【旅の記録】キエフの夏:ウクライナ【66】

ウクライナ

11年務めていた会社をやめて35歳から始めた旅の記録

2017年5月出発した旅のことを、記憶と記録を頼りにつづってみようと始めました。
書き方などはだんだん良くなるはず(笑)なので、見守っていただけると嬉しいです。
※途中、記憶違いや文章の構成的にフィクションが入るかもしれません。ご容赦ください。

巡った順序 → 日本 → (韓国) → ロシア → フィンランド → スウェーデン → デンマーク → ノルウェー → エストニア → ラトビア → リトアニア → ベラルーシ → ウクライナ → ポーランド → ドイツ → チェコ → オーストリア → スロバキア → ハンガリー → ルーマニア → モルドバ → (沿ドニエストル共和国) → モルドバ → 続く…

初めての方はコチラから → 11年務めていた会社をやめて35歳から始めた旅の記録と記憶

こんにちは、mickです。

この日は、日曜日だったで特別どこかをみるというよりはキエフの街を散策が中心。
ホステルで仲良くなった、アルゼンチンからの人と色々関わった。
一緒に行動したいときと、そうでないとき、きちんと話せばスムーズなのが、日本の人と関わってるのと大きく違う所。

だから外国の人とは、関わりやすい。

キエフはこれから夏を迎えるため、水辺では多くの人が水遊びを楽しんでいた。
すごくローカルなキエフを見ることができた気がして嬉しい。
目的のない街歩きが自分好きなんだ、と思える1日だった。

2014年ウクライナ騒乱の跡は、デモ隊の拠点ともなった聖ミハイル黄金ドーム修道院にあった。
平和すぎる日本では想像がつかないが、つい最近まで人が死んだり怪我したりすることが、ここキエフで起きていたと思うと、歴史というものを感じずにはいられない。

日付:2017年7月23日(日)日曜日のキエフを散策

日付:2017年7月23日(日)
地域:キエフ
天候:晴れ

爆睡した朝と朝食

すごく疲れていたんだろう。
旅でこんなに寝たのは初めてかもしれない。

同室の人もかなりの数(半分)は寝ていて、でていく人も気を使って電気をつけなかった。
この気遣いがありがたい。
一度、10:00に起きて(なぜか)冷たいシャワーを浴びてスッキリ。
また11:00までゆっくり。

そして、昨日のスーパーへ。
野菜やフルーツの状態がよくない。
昨日みた青空市場で買ったほうがいいだろう。

コーラは安いが、エナジードリンクは普通の値段。
朝食には、硬いパンをコーラで流しこんで、出かける準備。

アルゼンチンの旅人

サンルームでは、マルコスが保険申請の手続きをしているそうだ。
歯を悪くしたらしい。いまは大丈夫とのこと。

彼は今日、日曜マーケットに行くという。
人々が物を持ち寄って売る蚤の市だ。
flee の発音が少し難しい。
つい free になりそう。

ウクライナ人というカチーチャは、この市場のことを知らなかった。
なお、彼はあまり英語を話せなさそうだ。
時計は12時をまわり、いい時間。

マルコスと過ごすのもいいと思って、彼が行く市場についていくことにした。

彼の手伝いで、申請書を写メ、PDF化してメールしてあげる。
また、待つ間は日記を書いていた。
昨日の後半が残っていたので、外も暑いしちょうどいい。

また、実家にも電話。
何度も外国から日本に、それも普通に通話できることに父は安心しているようすだった。
余裕もできてきたのか、滞在国について尋ねてくるようになった。
父と姉と話しをしたが、睡眠と食事を気にしていた。

