【旅の記録】ブラショフからのエクスカーションでいくファガラシュ城:ルーマニア【127 – 2】

ルーマニア

11年務めていた会社をやめて35歳から始めた旅の記録

2017年5月出発した旅のことを、記憶と記録を頼りにつづってみようと始めました。
書き方などはだんだん良くなるはず(笑)なので、見守っていただけると嬉しいです。
※途中、記憶違いや文章の構成的にフィクションが入るかもしれません。ご容赦ください。

巡った順序 → 日本 → (韓国) → ロシア → フィンランド → スウェーデン → デンマーク → ノルウェー → エストニア → ラトビア → リトアニア → ベラルーシ → ウクライナ → ポーランド → ドイツ → チェコ → オーストリア → スロバキア → ハンガリー → ルーマニア → モルドバ → (沿ドニエストル共和国) → モルドバ → 続く…

初めての方はコチラから → 11年務めていた会社をやめて35歳から始めた旅の記録と記憶

【この日の内容は、記録が長かったので2回に分けています(後半)】

こんにちは、mickです。

翌日には、モルドバのキシナウへ移動を控えていた日。
ブラショフ最後の日としては、ウクライナで出会った人に教えてもらった、ファガラシュ城へといくことに。

昨日、同じ宿で出会った日本人たちとは別行動。
夕飯からお酒の乾杯から行動が一緒になる。

ファガラシュは、いまでは小さな街だけれどかつてはハプスブルク家から自治を許されていた場所。その名残なのか、残っているお城ファガラシュ城はお堀も会って防御に優れた形状。住居のお城のブラン城とは違って面白い。

ファガラシュは、バスターミナルが移転していたから、バス停を見つけるのには、地元の人の力が必要だった。

夜は、宿で出会った日本人で3人で一緒に夕食。
自分の気に入ったものを美味しいと食べてくれるのは、やっぱり自分も嬉しい。
お店で買ったお酒で、宿の人たちと晩酌。会話の内容は忘れたけれど、あの楽しい空気感は覚えている。

日付:2017年9月22日(金)ギルドまであったファガラシュ

日付:2017年9月22日(金)
地域:ブラショフ、ファガラシュ
天候:雨

見つからない帰りのバス停

14:15のバスを狙う。もう1回、お城の周りをみたくてトライ、しようとしたが、さっきの学生たちがいて、からむ気力がなくて、反対周りをするはずが、同じ周り方をしてしまった。逆に回ることに新発見の効果があるのに。

地図アプリmaps.meにある、バスマークのところで帰りのバスを待つ。ここでいいか不安だった。バスを一度も見ていないからだ。一応、周辺を散策し、他にバス停らしいところがないかを探す。が、みつからない。近くには、小さなショッピングモールがある。その側の通りで、賭けトランプをしている人たちがいる。

最初の場所に戻ってバスを待つ。小学生くらいの子供も3人、待機していたので、バスを待っているものだと思っていた。アジア人は自分1人。心細い。防犯の意味でもだ。子どもたちは、友だちに会うとハグをして挨拶をしているのがかわいい。

いよいよ困って現地の人にヘルプを出す

一緒に待っている子どもたちがタクシーに乗っていなくなった。降りたところにくるバスは、シビウ行き。迷った。それで、maps.meにのっている他の近くのバス停を散策する。ファガラシュ城まで戻って、降りたバス停と同じ名前のところまで。

周りは若者であふれて、聞ける気がしない。と、すぐ近くに子ども2人と話をする女性が居て、ついにブラショフに戻るバス停を尋ねることができた。
「Autogaraにいくのよ」
と教えてくれる。地図アプリmaps.meで同じ名前をみつけるが、さっき寄ってきたんだよね。
「そうね、案内しましょうか」
そう提案してくれたので、頼ることにした。感じから彼女は、教師っぽい。どうもここ最近、バスターミナルが移転したそうだ。

彼女は、ファガラシュの人だという。中央の教会は、ルーマニア正教のものと、尋ねたら教えてくれた。ショッピングモールの裏の市場を抜けて、道を確認。
「そこを行けばわかるわ」
と別れた。助かった。ロータリーから奥まったところにバスターミナルがあった。これはわからない。尋ねて、そして彼女に声をかけて大正解。無事に、15時のバスに乗れた。

