【旅の記録】シャウレイの十字架の丘:リトアニア【57】

リトアニア

11年務めていた会社をやめて35歳から始めた旅の記録

2017年5月出発した旅のことを、記憶と記録を頼りにつづってみようと始めました。
書き方などはだんだん良くなるはず(笑)なので、見守っていただけると嬉しいです。
※途中、記憶違いや文章の構成的にフィクションが入るかもしれません。ご容赦ください。

巡った順序 → 日本 → (韓国) → ロシア → フィンランド → スウェーデン → デンマーク → ノルウェー → エストニア → ラトビア → リトアニア → ベラルーシ → ウクライナ → ポーランド → ドイツ → チェコ → オーストリア → スロバキア → ハンガリー → ルーマニア → モルドバ → (沿ドニエストル共和国) → モルドバ → 続く…

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こんにちは、mickです。

シャウレイにきた醍醐味である十字架の丘に行った日。

行き方は調べつくされていて簡単なはずなのに、冒険心が誤った方向に働いてさあ大変。
間違ったバスに乗って、 ミスを取り戻すためにここ一番の走った。
十字架の丘は、事前に話を聴きすぎたためか感動が薄かったっけ。

そのあとにいった、図書館めぐりの方が楽しかったのが本音。
施設の人は、みんな親切。
そういえば図書館でハズレを引いたことないなぁ。
普段は挨拶が返ってこないラトビアでさえそうだった(笑

街の散策にはレンタサイクルを使ったので、この日も1日中動き回った。

日付:2017年7月14日(金)シャウレイの図書館めぐり

日付:2017年7月14日(金)
地域:シャウレイ
天候:晴れ

旅一番の走りで汗だく

エストニアのタリンで出会ったSれさんの話もあって、早めに十字架の丘へ行くようにする。

同室の他の2人はまだ寝ている時間だ。
1人は、今日発つから別れは言えずじまい。

バス停までは距離はあるが、少しギリギリに出発してしまう。
十字架の丘へは、8:45のバスで行く。

まずは、アクロポリス近くのバス停でバスターミナルへいくバスを待つ。
21番のバスの話をきいていたのに、先に来たバスの看板にバスステーションの名が出てたものだから、そのバスに飛び乗った。

途中、走ってバスに乗ってきた子がいた。
まだバスターミナルまで距離があるところで、バスが曲がってしまい、2つ目のバス停でようやく自体を掴んで慌てて降りる。

ここからバスステーションまでは500m以上ある。
ここから、この旅で一番走ることになった。
さっきの走ってバスに乗ってきた女の子がフラグだったわ。

めっちゃ走って、8:24にバスターミナルへギリギリ到着。
間に合ったぜ。

十字架の丘へのバス

ドマンタイ行きのバスだと確認してから乗り込む。

もうね、汗だく。
上着を脱いで、時刻表の書いてある紙で仰ぐ。
窓からの風がめちゃ気持ちいい。

十字架の丘に近いバス停に到着。
ここから更に歩いて初めて十字架の丘に着く。
自分の他には、欧米人らしき夫婦だけ。
挨拶だけをかわして、十字架の丘へ向かう。

歩いて、10から15分ほど。
思ったよりは遠い。平坦な道なのが助かる。
遠くには、十字架が見え始めた。

インフォメーションに立ち寄る時間はないので、直接丘へ向かった。
丘に最も近いベンチには、物乞いがいて思わず興ざめしてしまう。
物乞いする時間があるなら、図書館に行って語学を学ぶがよかろうに。

無数の十字架のある丘

十字架の丘、大きくはないとはきいていたけれど、それでも十分な量の十字架がある。
とてもじゃないけれど、数えるのは難しいだろう。

ここの景色、快晴なのは少しミスマッチなのかもしれない。
曇りのほうが写真も撮りやすい気がした。
ただ正直、Sれさんの感動話をきいていたので、少し期待しすぎたのかもしれないな。
入口のそれと、絵馬的な近代の十字架のせいで、感じることはほぼなかった。

ただただ、鳥の鳴き声だけが心に響いた。

あまりの十字架の数に、どれが古い十字架の一帯なのかはわからなかった。

ここで、スマホを使って他の人のフェイスブックやブログの投稿を見てしまった。
そのとき他人と比べるクセが出てしまい、あらためて自分がなぜここに居るのか、考えるきっかけになった。
少し自分を責めてしまったが、自分のペルソナを考えたとき自分は友だちが欲しい人じゃないかって思った。
友だちはたくさんいるにも関わらず、何かまだ、寂しさをもっているのだろう。

