11年務めていた会社をやめて35歳から始めた旅の記録
2017年5月出発した旅のことを、記憶と記録を頼りにつづってみようと始めました。
書き方などはだんだん良くなるはず(笑)なので、見守っていただけると嬉しいです。
※途中、記憶違いや文章の構成的にフィクションが入るかもしれません。ご容赦ください。
巡った順序 → 日本 → (韓国) → ロシア → フィンランド → スウェーデン → デンマーク → ノルウェー → エストニア → ラトビア → リトアニア → ベラルーシ → ウクライナ → ポーランド → ドイツ → チェコ → オーストリア → スロバキア → ハンガリー → ルーマニア → モルドバ → (沿ドニエストル共和国) → モルドバ → 続く…
初めての方はコチラから → 11年務めていた会社をやめて35歳から始めた旅の記録と記憶
【この日の内容は、記録が長かったので2回に分けています(後半)】
こんにちは、mickです。
ワインのテイスティングで酔いつぶれ、1日が潰れた日。
実はモルドバ、有名なワインの産地のひとつ。ここに来るまで知らなかったけれど、日本もモルドバからワインを輸入してます。西ヨーロッパや南米のワインは見るけれど、東ヨーロッパ、しかもモルドバなんて知らんがな(笑
日本人、韓国人、中国人、という歴史的な視点からみたら、すごい組み合わせでチームを組んで、ワイナリーツアーに行った。一番年配の韓国のおじちゃんが、引っ張ってくれるのはいいんだけれど、勝手に決められる行為が苦手だった。
ワイナリーツアーは、金額を安くしたかったからなのか、ロシア語ツアーで参加。ガイドの説明は、もちろんわからず。ワインを飲みにいっただけっていう(笑
ワインのテイスティングで、記憶を失うほど酔っ払って、回復するためにこの日が潰れましたとさ。
日付:2017年9月29日(金)飲みすぎ注意
日付:2017年9月29日(金)
地域:キシナウ
天候:晴れ
クリコバのワイナリーツアー開始
15分前くらいに現地についたので、そんなに待つこともなく、ツアーのための移動カーに乗り込む。3人を前に、自分はその後ろに座った。
ガイドさんの乗る車になって、先頭を進む。いよいよ、クリコバのワイナリーツアー(ただし、解説はロシア語)の始まりだ。ふと、Webでの記事で、中は寒いことを思い出し、もってきていた、ウルトラライトダウンジャケットを慌てて着る。
中は、ひんやり。そして暗い。ワイナリーの中。中はまるで迷路。街のように、通路には名前が付いているようだった。2台の車は、ワイナリーの奥へ。
最初は、大きなタルを通路のサイドにおいている通路で停車。ガイドさんがロシア語で説明を始める。もちろん、4人ともサッパリ。終わると撮影タイム。各自、好きにして、また車に戻る。
全員同じ車、同じ席に座るのが素晴らしい。さらに車は、進んで今度はビデオを観る。ロシア語だし、もちろん字幕もない。映像と単語から推測。
テクノロジーの進歩で、よりよいワインが生産できるようになった。
ウェルカムドリンクは、スパークリングワイン
くらい。特徴かなにかは、さっぱり。灯りが点くと、案内の人がスパークリングワインを用意してくれていた。これが1本目となる。少し酸味の効いた味。皆1杯目から喜んで飲んでいた。
1杯目で4人のセルフィー。盛り上がってきた。カウンターの後ろには、ワインが飾られていた。写メによると、BRUTALB というらしい。ワインに詳しい人何人かは質問をしていたし、また全部を飲まないで返していた。自分らは、もちろん飲み干した。
また、カートで移動して、昔ながらのワインの貯蔵と目視による品質の状態検査の部屋に。ずらりと並んだまだラベルの付いていないワイン立ち。黒く光る瓶が目に映る。説明はやっぱりサッパリだが、定期的に瓶を回転させる話は知っている。そこにたまるしこりを分散させるためだ。
通路は奥深くて終わりが見えない。だいたい、200本くらいのワインが1つの棚にあるようだ。目視による検査は、ライトを瓶に当てて、光の通り具合で判断しているようだった。大変な仕事のひとつだ。キムさんは、足が悪いため、移動のたびに気になった。本人は、平気そうにしていた。
