【旅の記録】インターバルはキエフで:ウクライナ【72】

ウクライナ

11年務めていた会社をやめて35歳から始めた旅の記録

2017年5月出発した旅のことを、記憶と記録を頼りにつづってみようと始めました。
書き方などはだんだん良くなるはず(笑)なので、見守っていただけると嬉しいです。
※途中、記憶違いや文章の構成的にフィクションが入るかもしれません。ご容赦ください。

巡った順序 → 日本 → (韓国) → ロシア → フィンランド → スウェーデン → デンマーク → ノルウェー → エストニア → ラトビア → リトアニア → ベラルーシ → ウクライナ → ポーランド → ドイツ → チェコ → オーストリア → スロバキア → ハンガリー → ルーマニア → モルドバ → (沿ドニエストル共和国) → モルドバ → 続く…

初めての方はコチラから → 11年務めていた会社をやめて35歳から始めた旅の記録と記憶

こんにちは、mickです。

この日は淡々と過ぎた日な気がする。
行ったといえば、夜にまたサッカー観戦をしたくらい。

ウクライナ日本センターにいくと、普段ならありえない出会いがあるから面白い。
自分は日記を書きに行っているだけなんですけどね。

日付:2017年7月29日(土)キエフで散髪の予約をした

日付:2017年7月29日(土)
地域:キエフ
天候:雨のち曇り

日記を書くことについて

昨日の寝落ちから起きて、一度ベッドに戻る。
ビールは、Sシが片付けてくれていた。
この日も朝から雨。同室のメンバーは全員寝ていた。
牛乳を飲んでから、日記を書き始める。
日記について、時間を取ってしまうことが、いいのか悪いのかわからない。
そんな話をSシにした。
「自分にはできないことだし自分と向き合う時間だからいい時間だと思う」
と言ってもらった。
また出来ないことの尊敬として、家計簿をつけていることだといってくれたっけ。

ゆるいホステル

1人のパソコンに向かう人、1人のドイツ人ぽい新しい人がいた。
Sシ情報では、チリの人は周りの人が寝ていても電話をするそう。
何も思わないのだろう。目を合わさないし、話したがらないし。
警戒しているのか。
それにしても、靴下を履いたまま寝るのがウケるな。
11:00頃にはみなおきだして、チェックアウトしている。
チェックアウト時間は11:00なんだけれど、なんとアバウトなことか。

Sシにふといわれた「日記をなくしたら大変だね」。
自分もそう思うとしか言えない。

プロの旅人の荷物

彼の荷物を見せて、そして持たせてもらったらメチャクチャ軽かった。
メインでも6から7kgしかなさそう。
サブもいい感じ。
ノートパソコンが1.2kgといっていたから、一眼を持っていない分より身軽そう。
ランニングシューズといったランニングセットもあるからすごい。
さすが旅の達人と思った。
彼は今日、例のギドロパークに行くという。
するとヘッドフォンしてパソコンを触っていたやつが話しかけてきた。
彼は釣りをしたらしい。また別のやつは、カタカナが読めてSシに連絡先をきいていた。
彼のコミュニケーション能力が高いと思い知らされる。
ポーランドでの再会を約束して、別れた。

キエフで散髪をしてみようかと

彼に散髪を勧められたので、図書館に行く前によってみる。
Olimpiskaだ。
1店舗目は、15時からしかやってないという。350フリヴニャ(当時、約1750円)。
悩んでいたもう1店舗は、明日の14時からで300フリヴニャ(当時、約1500円)。
2店舗目のFRISORに14時で予約して図書館へ向かう。
小腹が空いたから、図書館の最寄りの駅でケバブラップを食べる。
35フリヴニャ(当時、約175円)。美味しい。
記事が黄色いので、卵の黄身が入っているんだと思う。
自分が滞在中で初めて、図書館はナカムラさんが当番だったようだ。
だから前のように入館に苦労しなかった。

間が悪い?