シャワーを浴びたときに、痩せ気味だったから食うべし、と決める。

カチーチャは、スイカを食べてレンジでチンしたチーズを食べて、またスイカを食べている。
観てるだけで面白い。
ウクライナの人はシャイなのかな。

久しぶりの単独でない行動

マルコスの準備ができて、出発。
近くまではメトロで行く。彼が全て知っているっぽいので任せる。

Ploshcha Lra Tolstoho から Petrivka へ。

ほんとウクライナの地下鉄は深いよねー、なんて話ながら。
列車に乗るとき、彼がリュックを前に回すのを見たときはそうだよなって思った。

何事もなく目的の駅に到着。

外は日差しも強くて暑い。
地上は、小さなマーケットがあった。
でも、マルコスや自分がイメージしていた市場はみあたらない。

2人でケバブラップを買って食べながらふらつく。
食事をすると力がつくのを感じる。

「なんか思った市場と違ったね」

なんて話ながら大きな建物の中に入ってみる。
食事中だからすぐには中に入れない。

急いで外で食べきろうとする。

その間、2人が同い年、同じ6月生まれ、そして彼が16日生まれだとわかる。
すごい偶然だ。

彼は心理学を学んで、今学校で普通校に通う障害児のサポートをしているという。
立派な仕事だ。
住んでいるのは、ブエノスアイレスから60kmほと離れたところらしい。

彼はときどき「これ日本語でなんていうの?」ときてくれるからなんか楽しい。

「国に帰ったら同じ仕事をするのかい?」

「うん、たぶんね」

と答える自分。
作るのは好きだもんなって思う。

建物の中は、アウトレットモールみたいだった。

マルコスのバックはボロボロで、10年旅をともにしているという。

「いいパートナーじゃないか」

そういうと苦笑いする彼。

物に思い入れしない方なのかもしれない。

川が近いから行こうってなったが、40分の距離でこの暑さなので止めて、彼のおすすめに行くことに。

キエフの夏

Poshtova Ploscha で下車。
近くには丘の上に建物。その丘への電車もあった。

また近くの噴水では子どもたちが水浴び。
上半身が裸の子もいる平和。
ウクライナの夏を思う。

マルコスが川で泳げるっていうけれど水着は置いてきたし、水はちょっと汚い。

フリーのWi-Fiを掴んだ彼は、保険が降りることになって、30日後に手に入るそうだ。

「思ったより先すぎるな」

という彼。

川沿いを歩いて橋を渡る。
橋ではバンジージャンプをやっていた。
川から橋までは、そんなには高くない。

もっともスカイダイビングに比べたら、バンジーはどれも低い。

彼はパラグライダーみたいなのをやったことがあるそうだ。

「バンジーやってみないかい?」

「No」

といったら少し強めだったらしくて、少し驚かせてしまった。
なので日本語で「やめとく」という言葉を教えることで和ませておいた。

対岸の砂浜に到着。
砂が細かい。

少し歩いたあとに、眠たいという彼を木陰に誘導して、彼はそのまま寝てしまった。
「30分くらい寝るよ」なんていいながら。

敷物がないのでちょっとなっていう自分は、旅人としてまだまだなんだなって思いながら腰を下ろす。

なんとなくスマホでAIのプログラミングのことをみてた。

Ruby か Python か。
Ruby を開発した、人にその Python についてどう考えているのか、なんて。
彼がいう。

「やりたいのがみつかってないなら探し続けるしかないんじゃないかな、自分は(運良く)早く見つけられたけれど」

そうなると、自分は探し続ける方か、まだ。
そう思い、少し、少しだけスッキリする。

単独行動と黄金ドーム修道院

17:00に聖ミハイルの黄金ドーム修道院歴史博物館が入場を止めるらしいので、寝ているマルコスを起こして、自分は行くと伝え、ここで別れた。

30分を切っているので、少し急ぐ必要があった。
それでも、写真を撮りながら進む。

さっきの考え、プログラムもそうだけど書くするのが好きだなって思った。
高校も大学も、ホームページの記事を書いたり、物語を書いたり。
そして人に伝えるにはその人がイメージできるように表現し、伝えるということ。
すると写真の被写体もそういうのになってくるのかもしれない。

興味深い考察だと思う。

Google Map にはないが、地図アプリの maps.me にある階段を見つけて、16:50に教会についた。

近年に復元された、青の教会、と呼ばれるこの教会の外観は美しい。
中はロシア正教会に近くて、イコンが基本なので、自分は外だけでいいかなって思う。

博物館に入るか迷うが、15フリヴニャ(当時、約75円)らしいので入ってみることに。
入口のおばさん2人は親切。

中は修道院の歴史、ソ連による破壊、復元、そして近年のデモのシェルターのこと。
この近くが独立広場、そして政府機関が近いのもあって、デモが行われていたことを改めて知る。

実際に使われたであろう棒や盾、ヘルメットが非常にリアル。

上は鐘の展望台。
景色はまあまあ。
青の教会がよく見える。
わかっていても頭上で鐘が鳴るとびびる。

外に出て、周辺をうろつく。

キエフのローカルなイベント

聖アンドリーイ教会の前の通りでは、フードファイトみたいなイベントで賑わっていた。

青と赤の2チームに分かれて、それぞれの料理の売上で勝敗が決るよう。
TVの撮影もしていた。もしかしたら、TVにみきれているかも。
なんて思いながらうろつく。
参加者は、いい顔していたなって思う。

ウクライナ歴史博物館からの眺めはそこそこ。

この辺りはストリートパフォーマンスや絵など、いわゆるバスカーがいた。
場所が場所なら、もっといい稼ぎになるんだろうか。

思わず全く面識のない人の旅ブログと自分のいまを比較してしまう。
これでいつも自己嫌悪になる。

昼食?夕食?