またカートで移動して、今度は博物館にあたる部屋にきた。クリコバの歴史、そのワイン造りの歴史、かつて来た有名人、そのコレクションの数々。また、アンティークものの数々。古いもので1902年というワインをみかけた。どんな味がするのか。腐ってないのかな。
棚は空いているのもあったので、まだまだワインの保管を受付中、あるいは将来のためにとってあるんだろう。さすがにカビカビになっているやつは気持ち悪い。
壁の白さもあって、明るい空間だった。そのまま、パーティーなどで使用される特別な部屋を見学。途中、リンがカバンにワインを詰めていた。きかなかったけど、どうもそこにあったのを黙ってもっていったんだろう。
クリコバのワインを、世界のどこに輸出しているか、という地図に、日本にもピンが経っていた。アジアでは他に、フィリピンや中国が入っていた。
部屋は合計で4部屋。テイスティングなしの人はココでおしまい。自分たちは、もう1つの部屋に入って、椅子に座った。トイレに行って準備OK。
ワインのテイスティングから記憶がない
いよいよ、ワインのテイスティングが始まる。記憶が確かなら、スパークリング、白、白、ロゼ、赤、赤、の順番だったはず。というのも、この日、ベロンベロンに酔っ払ってしまって、ここから先の記憶がないのだ。
ワインの他には、お菓子とチーズ、水が付いていた。おいしくなかったのは覚えている。ここで、リンは夜行列車での移動中に、バッグを盗まれたことを話してくれた。いま使っているのは、新しく買ったやつだという。彼はもう、バッグを盗まれたことを気にしている様子はなかった。タフなやつ。
「パスポートに財布、スマホは無事だったから大丈夫」
アジア人4人で、並んで飲みまくる。写真も撮った。誰かは、他の人と話をしていた。正直、どの時点から記憶がなくなったか、覚えていない。周囲の人も心配してくれていたのを覚えている。
「お菓子をもっと食べるの」
自力で外に出たこと、買い物やトイレを待ったのは覚えている。地上に出て、ゴミ箱に戻した。
タクシーが100レイ(当時、約600円)になったこと、タクシーがホステルについて、自分がカメラや荷物をタクシーに忘れかけ、リンがもってきてくれたこと、トイレでまた戻してベッドで死んでいたこと。断片的にこんな感じで覚えてはいる。25レイは、きちんと支払った。
飲み過ぎには砂糖湯がいいと思っている
少し回復しはじめたころ、よりよくするために、砂糖湯を作りにキッチンにいくと、キムさんやリン、ヴィンセントに新しく来たっぽい女性とワインを飲んでいた。特に、2人のタフさにはまいる。お酒をすすめられるも、飲める、いや飲みたいわけもなく、お断り。
キムさんはかなりよっていて、自分のことを「いいやつ、いい男」と褒めてくれた。そして、いた女性に「彼はどうだ」とすすめていた。自分は嬉しいものの、気持ち悪さは残ったままで、この辺りのことも記憶が薄い。
砂糖湯を飲んだあとは、またベッドに逆戻り。映画のイップマンを鑑賞。そこそこ、いやかなり日本が悪者になっていて、あまり気持ちのいいものではなかった。
イップマンは、ジェット・リーの師匠。彼の話で、調べてみると日本軍に家を差し押さえられたあとの映画での話は、かなりアレンジが入っている様子だった。
香港には早くから写っていたが、映画では国残って際しと生活。さらに日本兵と戦っている。めちゃくちゃである。
ほとんどをベッドで過ごす
部屋はありがたいことに静かなので、身体の回復に努めることができた。また砂糖湯をキッチンに飲みにいったときは、韓国の若者とドイツ人が入ってきて、彼らも酔っ払っている感じ。そこにロシア系の男性が入ってくる。コソボの話をしていて、ドイツ人の男性が、プリズレンをおすすめしてくれていると、絡んできたロシア系の男性。
「コソボはだめだ」
うるさくなってきた。こうなると時間の無駄。悪いけれどドイツの若者を置いてベッドに戻った。もう今日は捨てる。いや、体を休めることを決めて、映画を観る。寝る。そして、この日を終える。
補足
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