直前まで、西側に行くという日本とフランスの女子学生が来ていたそう。
日本語を学びに来ていたウクライナの人と、ユニバシテ駅近くの植物園にでかけたそうだ。
入れ違いだったらしく、残念。
自分の行動が遅いのだろうか、ふとそう思った。
そこからは日本の本をパラパラ読みつつも、日記を書いて過ごした。
ふと、今日が最後かもしれない、とナカムラさんや窓の景色を撮りたい、でもなぜか怖い。
この怖さの正体は、未だにつかめていない。
たぶん怖くていいんだと思う。
ただ、その怖さを含んで1歩進む勇気の源を持ち合わせていないだけ。
メンタルの現役の頃は、8割は「撮らせて」といえたんだけれど。
入口では何やらナカムラさんと話をする日本の人の声がする。
閉館までずっと話をしていた。

図書館ならではの出会い

日記を勧めて起きたかったので、席にずっと座っていた。
ここで「手塚治虫の仕事場から、BB創作秘話」の本、4冊をみつけた。
気になって手にとって読む。
今日なら完全にブラック扱いな働き方。
それでも本気で創作する手塚治虫さんとその周囲の人々の苦労と楽しさが描かれていた。
自分はどうなるのか、本気で取り組んだか、取り組もうとしたか、取り組めるものを本気で探しているのか。

かつての日本の人々、高度経済までもっていった先輩方、アメリカへの敗戦のある種の恨みを捨て、明日のために懸命に働いた人々のことを想う。

閉館時間になり、今日もナカムラさんが食事に誘ってくれた。
たまたまサッカーのチケットを取っていたので、お断りすることにした。
これが心に引っかかることとなった。
なんとかナカムラさんの写真を撮ることが出来たが、少しお互い緊張して撮るまでグダってしまった。

モスクワで活動する実業家

ナカムラさんと別れて、日本人の男性をメトロまで案内する。
Sトウさんといって、モスクワで個人事業主としてやっている強者だ。
大変な就労ビザをとって、ガイドや現地調査を主にやっているそう。
調査は日本からもあって、ロシア人と違ってお金を払ってくれるからいいと言っていた。
逆に、翌月、翌々月払いとかされるのが嫌なんだって。
ロシアなら即支払いとのこと。
文化の違いとはいっても面白い。
ここウクライナ日本センターは独特らしく、このように日本の本が置いてあったり、一般の人が入れたりするのは珍しいといっていた。
同じような施設は他にも、モスクワやハバロフスクもあるそうだが、こうはいかないとか。
彼は、支援で日本語教師もしていたという。
日本の政府が、支援つまり税金をつかってまでやることか、そう国が思ってるそうだ。
ドミトリーが嫌いな彼は、ウクライナでも2000フリヴニャ(当時、約10000円)するところに泊まっているとか。
稼いでるなぁ。
モスクワの収入格差はすごくて、月収15万円の人もいれば、1000万円のひともいるんだとか。
ロシア語ができ、物価の安いウクライナを彼はとても気に入っている様子だった。
パチっと目が開き、口角も上がっている彼からは、今の自信を感じ取ることが出来た。
おそらく、出来る人。
Sシも同じ顔。
本当に?という疑問とともに。

盛り上がらなかったサッカー観戦

名前の交換だけで別れ、自分はスタジアムへ。
前日に比べておとなしいもので、チェックも簡単。
ゲートもスムーズに通れた。
ペットボトルはやっぱり持ち込み禁止だった。

客もまばらで、少し寂しい。
これならナカムラさんと、と考えてしまう自分に自己嫌悪。
自分の選択に自信を。
人と関わること尾を選ぶはずが、自分のシたいこととの天秤にかけるときに判断が狂う。
迷う。50フリヴニャ(当時、約100円)だったんだから、捨てても良かった。
こうして、また一つ成長していくんだと想う。
試合は、5−0でキエフのダイナモが勝った。
ゲームの終盤で相手チームのサポーター音を鳴らしたり、発煙筒を鳴らしたりで、びっくりしたが大きな混乱もなく終わった。
最初に観たときに感じた楽しさは、もうなかった。
観客は、7489人とやはり少なかったようだ。この紹介もあっさりしたものだった。

都合のいい奴ら

ホステルに戻ると、スタッフも含めて夕食をとっていた。
いい空間。
自分は挨拶をそこそこにシャワー、洗濯をする。
気がつけば、ロシア語の空間に変わっていた。
0時をまわっても、声のトーンが変わっていないのをみて、昨夜注意された自分たちとの格差を感じた。
明日は早めに起きて、日記を書いてみようと思い、早めに入った。

補足

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