1時間30分ほどの滞在。軽くインフォメーションを通って、十字架を売っている売店を通って、バス停へ。

さっきの夫婦のほか、日本人のおじさんが居た。
彼はラトビアから入って、北のエストニアへ向かうそうだ。
かつて、ウクライナに行ったとき、チェルノブイリのツアーに参加しようとして失敗。
タクシーにお金を掴ませてトライしようとしたことがあるツワモノだった。

ほぼ時間通りにきたバスでバスターミナルへ。
道中は、寝てました。

シャウレイでの図書館巡り開始

降りてこのおじさんに別れを告げて、図書館巡りを開始。

その前に、バスステーションのスポーツ用品店で割引きで買えるズボンに悩む。

とりあえず、図書館へ。

最初は大学図書館。
入館してすぐに本も見られる。
にぽにか、という雑誌で日本の鉄道の特集号があり、過去の仕事を含めて日本を思い出す。
写真は、日本の鉄道写真家の中井さんのだ。
すぐにわかった。これはすごいこと。

係の人も感じはよかった。
トイレが無料かは、確認を忘れた。

プログラミングの本C++に目が留まる。
自分はやはりパソコン好きなのかな、そう思わざるえない。

次は(たぶん)市立図書館。
これまでで一番不気味な扉も閉まっていて退散。

途中、郵便局を発見して切手をゲットした。

アメリカの部屋がある公立図書館

今度は公立図書館で、これまでで一番気を使われた。

まず受付の人は英語を話さないが、入っていいかジェスチャーをすると快く、こちらへ、と示してくれた。
そして最初の部屋を見ていたら英語が話せる人を連れてきて、パソコンを使いたいか、何か必要化、案内は必要か、いろいろ話してくれた。

キッズルームや、音楽とアートの部屋を見て回ったあと、英語の話せる人のいるアメリカの部屋に。

色々会話した中で、なぜアメリカの部屋があるのかということ。
それは世界で起こる出来事の裏にはアメリカの影があるからと。
まさにそのとおり。
そのアメリカについてまさにいろんな人種の住む移民の国だと。

このアメリカの部屋は、いろんな属する人々が来て話をするところ。
日本の学生も友人としていて、お手玉やリトアニア国旗の草履、なんてものを見せてくれた。

図書館に来る人が少ない、リトアニアの人は本を借りて帰ってしまい、リーディングルームを使う人が少ないという。
そんな日本にもあるようなことを話した。
また、紙で読む人が少なくなっていることも。

そんな中で、図書館を見て回っている自分をみて、いいことね、と喜んでくれた。
自分がやっていることを受け入れてくれる人が居るのは嬉しい。

なお、ここのトイレは無料で使える。

シャウレイの街を散策

ここ図書館をあとにして、街を散策。

別のショッピングモールや十字架のある公園、インフォメーションにはレンタサイクル、シャウレイのシンボルらしい弓を引く像、なぞの動物オブジェ、期待はずれの猫博物館。

結局、スポーツ用品店のズボンは買わないことにした。

帰り、遅くなっちゃった。

真面目なベラルーシのドライバー

アクロポリスで買い物をしてからホステルへ。
体力温存のため、5ユーロを支払って洗濯を頼んだ。

ベラルーシからのドライバーはやさしくて、いま受付は外出中だぞ、と教えてくれる。
お酒も誘ってくれたんだけれど、仕事(やること)があるといって断ってしまった。
1人の酔っ払いはしつこかったが、他の2人はいいから、とわかってくれた。

彼らは働き者。仕事が大切なことをしっているわけだ。
真面目な人たちなんだよね。

ルームメイトと自分のこと

部屋で今後のことを準備していると、モルドバの彼が帰ってきた。

「今日はどうだった?」

そんな今日の出来事を話す。

彼は、十字架の丘のことは知らなかった。

夕食を作るから一緒に、と誘ってくれたものの、買いすぎた豚の角煮を食べたもので、お腹いっぱい。
これも断ることになった。

日記については、本当になんとかしないといけない、でないと彼ら、またこれからの人と関わっていけないのは旅の大きな損失だ。

仮眠をとったり、日記を書いたり、とにかく自分のために多くの時間を使った。

夜遅く、1人の男性が入ってきた。
また3人部屋だ。

今日のシャワーは早めに入ったので、どうにか温かいシャワーだった。

洗濯物は、翌朝と行ってくれたが、夜起きるのを知ったようで、夜のうちに渡してくれた。

5ユーロは高かったけれど、すべて洋服をたたんで、そして袋にいれてわたしてくれたので、チップ込みみたいなもんだと思った。

自分はシャウレイを気に入ったが、モルドバの彼にとっては退屈そうだった。

補足

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