見つからないモルドバのキシナウ行きバス

行きよりも大きなバス。利用者も多くてほぼ満席。このバスは、1時間ではなく、遠回りをしてブラショフまで100分近くかかる。明日のキシナウのバスについて、朝便があるか知りたくて、アウトガラ・ドイの近くで降ろしてもらった。

気疲れで社内は夢の中。雨がひどくなって、レインウェアを着る。明日は晴れてほしい。バスターミナルでは、12時、19時、そして21時の情報しか得られなかった。ルーマニア語で「明日」といっても、結果は同じ。ドライバーに尋ねても同じ。明日の朝にいって確かめる気になった。

ホステルに戻って、スタッフにもきいたが、応答がいまいち。17時を回ったから確認もできないと。これは失敗。

2人はまだ戻ってきていない。夜は楽しむ。そしてのんだらすぐ寝るとわかっていたので、ただ待つよりも、明日の準備とシャワーを浴びる。同室にポーランドからのカップルがいて、例の食堂を教えた。カップルである彼は、行かないだろう。お店の場所も確認されなかったし。

3人で食べる夕食

18時頃、Kくんから戻ってきたとメッセージ。Rさんは、今夜は同系列のホステルに移動。なので、彼女の手続きと移動が終わるまで待った。ブラン城とルシュノフにいって、たくさん楽しんできたようだ。正直、寂しかったと伝えた。それだけ、合流が待ち遠しかったんだ。

今夜は1人でない食事。楽しいに違いない。酔う前に写真教室の先生にRさんのことを教えたかったので、セルフィーをとっておいた。なんて帰ってくるか反応が怖かった。彼女を待っている間は、Kくんと話をした。2人の観光は楽しそうで羨ましかった。

彼女が戻ってきたので、3人で例の食堂へ。自分が戦闘で、お気に入りの鶏スープ、鶏肉、そしてリゾットをチョイス。3人共サラダが違うくらいで、ほとんど同じだった。そのやすさと味に、特にRさんは、これこれ!と喜んでくれて嬉しかった。

今日の出来事をきいて、会話が弾む。帰り際、隣のテーブルのおじさんが話しかけてきて、片言の英語で会話。すべてをバンドに捧げてきた人のようだ。電気工かなにからしいけれど、風貌はみずぼらしかった。

日本人の自分たちに興味があったようだ。職業の話で、Kくんの、旅人、が通じないのはわかっていたけれど、寂しい。彼らの常識ではありえないのだろう。まあ、日本でもまだありえないが。

続きはホステルで更に国際色豊かに乾杯

帰りにホステル横のお店でお酒を買う。赤と白。チーズとサラミ。自分用にウイスキー。ホステルの共有スペースで赤から飲み始めた。ルーマニア人、フランス人、アルゼンチン人、スペイン人カップルらを時々巻き込んで盛り上がる夜。楽しい。

お酒、そして英語の上手な2人がいるので、ガンガン話に参加した。ルーマニア人はRさんをティミショアラ行きに誘っていた。学生は、チケットがかからない、そんなマジックを教えてくれた。彼は、インタビューをして調査をなにかしてるらしい。

スペイン語が話せるRさんは、楽しそうにスペイン人カップルとアルゼンチン人と会話していた。すげい。Kくんと自分は会話の内容を推測して楽しんだ。Rさんをキシナウいきに誘うが返事が重い。どうも、お兄さんが結婚するらしく、期限があるそうだ。3人なら気が合いそう。それだけに彼女も悩んでいた。

楽しさとお酒で、早めに潰れた自分。いや、バニラみたいなイマイチなウイスキーのせいかもしれない。ときどき目を覚ましては残った2人の会話に入り、そしてまた落ちた。最後の方は、シモネタというか、凸凹の話をしていたのを覚えている。

2時前についに解散。先にシャワーを浴びていたので、歯だけ磨いて、眠りについた。

補足

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