ソフィア大聖堂に向かう途中、いいかげん食事をしたかったので、食べるところを探す。

ソーセージが美味しそうに写った看板、そして豚のマーク。
料理によっては安く済みそうって思って入った。

客は多くなく、4組くらい。
入口のところに「私達は英語を話します」という表示が面白い。

ウクライナのボルシチ、そしてライトビール、一番安い自家製ソーセージを注文。
看板にあったようなソーセージがなくて残念。

ボルシチは、豚肉のいい出汁とサワークリームで美味しい。
ビールは普通。
ソーセージは、血の塊のなにかだったらしく、癖が強すぎた。
あまり好きな味ではなかったが、精はつきそう、そう感じた。

全部で201フリヴニャ(当時、約1002円)もしたが、落ちた体力をつけるにはいいと思った。

お店の人はよく気を配ってくれたが、日本の間隔が抜けなくて、サービスとしては普通に感じていた。何より、笑顔がない。
来てくれた人を楽しませてくれるか、そこがポイントなのかもしれない。

チェックの際、「この金額にチップは含まれていません」の部分にマークが入っていた。
これは日本人嫌う(いや、自分がか)。
もちろん、チップなし。
厳しいかなって思いながらもお店をあとにした。

ここで先にお店にいて、先に帰ったカウンターの男2人。
何やら注文したものをほぼ残して帰っていたのが見えた。
もったいない精神が働いて、なれくれ!って正直思った。

偶然の再会

日も暮れ始めて、聖ソフィア大聖堂の前の広場へ。

写真を撮りながらのんびりしていると、マルコスが自転車に乗ってやってきた。
旅の途中で起こる、こういう偶然は楽しい。
彼は、目が覚めたあのあと、さらに奥を散策して旧ソ連の面影残る建物がたくさんあったことを教えてくれた。
あと、トトロみたいな猫を見つけたそうな。

自転車はレンタルで、40フリヴニャ(当時、約200円)毎時。安くはない。
それでも散策には便利そうだった。
聖ソフィア大聖堂の前で写真を撮ってあげて分かれる。

自分はそのままホステルに向かっていった。
途中、マルコスとは違う猫のモニュメントを見つけたり、野外映画館を公園で楽しむ人達を見た。
のんびりしていていい。

途中のスーパーで、セルビアのブラドが教えてくれたパンの食べ方を真似たかったが、ソースが見つからずに残念。

代わりに牛乳とネームペンを買って帰った。

レジの女の子が朝と同じで驚いた。
それでも賃金は安いんだろうなって思いながら。

ホステルでの出来事

ホステルのスタッフは変わっていて、ヴィタリという日本語の挨拶ができる人だった。
ホステルでのよい滞在は、レセプションの人と仲良くなっておくことだ。
特にあいさつは大切。

シャワーがまた水なんで、アルトゥにきいた。

「お湯が温まるまで待つしかない」

なんて言われる。

自分が試してない方でやるとかずるい。
そしてそれを伝えられない自分ずるい。

何やら、女性が何名かルームメイトになり、少し男どもが明るい。
フランス語を話す女性だ。
同室には、その友人がいる様子。

久しぶりにパソコンを使って、写真のバックアップを取った。
パソコンは思いが動きに不満はない。
だけれど、重いのが悩ましい。

荷物の重さで肩がおかしいことは感じている。
調子が悪いときは休むのが大事、スーシャの顔が浮かぶ。

部屋にパソコンを出しっぱなしにするには少し不安はあったが、まめに見に行くとして、ジーパンを含めて洗濯。
下着も2日分だが、こまめにしとかないと、いざ洗濯できなくても困る。
ヴィタリに頼んで、洗濯開始。約50分で終わり。

そして、干し場所には、1:30の便で移動する人が洗濯物を取り込んでいた。
少し濡れているなぁ、なんていいながら。

そんなことをしていると、マルコスが帰ってきた。
ビールとフルーツを持ってきて、どこで買ったかきいたら、隣の地下に24Hの店があるって。

ぜんぜん気が付かなかった。

寝る前には日記を書こう

パソコンでのしらべものはほとんどできずに、バックアップだけ。

スマホのSDカードの容量が、30GBをしたまわってよろしくない。
整理が必要。

マルコスとは、兄弟のことを日本語でなんていうか話をした。
そして彼の行ったところを教えてもらった。
明日の朝、彼は7:00に出発する。
見送りをしてほしいのか、自分の起きる時間を確認させられた。

「がんばって起きるよ」そうしか答えられない。

メール交換してるし、連絡を取り合おう、そう握手をして別れた。

同じホステルのじいさんは、いつも何か探しているな。
マルコス曰く、彼はすごいらしい。
だが、何がすごいのかはよくわからなかった。

夜、ブラジルのリオデジャネイロに向かっているという、Yみさんに返事を書いていると、ヴィタリが話しかけてきた。

最初、気が付かずにいたら「君に話しているんだけれど」なんてツッコまれる始末。
ウクライナの東部、マガタンガが彼の故郷だそうだ。

「な、日本に近いって言ったろ」

なんていって。なんとかパワーとかいってノリでハイタッチ。
何パワーかは、忘れてしまった。

人のルーツは同じだと思う、とか、国が大きく開いたから日本人とわかった、とか彼の短い食事の間だが話をしてくれた。

なんかいい奴。

タルタルソースが大好きみたい。さらにヌードルも食べていた。

時間は1:40。
日記の途中だが寝ることにした。

早朝6:00に目覚ましをセットして。

補足

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