつけながら敷地の中へ。

これがどこが王宮の入り口なのかわからない。見つけるのにとても苦労した。国立図書館に行ってしまったり、宝物庫に行ってしまったり、コンサートのチケットを買わされたり。コンサートのチケット、52ユーロの席zが32ユーロになったとはいえ、高いわ。日本語を話してくる人はやっぱりアブナイな。

ホーフブルク王宮で学ぶオーストリア皇族

ホーフブルク王宮は、インターネットで調べてやっと入り口を見つけた。ここでは、シティチケットを購入。理由は、シェーンブルン宮殿にも入れるから買ったが、実はここ2つだけなら、それぞれ買ったほうが安かった。家具博物館に行って初めてもとが取れる計算だった。

とにかく、旧王宮であるホーフブルク王宮をまわる。厨房の道具から始まる。スープの鍋やお菓子を作るための器などが、これまでになくて面白かった。いかに安定した王朝だったかが伝わる。そこから、食器類、陶器の食器は色鮮やかで素晴らしい。ちょっと欲しいと思うくらい。

面白いのは、当時の食事は銀食器が普通だったこと。陶器はスープとデザートで使われていたそう。16世紀にマイセンでヨーロッパの陶器が作られるようになる。銀食器は、壊れるとすぐに交換されて、また財政難になったときに溶かして硬貨にしたそう。なので、今日に残る銀食器は数が少ないそうだ。

日本語のオーディオガイドのおかげで分かる話が楽しい。ここでも日本の有田焼がおいてた。王宮で使うために、縁に金が加えられていた。シンボルみたいなものか。それに
ナイフ、フォークセット。いまでも大切な国賓を迎えるときに使う食器などボリューム満点。ここまでで1階。

2階からは、シティ美術館。オーストリア・ハンガリー帝国の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の皇后。とても美しい人で、皇帝もぞっこんだったが、今でいううつ病のような状態で、常に内面と向き合い、最後はヤスリで暗殺されてしまった人。死にたい、そう言い続けていたそうだが、ダイエット、旅行、スポイーツ、スイーツが好き。本当は生きたかった人だろうと。皇帝の真の愛に気づいていれば違っていたのかもしれない。皇帝はどんなときも彼女の味方だったそうだ。皇后は日を大切にし、歯を大切に、ダイエットのために体操を欠かさず、毎日長い髪の手入れで2、3時間もかけていた。人の目を気にして、人前からは姿を隠し、唯一の息子の死からは、黒い服しか着ない。とtめお自分に厳しい人だったと思う。結婚じたいを断ることってできなかったのかね。姉もいたのに。語学に堪能で、ドイツ語、フランス語、英語、そしてラテン語が話せたというからすごい。日記や詩も多く書いたそう。破天荒ゆえに、存命中はマスコミのいい的になたようだ。死後は悲劇のヒロイン扱い。シッ後に人気が出るとか都合がいい。彼女のドレスのレプリカは美しかった。ハンガリーの王女としてもいたとか。

質実剛健のオーストリア皇族

その次は皇帝一家の住まいとその部屋の見学ができる。ヨーゼフ1世は、国民に人気があったそう。オーストリアの皇族は、質実剛健で彼の生活はまさにそれを体現していたそうだ。朝早くから夜遅くまで働き続けたという。それも朝は5時から夜は23時までほとんどを執務室で過ごした。自分の責任を全うした人。だから、ハプスブルク家は600年もつづいたのだと思った。

またおもしろいのが皇族のものは1人1技術を持つ、ということになっていることだ。ある皇族は庭師の技を学んでいた。彼の部屋はシンプル。家族の絵やプレゼントを飾っていたヨーゼフ1世。彼の皇后の名前が、エリザベート皇后。とても楽しかった。

マクドナルドミッション後の美術鑑賞

ここから1度マクドナルドでビッグマックミッションを実行。次の目的地を考えた。旧市街の散策か、美術史美術館に行くか。1枚、フェルメールの絵を見るために、美術史美術館にいくことにした。ここの前で奇跡の再会。チェスキー・クルムロフ、そしてザルツブルグで出会ったカップルが美術館の前にいて出会えた。またまたお互い驚いきあった。もう合わないだろう、そう思いながらお別れをした。

美術史美術館は、フェルメール、レンブラント、そしてルーベンスの絵が置いてあった。フェルメールの絵1枚のために入ったようなもの。周囲には人がいない。まさに独占状態。思わず正面に座って眺めた。恥ずかしくて短い時間だけだけど。タイトルは
「絵画美術」。レンブラントは、最初の奥さんとの間に息子がいたことが知れてどこか嬉しかった。主にここは、宗教画が多かった。もとはハプスブルク家のコレクションを展示しているわけだ。

次にコンサートが控えていたから、メイン以外は駆け足で見て回った。エジプトやギリシャの展示、コインに関する展示もやっていた。人はどうしてコインが好きなんだろうね。そう思いながらみていた。中にはカフェが併設してあって、ここでお茶するってどんな気持ちだろうか。

本場ウィーンでの音楽鑑賞

コンサートの時間になって向かう。途中にウィーンフィルの会話がきこえてきたからよってみた。コンサートはやっているみたい。そう考えながら、延泊も視野にいれながら、今夜のコンサート会場へ。

手荷物を預けるのに、1.3ユーロ。ちょっと高いな。体育館の半分くらいの会場。お客はは80%くらい入っていた。オペラつき。曲名はわからなかったけれど。チケット売り場では、写真OKときいていたのに、現地の説明ではNG。嘘つきやん。

途中、うとうとしてたが、本場の空気は味わった。観客のためにパフォーマンスあり。観客が笑っていたので、それなりだったってことか。終わったあとに荷物を受け取って振り返ると、なんとまた例のカップルが。もうすごすぎ。思わずセルフィや写真を撮った。さすがにプラハに向かう彼らに会うことはないだろう。シティーバイクを借りて、Airbnbを使っているという彼らと別れて、自分は中心地近くのメトロでホステルに戻った。写真を撮ってくれた人は、「ありがとう」と日本語を話してくれた。

メトロで西駅まで戻って、マクドナルドで買い物してホステルへ。フリーフードをみてみたらコーラにレッドブル、コーヒーに牛乳が置いていたのでいただく。感謝。日記を書いてから寝る。今夜は1人、空気の変な人がいた。

補足

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